おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

浅草・東京大空襲の痕跡。国際劇場。イチョウ。松屋。

2012-06-03 21:26:41 | 歴史・痕跡
 昭和20年3月10日未明、米軍による東京下町大空襲。10万人とも30万人とも、いまだに犠牲者の数は不明のまま。すでに65年以上が過ぎました。その歴史の生き証人(人も物も・・・)は、だんだん少なくなりつつあります。
 東部下町は、隅田川をはさんでほとんど焼け野原。逃げ遅れた焼死者はもちろん、川に飛び込んで死んだ者等々で隅田川は修羅場と化したそうです。墨田区と川を隔てた台東区浅草付近もその悲惨な現場となりました。
 せんだって、浅草国際通りに面する「浅草ビューホテル」に出かけることがありました。ここは、かつての「浅草国際劇場」。華やかなレビュー。松竹歌劇団が活躍し、さらに名だたる歌手の公演もありました。
 子どもの頃、父親に連れられて「春の踊り」を観に来たことがあります。前の方の席に座って、ラインダンスを。華やかな衣装、強烈な白粉と香水の匂いに圧倒された、ふと50年以上の前の記憶が蘇りました。後にも先にも、それがたぶん唯一の経験。
 その国際劇場も戦禍に見舞われたことを知りました。爆弾によって曲がった劇場の鉄骨、壁。そうしたものが両国駅前にある「江戸博」に展示されているそうです。
 また、その一部が東武線・鐘ヶ淵駅近くの多聞寺にもあるというので、行ってみました。
 また、浅草寺境内には、イチョウの木が戦禍にも負けず焼けただれたまま、復活して緑豊かになっています。ついでにそれも写真に撮ってきました。
多聞寺の山門。わらぶき屋根。墨田区内では一番古いものだそうで、戦災の被害も免れたとのこと。
これが浅草国際劇場の戦火でねじ曲がった鉄骨。かなりまがってしまっています。「江戸博」にも展示されているそうです。
隣には、焼け焦げた木。ただし、国際劇場のものではない。
山門を入ってすぐ右手にあります。
国際劇場の跡地に建てられた「浅草ビューホテル」。
これは、浅草寺のイチョウの木。焼け焦げた痕がはっきり残っています。
歴史の生き証人の一つ。
本堂の向かって右手。休憩所近く。外国人など観光客でごった返していますが、何の説明版もなく、誰も気づかない存在。空襲当時の焼け残った境内の写真の中に、今と同じ位置に立っていたことが分かります。
浅草松屋。外装を建設当時のものに復元したそうです。なかなか味のある雰囲気です。

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1 コメント

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東京大空襲75年  (もののはじめのiina)
2020-03-12 09:27:13
15年前の東京大空襲60年の年に浅草公会堂で落語家・林家三平の奥さん海老名香葉子さんの講演ではじめて聞かされました。

戦後生まれのため、空襲は、日本の主要都市や工場地帯を襲ったという程度しか知らなかったです。

とくに、昭和20年3月10日の東京大空襲が甚だしく10万人もの犠牲を強いたのですね。

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