おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

戯曲「遭難」「偏路」「来来来来来」(本谷有希子)講談社・新潮社・白水社

2012-06-05 20:08:22 | 読書無限
麩 三冊まとめて。本谷有希子さん。劇作家・演出家・小説家。「劇団、本谷有希子」主宰。多彩な才能を発揮している女性。内容は、実に奔放な人間たちが登場、ドラマ作りとしては、ある意味、類型的な感じがするの(いっとき前の高校演劇風なの)が、わかりやすいって言えばわかりやすい。この人も高校演劇の経験者なのかもしれない。劇団○○○(さんじゅうまる)の渡辺さんもたしかそうだったような。作劇が、似ているような印象が・・・、失礼! 
 ところで、文学界は、日本の伝統的作法(私小説作家風。大江だって、徹底した一人。)で書かれたり、読者にも伝統的な読まれた方をされるという、大きい弱点をもつ業界(一葉・漱石は、珍しいタイプ?)。
 その点で、戯曲は、伝統的なしきたりを軽んじて、自由奔放に描き、演じ、観ることが双方(作者・観客)ともに許される、うれしい世界。そもそも演じることは他人になることだから、なんてありきたりではすまされない。役者一人と演じる人物一人と、そしてすべての役者と登場人物との、ある意味、命がけの格闘技の世界。そこが演出冥利にも尽きるし、観ていてもおもしろい(感動とは別だが)。
 「遭難」。通俗的なドタバタ劇を装ったものだが。クレーマー、いじめ、暴露、陥れ、自殺、さらにトラウマ・・・、テンポよく場面が展開していく、職員室での劇。学校の教師たちは、いつも題材に事欠かない格好の素材ではある。言葉の嵐、嵐。そして、静寂で終わる。それまでのあの激しさはなんだったのか、と思わせる。
 「偏路」は、作者の父親らしき人物や、お芝居の夢破れ都落ちする娘が登場する。爽快さとともに屈折感、と見せかけてまた突き放すという、ある意味、その自意識過剰、他人に冷酷、偏屈な娘は、まさか自画像ではあるまい。お「遍路」さんに執着するのは、菅さんだけでけっこうですが。
 「来来・・・」が一番おもしろかった。なにしろ舞台設定がユニーク。有刺鉄線、野鳥園、絞めた野鳥、麩揚げ工場、油の煮えたぎった釜、どろどろした女性同士の関係、家家族関係、・・・、かなりグロテスクで猟奇的な雰囲気を醸し出していく。かつてのアングラ芝居でもなかなか着想できなかった(当時は、男性作家がほとんどだった)。女性の眼から見えてくる「世界」ともいえるか(というとご不満でしょうが)。近松門左衛門の「女殺油地獄」を彷彿とさせます。麩工場が石川、岐阜、愛知などに多いことも知りました。
 それにしても、芝居を次々と創作し、演出、小説、さらにラジオのパーソナリティをやる、多彩な作者自身の姿が浮かんでくる。一途な生き方(に憧れる、実践する、突き放す、こだわる、・・・)の持ち主なのだろう。

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