おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

東急・池尻大橋から小田急・梅ヶ丘まで

2010-10-14 22:56:10 | 河川痕跡
 目黒川(めぐろがわ)。東京都世田谷区、目黒区および品川区を流れ東京湾に注ぐ河川です。
 河口付近では古くは「品川」といいました。河口付近の流れが緩やかであったため、古くは港として使われ、品の行き交っていた川でした。これが「品川」の起こりとされています。
 世田谷の三宿付近で北沢川と烏山川が合流して目黒川となり南東へ流れ、品川区の天王洲アイル駅付近で東京湾に注いでいます。
 この間、東急・池尻大橋駅から目黒川(せせらぎ緑道)をさかのぼり、小田急・梅ヶ丘駅まで歩いてみました。目黒川は、起点(北沢川と烏山川の合流点)から国道246号の池尻大橋までの区間は暗渠化されていて、地表部分には人工のせせらぎを抱いた緑道(目黒川緑道)が整備されています。カルガモや鯉、ザリガニなど様々な生物が棲みついています。「国道246(青山通り)」を越えた南側下流は、大きな流れになっています。「清流復活事業」として、目黒川を流れる水の大部分は、新宿区の東京都下水道局落合水再生センターで下水を高度処理したものを導いているとのことです。
 烏山川と北沢川(北沢用水)との分岐を過ぎると、北沢川緑道。桜並木が続く道になっていて、車も通らず、自転車も禁止で、気持ちよい散歩道になります。春になると、さぞかし見事な「桜満開」という風情を感じさせます。
 途中、環七を横切りますが、その辺りが、「宮前橋」。かつてのままに橋の名前が次々と出てきます。かつての流路のうち、梅ヶ丘駅南から烏山川との合流点下流までの間は、世田谷区の「ふれあいの水辺事業」により、暗渠の上に人工のせせらぎが再現されているわけです。
 梅ヶ丘駅北。赤堤通りに面して「東京都立梅ヶ丘病院」がありました。この病院は、東京都立都立精神科病院でした。
 さらに、児童・思春期精神疾患の専門病院として、治療対象疾患は、発達障害圏(広汎性障害、アスペルガー障害、自閉症、多動性障害・ADHD、学習障害・LDなど統合失調症、摂食障害、睡眠障害、チック障害、行為障害、虐待など幅広く、またより深く取り扱っていました。
この病院の前身は、斎藤茂吉の義父斎藤紀一の設立した青山脳病院(1907年開院)。当初は青山にありましたが、1924年失火によって全焼し、1926年に現在地へ移転しました。(青山にあった分院は、1945年の空襲で全焼)。
 1926年には茂吉が院長に就任しました。1945年(昭和20年)3月に東京都に移管され「東京都立松沢病院分院」となりました。その後1948年(昭和24年)4月に児童患者の入院を開始し、1952年(昭和27年)11月に「東京都立梅ヶ丘病院」となりました。1974年(昭和49年)6月に小児専門病院としての性格が明文化されました。
 その後、2010年3月1日、東京都立清瀬小児病院・東京都立八王子小児病院と統合し、東京都立小児総合医療センターとなることに。当院の移転は3月6日に行われました。
 世田谷区としては、この跡地を地域の福祉・医療等に役立つような計画を立てているようです。  
 斎藤茂吉の碑が、病院の入り口近くに。周囲を工事用のパイプに覆われ、人知れず置かれてありました。
池尻大橋からの北西・目黒川緑道の入り口付近。
烏山川から分かれて北に向かう北沢川。このあたりは、素敵な桜並木が続きます。
暗渠になった地上には、浄化された下水道が流れています。
環七を渡ります。宮前橋。
梅ヶ丘駅北側の緑道。北沢川の名残です。
梅ヶ丘病院正門横の斎藤茂吉の碑。
往時を偲ばせる古木。
 直線距離にして約3キロ。歩いて約1時間の散歩でした。

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