どこまでもまっすぐな街道。
右手に「張替酒店」。
以下の項は、「」HPより。写真も。
・・・
4代目店主の張替正信さんに、お話を聞きながら店内を案内してもらいました。
張替酒店の創業は1905年(明治38年)で、今年でなんと創業114年になります。
この建物は昭和6年に建てられて、今もなお現役で実際に住居としても使っているというのだから驚きです。釘を1本も使わずに組み上げられたそうで、今でも改修などで大工さんが来るとみなさんその技術の高さにビックリすると言います。
大久保は現在の日本大学、東邦大学のあった場所に陸軍騎兵旅団の指令本部が置かれており駅前から続く商店街も含めて周辺には御用商人が軒を連ねていました。だから歴史あるお店もいまだに残っていて、張替酒店もその一つ。
騎兵出身だった初代の張替一郎さんがお店を立ち上げ、以来終戦まで御用商人として軍に出入りしていました。そのため敷地の奥には、軍の偉い人を招いて宴会を開く離れもありました。
なんと離れは今も現存している!特別に見せていただいた。
離れ。
この場所で生まれ育った正信さんは、学校を卒業して一度は旅行会社に就職し、添乗員としてツアーの案内で全国を回りました。その後実家に戻り父の手伝いを始め、30年以上酒屋を一緒に営みました。
昔、酒樽を置いていた棚もそのまま利用している。
自分の生まれ育った家でもあり、素晴らしい造りなのでなるべく綺麗に残したいと、店内のレイアウトも昔の良さを崩さずに現代的なレイアウトに変えていったという正信さん。
自分が美味しいと思ったお酒は直接蔵元へ行き仕入れ先を開拓して行きました。
「今はお酒もネットで買う時代ですが、好みを聞いて、それに合うお酒を会話の中で提案していくというのは、やっぱり対面販売ならではですよね。加えてこうして残している古い建物をお店に来て見ていただけるのも、一つの楽しみにしていただければ嬉しいですね」と語ってくれた。
確かに酒を買うだけならコンビニでも買えるこの時代。それでも張替酒店が続いているのは脈々と続く歴史に裏打ちされた信頼あってのものでしょう。それに加えてこのお店、建物そのものが魅力の一つになっていますね。
まだ行ったことがないという人は、是非一度訪ねて見てはいかがでしょうか?
・・・
来た道を振り返る。左手に「張替酒店」。
1900年代。陸軍騎兵聯隊。(「今昔マップ」より)。
2000年代と比較。(「同」)
京成「大久保」駅付近の賑やかな通りに。ユニークな建物。
「日大生産工学部実籾キャンバス」が左手に。
「京成本線」の踏切を越えます。左手に「実籾」駅。
踏切を越えた付近に「一里塚」があったようですが。
右手奥、「実籾本郷公園」に古い住宅が残されているという案内があるので、坂道を下っていきます。
鴇田(ときた)家住宅(裏手から)
旧鴇田家住宅は、享保12年(1727)から翌13年にかけて東金(御成)街道沿いに建築され、江戸時代に実籾村の名主をつとめた鴇田家の住居として、平成3年(1991)まで使用されていました。平成12年10月にほぼ建築当初の姿で移築復元され、同年11月に開館しました。
L字型に曲がった主屋は、かつて東北地方に多く分布していた「曲屋(まがりや)」であり、南関東ではきわめて珍しい建築様式です。また、身分の高い人が来訪した時に使う「ゲンカン(玄関)」や、その供の者が待機した「トモマチベヤ(供待ち部屋)」、江戸時代の民家としては貴重な客便所など、名主の家にふさわしい特色を伝えています。(「解説文」より)
建物の規模、規格。
「曲屋(まがりや)」形式の主屋。
土間のカマドでは火を焚いていて、煙が漂い、いぶされた雰囲気が懐かしい。
「上宿庭(かみじゅくてい)」。
この鴇田住宅のある「実籾本郷公園」は、けっこう木々も多く、広々としたアヤメ畑や湿原などもあって、ゆっくり散策できるところ。小休止しました。
案内板。
カルガモの集団が水辺に。
この地域にまつわる民話なども解説板に。
1880年代のようす。湿地帯と畑地とが区分されていて、今の「実籾本郷公園」は谷津・谷戸(谷筋)にあたる。
2010年代のようす。中央上に、京成線「実籾」駅。斜め直線の道が「東金御成街道」。中央左が「実籾本郷公園」。
「東金御成街道」はほぼ直線で貫かれていますが、丘陵地帯と谷戸とをほぼ交互に進むので、けっこうアップダウンが多い道となっています。
右手に「張替酒店」。
以下の項は、「」HPより。写真も。
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4代目店主の張替正信さんに、お話を聞きながら店内を案内してもらいました。
張替酒店の創業は1905年(明治38年)で、今年でなんと創業114年になります。
この建物は昭和6年に建てられて、今もなお現役で実際に住居としても使っているというのだから驚きです。釘を1本も使わずに組み上げられたそうで、今でも改修などで大工さんが来るとみなさんその技術の高さにビックリすると言います。
大久保は現在の日本大学、東邦大学のあった場所に陸軍騎兵旅団の指令本部が置かれており駅前から続く商店街も含めて周辺には御用商人が軒を連ねていました。だから歴史あるお店もいまだに残っていて、張替酒店もその一つ。
騎兵出身だった初代の張替一郎さんがお店を立ち上げ、以来終戦まで御用商人として軍に出入りしていました。そのため敷地の奥には、軍の偉い人を招いて宴会を開く離れもありました。
なんと離れは今も現存している!特別に見せていただいた。
離れ。
この場所で生まれ育った正信さんは、学校を卒業して一度は旅行会社に就職し、添乗員としてツアーの案内で全国を回りました。その後実家に戻り父の手伝いを始め、30年以上酒屋を一緒に営みました。
昔、酒樽を置いていた棚もそのまま利用している。
自分の生まれ育った家でもあり、素晴らしい造りなのでなるべく綺麗に残したいと、店内のレイアウトも昔の良さを崩さずに現代的なレイアウトに変えていったという正信さん。
自分が美味しいと思ったお酒は直接蔵元へ行き仕入れ先を開拓して行きました。
「今はお酒もネットで買う時代ですが、好みを聞いて、それに合うお酒を会話の中で提案していくというのは、やっぱり対面販売ならではですよね。加えてこうして残している古い建物をお店に来て見ていただけるのも、一つの楽しみにしていただければ嬉しいですね」と語ってくれた。
確かに酒を買うだけならコンビニでも買えるこの時代。それでも張替酒店が続いているのは脈々と続く歴史に裏打ちされた信頼あってのものでしょう。それに加えてこのお店、建物そのものが魅力の一つになっていますね。
まだ行ったことがないという人は、是非一度訪ねて見てはいかがでしょうか?
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来た道を振り返る。左手に「張替酒店」。
1900年代。陸軍騎兵聯隊。(「今昔マップ」より)。
2000年代と比較。(「同」)
京成「大久保」駅付近の賑やかな通りに。ユニークな建物。
「日大生産工学部実籾キャンバス」が左手に。
「京成本線」の踏切を越えます。左手に「実籾」駅。
踏切を越えた付近に「一里塚」があったようですが。
右手奥、「実籾本郷公園」に古い住宅が残されているという案内があるので、坂道を下っていきます。
鴇田(ときた)家住宅(裏手から)
旧鴇田家住宅は、享保12年(1727)から翌13年にかけて東金(御成)街道沿いに建築され、江戸時代に実籾村の名主をつとめた鴇田家の住居として、平成3年(1991)まで使用されていました。平成12年10月にほぼ建築当初の姿で移築復元され、同年11月に開館しました。
L字型に曲がった主屋は、かつて東北地方に多く分布していた「曲屋(まがりや)」であり、南関東ではきわめて珍しい建築様式です。また、身分の高い人が来訪した時に使う「ゲンカン(玄関)」や、その供の者が待機した「トモマチベヤ(供待ち部屋)」、江戸時代の民家としては貴重な客便所など、名主の家にふさわしい特色を伝えています。(「解説文」より)
建物の規模、規格。
「曲屋(まがりや)」形式の主屋。
土間のカマドでは火を焚いていて、煙が漂い、いぶされた雰囲気が懐かしい。
「上宿庭(かみじゅくてい)」。
この鴇田住宅のある「実籾本郷公園」は、けっこう木々も多く、広々としたアヤメ畑や湿原などもあって、ゆっくり散策できるところ。小休止しました。
案内板。
カルガモの集団が水辺に。
この地域にまつわる民話なども解説板に。
1880年代のようす。湿地帯と畑地とが区分されていて、今の「実籾本郷公園」は谷津・谷戸(谷筋)にあたる。
2010年代のようす。中央上に、京成線「実籾」駅。斜め直線の道が「東金御成街道」。中央左が「実籾本郷公園」。
「東金御成街道」はほぼ直線で貫かれていますが、丘陵地帯と谷戸とをほぼ交互に進むので、けっこうアップダウンが多い道となっています。
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