おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

横浜鉄道。JR横浜線。東神奈川。横浜市場。廃線跡をたどる。横浜編その4。

2014-02-25 21:05:42 | 鉄道遺跡
 もう一つ「東神奈川と東高島」とを結ぶ貨物支線の遺構探し。この路線は、前回の「鶴見」~「桜木町」(高島線)、その支線・瑞穂埠頭への貨物線(のちの米軍専用線)とは異なり、横浜線(「東神奈川駅」)から派生した支線。
 もともとは、1908年(明治41年)、八王子や信州で生産された生糸を横浜へ輸送することを目的として、「横浜鉄道」によって開業した東神奈川駅 - 八王子駅間(現・横浜線)に由来。
 横浜鉄道は、神奈川沖の海を埋め立てて岸壁を建設し、そこに貨物線を伸ばして海陸連絡を図る構想のもと、東神奈川駅から海側へ貨物線を延長することになった。すでに東神奈川駅のすぐ海側には京浜電気鉄道(後の京急本線)の線路があったために、京浜電気鉄道の線路を高架化することになり、京浜電気鉄道・仲木戸駅の下をくぐって、横浜鉄道の線路が延長された。その時、海岸側に設置された駅が海神奈川駅(現・神奈川水再生センターの一部)で、1911年(明治44年)に開業。
(「神奈川水再生センター - 横浜市」公式HPより)
 この海陸連絡線は開業から国鉄が営業することになり、その後1917年(大正6年)、横浜鉄道は正式に国有化され、国鉄横浜線となった。
 この横浜鉄道の海陸連絡線は、横浜港において初めての臨港貨物線だったが、岸壁を造成できないままに終わって、本格的な船舶との連絡を果たすことはできなかった。
 横浜線の海陸連絡線は、東神奈川駅の東側で横浜線から分岐して南へカーブを切り、京急本線を仲木戸駅の下にあるガードでくぐって、国道15号(第一京浜)を横断して千若町の海神奈川駅へ至る構造であった。東神奈川から高島までの貨物線もこれと平行して敷かれていた。

線路の跡だと思われる駐車場。中央奥に行ったところが「東神奈川」駅構内。
京急「仲木戸」駅」ガード。この下を通って東高島駅方向に向かった。ガードの中央付近に古い煉瓦造りの部分が残っている。
旧線路脇の「仲木戸公園」煉瓦造りの門柱、塀。
「第一京浜」の歩道橋から仲木戸駅方向を望む。赤丸が京急線とのガード。そこをくぐって二つの貨物線が赤線のように進んでいた(一方はそのまま東に向かい「海神奈川」へ、もう一方は南にカーブして高島線「東高島駅」付近で合流)。
ゴルフ練習場のフェンスに沿って線路があった。右にカーブして運河を渡り、東高島駅に通じていた(「東神奈川」~「高島」)。
現在は、民間会社の構内。
当時の橋梁が現存している。
運河に架かる橋梁。

 第一京浜に架かる歩道橋。そこに案内図がありました。
(注:上が北になるよう回転させている。)が東高島駅。その下(南側)一帯が構内。付近にも引き込み線があった。現在はすっかりなくなっていて、再開発(計画)を予定しているようす。左(西)の○が「第一京浜」。
付近。引き込み線があったところ。現在は、かなり規模が大きい駐車場(空き地?)。
東高島駅構内。付近。
構内は広い。
 西側部分は、線路は撤去され、陸上での物流関係の集積場になっている。
かつてのホーム跡?
頻繁に電気機関車や貨物列車が行き来している。

横浜市場へ向かう支線の跡?
線路は遮断されて、ここから市場へ向かう線路跡は見当たらなかった。
市場へ向かう支線が通っていたと思われる「星野公園」から東高島駅方向を望む。

1970年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。中央に大きく広がる「東高島駅」から分かれて南に進む線路が横浜市場への支線。現在は、すでに廃線。

昭和初期の頃のようす(「今昔マップ」より)。赤い線が貨物線。「仲木戸」駅付近に「御殿町」という地名があるのに注目(赤丸)。「仲木戸」駅名は、神奈川御殿の「仲木戸」の由来。
神奈川御殿。
「国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所」HPより引用)

これは、運河にうち捨てられた「廃船」!


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 再び「仲木戸」訪問。廃線踏... | トップ | 神奈川砲台(神奈川台場)跡... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

鉄道遺跡」カテゴリの最新記事