おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「Salon Kity」(Tinto Brass)(古きよき映画シリーズ。その40。)

2013-09-28 23:24:43 | Tinto Brass
サロン・キティ(ドイツ語: Salon Kitty)

 1930年代から1940年代にかけてドイツの首都ベルリンにあった高級娼館。1939年から1942年にかけての時期は、SD(親衛隊(SS)内部におかれた情報部)が経営を乗っ取り、諜報目的で運営していた。
 要人たちが使うような高級娼館を諜報活動に使うというアイデアは、親衛隊幹部で情報部門を掌握していたラインハルト・ハイドリヒによるものだが、実行に移したのはその部下のヴァルター・シェレンベルクだった。ハイドリヒやシェレンベルクのアイデアは、ドイツ各界の要人たちや各国外交官らを酒と女性でもてなし、枕元で女性に対してナチ党や政府への率直な意見や不満、自国の内密の情報などを打ち明けるのを傍受して、不満分子を摘発したり機密情報を得たりするのに役立てようというものだった。娼館にSDのエージェントを浸透させるという案に対し、シェレンベルクは娼館そのものをSDが乗っ取り経営することを主張した。
 乗っ取りの対象となった高級娼館サロン・キティは、シャルロッテンブルク区ギーゼブレヒト通り(Giesebrechtstrasse)11番地にあった。この地区はベルリン西部の裕福な階層が暮らす地区で、サロン・キティの主な顧客はドイツ各界の高位の人物や、各国の外交官などであった。爛熟したヴァイマル文化の残る1930年代初頭以来、この高級娼館を経営していた女主人(マダム)は、1882年生まれのキティ・シュミット(Kitty Schmidt, 本名 Katharina Zammit)という人物であった。キティ・シュミットは、ナチ党の権力掌握以来、他国へ亡命しようとする人々をひそかに助けつつ、自らもイギリスの銀行へ送金を続けていた。彼女自身もついに国外へ逃げようとしたが、1939年6月28日、SDのエージェントによりオランダとドイツの国境で逮捕され、ベルリンのゲシュタポ本部へと送られた。
 シェレンベルクはキティ・シュミットに面会し、サロン・キティをSDに使わせてナチ党の諜報活動に協力するか、SDへの協力を拒否して強制収容所へ送られるかの二者択一を迫り、防諜活動への協力を強いた。
 SDはサロン・キティを「改装」の名目で一時閉店し、その間に大量の盗聴用マイクロフォンを全館に仕掛けた。マイクからの送信線は地下室に引き込まれ、そこから顧客たちの話の傍受・監視を行う部屋へと続いていた。
 この娼館でエージェントとして働く女性を確保するため、ベルリンの道徳警察(風紀警察、Sittenpolizei)が逮捕した多数の娼婦の中から、頭がよい、多国語を理解する、思想的にナチス寄りなど、エージェントの素質がある者20人を選出した。彼女らは7週間にわたり厳しい思想教育や訓練を受けた。その中には各種の軍服の見分け方や、他愛のない会話から機密を収集する方法などもあった。彼女らは顧客を相手するごとに報告を行うことが義務付けられた。一方で、隠しマイクが部屋毎にあることについては知らされていなかった。
 1940年3月、サロン・キティは営業を再開した。キティ・シュミットは、何事もなかったかのように営業を続けるよう命じられた。ただしある特定の種類の客に対してのみ、普通の顧客には見せない20人の女性の情報が載った冊子を見せるよう指示された。もし店に来た客がキティに「私はローテンブルクから来たのだが」という合言葉を言えば、彼女は20人の女性の情報が載っている特別な冊子を出し、客はその中から一人を選んで夜を共に過ごすことになっていた。
 ナチ党や政財界の要人、軍部の高官、駐ドイツ外交官らの間に、「サロン・キティでは、要人だけの特別な合言葉を言えば、一般人には紹介しない選り抜きの女性を紹介してくれるらしい」という話が広がり、サロン・キティは人気のある店になった。
 サロン・キティの傍受担当者は要人たちの会話数千件分の録音を行っている。顧客の中にはイタリアの外務大臣ガレアッツォ・チャーノがおり、彼はベッドで、アドルフ・ヒトラーの今後について見通しは暗いと率直なところを語っている。親衛隊大将ヨーゼフ(ゼップ)・ディートリッヒは一晩で20人全員の相手をしたいといい徹夜の乱交を繰り広げたが、何一つ秘密めいたことは口にしなかった。
 ラインハルト・ハイドリヒは何度かサロン・キティに行って「査察」を行ったが、彼は自分が女性を相手している部屋のマイクの電源は切らせていた。
 第二次世界大戦が進むにつれ、サロン・キティの顧客は減少していった。1942年7月には連合軍の空爆で、サロン・キティが入っている建物に爆弾が落ち、同じ建物の地階への移転を余儀なくされた。1942年の終わりにはSDはサロン・キティでの諜報活動を終え、もし秘密を洩らせば報復を行うと脅したうえで経営をキティ・シュミットに返還した。20人の女性もサロン・キティに残ることになった。
 サロン・キティは戦後営業を再開し、経済の復興とともにふたたび人気の娼館となった。1954年にキティが没した後はその娘が跡を継いだ。キティは結局、戦中の活動については語ることはなかった。
 SDが娼館の経営を乗っ取り要人に対する諜報に使った、というサロン・キティの話は、Peter Norden が小説にし、ティント・ブラスの監督、ヘルムート・バーガー(ヴァルター・シェレンベルクをモデルにした「ヘルムート・ヴァレンベルク」役)とイングリッド・チューリン(マダム・キティ役)の出演で、『サロン・キティ』というタイトルで1976年に映画化された。日本ではポルノ映画として、『ナチ女秘密警察 SEX親衛隊』という題名で劇場公開されている。
(以上、「Wikipedia」を参照。)

 そこで、その映画を。1976年の作。70年代にはやった、邦題からも分かるように、日本での公開当時はナチスを題材にした、エロ・グロ映画というくくり(実際、ナチス・ファシズムはまさにマゾとエロ・グロの世界だと思えます)となっていた。手に取って、借りて観るのもちょっとが臆するものだが、たしかに中身はそういう部分もあるが、全体的にはナチスと呼応したのムッソリーニ・ファシズム体制を歴史に持つ、ブラス監督の初期の意気込み(ファシズムへの批判)が感じられる作品となっていて、単なるエロ・グロ映画ではありません(と思いました)。

《あらすじ》
 1939年、ベルリン。ナチ親衛隊の将校バレンベルグ(ヘルムート・バーガー)は、上官ビオンド(ジョン・スタイナー)から、容姿に優れ、肉体的に健康で、ドイツ国民として健全な思想を持つアーリア系の白人20名を集めることを指示される。女性の中には、若い少女マルゲリータ(テレサ・アン・サヴォイ)も含まれていた。マルゲリータは裕福なブルジョワ家庭に生まれ育ったお嬢様だったが、ヒットラーの国家社会主義に心酔し、国家の理想のためなら、と自ら志願した。

 体育館に集められた女性たちは次々と服を脱がされ、若くて屈強な兵士たちとの集団セックスを命じられる。
音楽隊が軽やかな曲を奏でる中、乱交が始まる。映画カメラも回っている。

 それぞれの女性たちは個別の部屋へ移動させられ、小人、レズビアン、老人などを相手に性の奉仕を強要され、そのようすを厳しくチェック、選別する。
 さらに、バレンベルグはベルリン市内の高級娼館「サロン・キティ」のマダム(イングリッド・チューリン)を無理矢理、支配下に置き、親衛隊公認の高級娼館としてリニューアル・オープンすることとなる。


 しかし、そこには訓練した娼婦たちをスパイとして送り込み、彼女たちが見聞きした顧客たちの個人情報をデータとして集めるという目的があった。さらに娼館内部に盗聴器を仕掛け、娼婦との会話を傍受していく。サロン・キティの常連客には大物政治家や軍幹部も多い。彼らの性癖を含めた秘密情報を入手することで弱みを握り、必要に応じて政治的な交渉や脅迫の材料にしようという目的だった。
 そうした中、マルゲリータは客のハンス・レイテル(ベキム・フェミュ)という兵士と親しくなる。ハンスはナチス・ヒトラーに対する強い反感を抱いていた。


 ショックを受けるマルゲリータ。彼女はハンスの言動をウソの報告書として作成し、バレンベルグに提出する。しかし、ばれてしまい、ハンスは反逆罪で処刑されてしまう。
 一方で、しだいにナチズムのほころびは表面化し、模範的な国家社会主義者を自負していた娼婦のスーザンが狂死する。


 ある日、マルゲリータはハンスのことを口汚く罵る兵士を射殺してしまう。銃声を聞いて駆け付けたマダム・キティは、兵士の自殺として虚偽の報告をする。

 マルゲリータは実家へ戻ることとなった。しばらくして、マルゲリータの実家へマダム・キティがやって来る。そこで初めて、マダムは娼館が親衛隊のスパイ活動に利用されていることを知らされた。また、マダムがナチスのシンパでないことを知る。


 バレンベルグに憎しみをもつマルガリータは、マダム・キティと謀り、反ナチ的な言動をバレンベルグに言わせ、それをテープに録音した。それによって、バレンベルグは部下の手によってあっけなく射殺される。

ラスト。爆風で吹き飛ばされる娼館。

(あらすじは、angeleyes.dee.cc/なかざわ ひでゆきさんのHP記事を一部、参照しました。)

 随所に監督の才気を感じさせる。生きた豚を切り裂く場面。その周囲で笑い興じるナチス将校と女性達。遺体の公開。女性へのサディスティックなナチス将校。ヒトラーの映像にオーバーラップさせながらの発狂シーン。裸体のバレンベルグへの銃殺(「カリギュラ」のラストシーンとも重なる)。・・・。
オープニング。けだるいバック音楽に合わせて歌う、マダム。半身男性、半身女性の顔、コスチューム。うまく反転させながら歌うという凝った演出。展開を通じ、イングリッド・チューリンの妖艶な演技も見物。
現代的な様式美。
これ以降、多用される鏡を用いた映像効果。
 
 硬軟両様を見事に使い分ける監督。軽いのりの「ポルノ」作品ばかりではないことに気づかされる。

※「画像」は、すべて「YouTube」より。

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