おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

利根川(河口~100㎞地点)。総集編。その5。古利根沼。小堀の渡し。田中調整池越流堤。七里ヶ渡

2022-02-18 22:14:38 | 利根川を歩く

                    「海から77㎞」ポスト。

左の道は「県道170号」。

「利根川ゆうゆう公園」。

      オフロードのサイクリング コース。何人か練習しています。

この先には、サッカー場と野球場のほか、ピクニック テラスなどがあります。                 

「仲馬倶楽部」。 

遠くに日光連山。

「海から80㎞」。

突然、左下の道路際に「茨城県取手市」の標識が。ここまでの道筋は、「千葉県我孫子市」でしたが。

      

           正面の道路から右側一帯が取手市になります。どういうわけ?

実は、かつての利根川の流路にあたるのが、現在の「古利根沼」。

流路変更によって現在の利根川になりましたが、そのまま取手市の一部(小堀地区)が利根川をはさんで残っているわけです(↓)。川の付け替えが行われたことで、取手市(当時は取手町)の飛び地ができてしまったのです。

                                       (「今昔マップ」より)

また地名の「小堀」は「こぼり」ではありません。「 おおほり」です。「小」なの「大」という読みになるという不思議(地元の熱意?)。

       建物の向こうに「古利根沼」が広がっています。

        利根川に通じる水路が見えます。

   

      (「」HPより)

取手市役所などに出かけるにもオオゴト。近くの橋は「国道6号線」のみ。

小学校、中学校も取手市立の学校に通うことに。

学校に関してはあくまでも取手市の学区になります。 小学校は取手小学校、中学校は取手東中に通学することになります。(いずれも利根川の対岸) ただ、行政側で小堀地区への循環バスを走らせています。 小堀地区と取手駅や市民センター・取手小・取手東中を結ぶバスで、無料で乗車できます。 幼稚園に関しては義務教育ではありませんので、近隣のお好きな所へ。 取手市でも我孫子市でもOKです。 ちなみに、取手市には市立幼稚園がありますが、我孫子市には市立幼稚園がありません。 我孫子市内は全て私立幼稚園で、我孫子市民ならば我孫子市からの私立幼稚園への通園補助金が出ます。 (取手市民の場合は、仮に我孫子市内の幼稚園に通園しても、通園費などの補助は取手市の基準で適用されます。)

(この項、「」HPより)

循環バスだけではありません。渡船があります。

「小堀(おおほり)の渡し」の幟。

上流に向かいます。

「小堀(おおほり)の渡し」は、茨城県取手市内を結ぶ取手市営の渡船(とせん)(渡し舟・渡し船)です。利根川をはさみ、市内中心部と小堀(おおほり)地区を結び運航しています。

奥に「古利根沼」。

     旧利根川の土手跡が沼まで続く。

再び「千葉県我孫子市」に。

常磐線・上野東京ラインの鉄橋が間近に。重なるように「大利根橋」が向こうに。

      

                 「東我孫子カントリークラブ」。

「国道6号線(水戸街道)」・「大利根橋」。

左手遠くに「富士山」(↓)。

「海から86㎞」ポスト。

遠く、我孫子市の街並み。

しばらく行くと、土手の道は通行禁止に。その先は「田中調整池越流堤」。ここまでの堤防の高さより一段低くなっていて、堤防が頑丈に造られています。

実は広大な農地は貯水池の役割も担っているのです。

2019年の台風19号では利根川や荒川水域では大きな被害を受けました。その時、この一帯は、堤防を越境させ田畑に流し、下流への被害を少なくした、と。

せっかく丹誠込めて育てた稲などの野菜が、一瞬のうちに水没してしまうことは忍びない感じがしますが、利根川下流一帯の浸水被害を少なくするための施設として機能しています。

堤を下り、「二号排水路」沿いを進みます。

一羽のシラサギが。            

気がつくと、一般の(干拓した)田畑では、田畑の他に家屋が点在していますが、この地域には温室などの小さな工作物はありますが、家屋はまったく見当たりません。目的がはっきりしているわけです。

再び土手の道へ。

             

「海から89㎞」。

足もとの土手には菜の花がさきはじめています。この先、斜面には菜の花(もしかしたら「セイヨウカラシナ」? )が群生しています。本格的な開花にはまだ先のようですが。

          満開には見事な菜の花の群生に。

新大利根橋。

         

橋のたもとに。

七里ヶ渡跡

七里ヶ渡は、布施と戸頭(取手市)との間に設けられていました。

江戸幕府は元和2年(1616)8月、この地を関所の役割を兼ねた定船場としました。当時の渡船地点は明治13年作成の迅速測図、昭和31年頃の写真や当時の利用者の話等からこのあたりであったと推測されます。

幕府が江戸の防衛の意味から、利根川に橋をかけなかたこともあり、下総と常陸を結ぶ要衝としてこの七里ヶ渡は栄え、布施村には5軒の旅籠があって宿場町的な繁栄も見られました。また水戸街道の脇往還としての役割も果たしていたことから往来が多かったようです。

七里ヶ渡には布施河岸が併設されていました。当時、東北地方・利根川下流・霞ヶ浦沿岸の荷物は、利根川をさかのぼり、関宿を迂回して江戸に向かうのが常でした。それが上流に洲ができて船の往来が困難になったため、布施河岸で荷を下ろし、陸路で江戸川の加村河岸(流山市)へ運ぶようになりました。

明治23年に利根運河が開通すると、利根川をさかのぼってきた船は、利根運河を通じて江戸川に出るようになり、布施河岸の役目は終わりましたが、七里ヶ渡は昭和30年頃まで続けられました。

利根川上流河川事務所

     

今回は茨城県取手市、千葉県我孫子市・柏市にまたがる歩きでした。


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