おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その1。特急「わかしお」。曲尺手。前原海岸。加茂川。鴨川漁港。万騎坂。(「房総東往還」を歩く。第9日。)

2024-01-23 21:42:55 | 房総東往還

「安房鴨川駅」から「江見駅」までの歩き旅。

船橋~安房鴨川の往復を特急「わかしお」を利用しての旅。

安房鴨川に着いたのが午前11時少し前。そこからの歩き。

帰路は、「江見」から「安房鴨川」。そこから午後3時半過ぎの特急で。

「大人の休日倶楽部」を利用したので(往復で200㌔を超えます)、3割引で大いに助かりました。

1月19日(金)。あいにくの曇り空時々晴れ。しかし、強い風もなく、穏やかな日和でした。

安房鴨川までの車窓から。

                      鳶が盛んに上空を舞う。

              

「安房鴨川駅」。

駅前の通りを進み、「伊南房州通往還=房総東往還」に出ます。

ここは、曲尺手になっていました。小湊方面からだと、右折して、すぐ左折します。

        

                 この角に道標があったのですが、見落としました。

商店と住宅が建ち並ぶ街道を進みます。                                

左側は海岸。    

                

バス停「前原海岸」。    

典型的な曲尺手。

「加茂川」。

         上流方向。

河口方向。

「加茂川」をはさんで旧市街地が続きます。

※前原地区には、二ヶ所「曲尺手」が残っています。                  (「今昔マップ」より) 

鴨川(市)のゆらい

  • 「千葉県町村合併史」には、「明治22年の合併に当り新町の名称は、鴨川町と決定したが、それは新町内を加茂川が貫流し、且つまた「倭名類聚抄」に長狭郡に加茂郷の郷名がみえ、それが当地区で在ったと推定されるので、そうした史的所伝に基づくものである。」と記載されています。
  • なお、「倭名類聚抄(ワミョウルイジュショウ)」(和名抄)とは、平安中期の漢和辞書です。
  • 「鴨川沿革史」(昭和39年2月・鴨川図書館)には、「古昔この地方を賀茂(カモ)郷と称した。)平塚(ヒラツカ)村より前原町・貝渚(カイスカ)村まで5里の間を貫流している川は、京都の鴨川に似ていると云うので加茂川と称したのを、明治22年4月の町村合併の時、町名に「加茂」を「鴨」に作り鴨川町と名付けた。」とあります。
  • 以上が代表的なもので、諸説がありますが確かなことは分かりかねます。

(この項、「」HPより)

橋を渡ると、街道筋の雰囲気が残る街並みに。

この付近から緩い上り坂(「万騎坂」)になります。

「←鴨川漁港」。

万騎(まんき)坂

古くから漁師町としての雰囲気が漂う貝渚と磯村地区を結ぶ万騎坂。源頼朝が石橋山の合戦に敗れ、逃げのびた後、仁右衛門島にて身を隠し静養した後、再起し、鎌倉へ向かった際に万にものぼる味方とともにこの坂を進んだことが、この名称の言われ。近くにある白幡神社も源氏のシンボルである「白旗」にちなんでいるのは、偶然ではないはず。

(この項、「」HPより)

※「万騎坂」という名の坂は、袖ケ浦市にもあり、ここと同様に、頼朝が再起して鎌倉に向かった、とのいわれがあるようです。


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