かつての田園地帯を南に進む「新金線」。「中川」の東側を通ります。
その途中。
用水路跡(線路の西側)。
線路の両側(東西)は、緑道として整備されているが、線路下はご覧の通り。
振り返ると、用水路跡(緑道)が西へまっすぐ進んでいきます。
そのまま追っていくと不自然なかたちで緑道が狭くなり、車両通行止めに。用水路跡の証拠。
ネコがお昼寝。○のところ。
用水路跡。(線路の東側)。住宅地で行き止まり。振り返ると、まっすぐに「大堰枠」の方向へ。
鉄道開通後の地図(地図は、「今昔マップ」さんより転載。以下、同じ)。ちょうど○のところに当たる。
「三重田街道踏切」。「東用水」沿いの道路。整備されて道幅も広く明るい雰囲気の道路に大変化。「三重田街道」のいわれは浅学のため、不明。この道は「大堰枠」から「小合溜」の方向に進み、さらに戸ヶ崎方向にも。その辺りの地名と関連があるか?
赤い線が「三重田街道」。○が、後の「新金貨物線」との交差地点。水戸街道の宿場町だった新宿から東北の方向へ進んだ「街道」のようだ。
「東用水」跡でもある。
ほぼ4年前のときの同じ地点。鉄橋が工事中の土砂の中に埋もれています。
「浜街道踏切」=「水戸街道」。「水戸街道」は、「陸前浜街道」と称されていました。
踏切脇の水路跡。
補強された橋桁の上に線路。
さすがに水は流れていない。
踏切から東を望む。
踏切から西を望む。正面の奥が「水戸街道(浜街道)」と「柴又街道」との分岐点。
「帝釈道」の道標。
「柴又踏切」を望む。
「柴又踏切」。柴又帝釈天への道。現在の「亀有警察署」の脇を通って行く。
この脇にも用水路跡。
雑草に覆われていた。
振り返って金町方向を望む。
○の、上から「三重田街道」「浜街道」「柴又」踏切。
「新宿新道踏切」。現水戸街道(国道6号線)の踏切(「新宿新道」という呼称に注目)。幹線道路のため、ここの交差、通過(交通渋滞)をどうするかが、大きな課題。「亀有警察署」付近の大がかりな拡幅工事、「中川大橋」付近からの高架工事のからみなど難点が多い。
撮影時には少し交通量は少なめだったが。
午後1時40分頃、水戸街道の踏切(新宿新道踏切)を電気機関車1両が通過。長い渋滞が生じた水戸街道上り。渋滞の先が踏切の赤信号。(後日に撮影したもの)
その途中。
用水路跡(線路の西側)。
線路の両側(東西)は、緑道として整備されているが、線路下はご覧の通り。
振り返ると、用水路跡(緑道)が西へまっすぐ進んでいきます。
そのまま追っていくと不自然なかたちで緑道が狭くなり、車両通行止めに。用水路跡の証拠。
ネコがお昼寝。○のところ。
用水路跡。(線路の東側)。住宅地で行き止まり。振り返ると、まっすぐに「大堰枠」の方向へ。
鉄道開通後の地図(地図は、「今昔マップ」さんより転載。以下、同じ)。ちょうど○のところに当たる。
「三重田街道踏切」。「東用水」沿いの道路。整備されて道幅も広く明るい雰囲気の道路に大変化。「三重田街道」のいわれは浅学のため、不明。この道は「大堰枠」から「小合溜」の方向に進み、さらに戸ヶ崎方向にも。その辺りの地名と関連があるか?
赤い線が「三重田街道」。○が、後の「新金貨物線」との交差地点。水戸街道の宿場町だった新宿から東北の方向へ進んだ「街道」のようだ。
「東用水」跡でもある。
ほぼ4年前のときの同じ地点。鉄橋が工事中の土砂の中に埋もれています。
「浜街道踏切」=「水戸街道」。「水戸街道」は、「陸前浜街道」と称されていました。
踏切脇の水路跡。
補強された橋桁の上に線路。
さすがに水は流れていない。
踏切から東を望む。
踏切から西を望む。正面の奥が「水戸街道(浜街道)」と「柴又街道」との分岐点。
「帝釈道」の道標。
「柴又踏切」を望む。
「柴又踏切」。柴又帝釈天への道。現在の「亀有警察署」の脇を通って行く。
この脇にも用水路跡。
雑草に覆われていた。
振り返って金町方向を望む。
○の、上から「三重田街道」「浜街道」「柴又」踏切。
「新宿新道踏切」。現水戸街道(国道6号線)の踏切(「新宿新道」という呼称に注目)。幹線道路のため、ここの交差、通過(交通渋滞)をどうするかが、大きな課題。「亀有警察署」付近の大がかりな拡幅工事、「中川大橋」付近からの高架工事のからみなど難点が多い。
撮影時には少し交通量は少なめだったが。
午後1時40分頃、水戸街道の踏切(新宿新道踏切)を電気機関車1両が通過。長い渋滞が生じた水戸街道上り。渋滞の先が踏切の赤信号。(後日に撮影したもの)
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