おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

墨田区・北斎通り(その1)

2012-12-13 22:54:37 | 歴史・痕跡
 ついでに。
 JR錦糸町駅のすぐ北側、東西に延びる道は、墨田区が「北斎通り」と命名した道。約3㎞。東端は横十間川に架かる「錦糸橋」から西端は両国の清澄通りまでのまっすぐな道路です(約2㎞)。かつて「大横川」から西に進む道の中央には堀割があった、とのこと。
明治13年頃のようす。中央・南北の水路は「大横川」。地図上で少し南側、そこから西に流れている水路が「南割下水」。周囲には池・堀などもあり、この辺りは、水路や田畑があって、じめじめした印象をもつ界隈。東南一帯が現在の錦糸町北口付近。現在、「トリフォニーホール」「東武ホテル」などが建ち並んでいる。戦後しばらくは、錦糸町駅構内に通じる堀割が広がっていた。
中央付近。堀割の北側付近に北斎の生家があったと伝えられている。
西端。JR両国駅北口付近。現在は「江戸博」「第一ホテル」「日大一高」などがある。その手前までが現「北斎通り」ということに。隅田川にかかる橋は「厩橋」。「両国橋」は地図上ではもっと下流に位置する。
「錦糸橋」から横十間川の上流を望む。
「錦糸公園」からのスカイツリー。高層ビルのあるところは、「精工舎」の跡地。
公園の北隅にある「千種(ちぐさ)稲荷神社」。徳川四代将軍家綱の時代(寛文~延宝)に治水工事が行われ、その後、柳島村の守護神として祭られたと伝えられている。明治時代になってからも、保護されて郷土の守護神として残された。
津軽稲荷神社。錦糸町駅から西北。大門通りとの交差点近くにある。青森・弘前城主津軽四郎為信十万石の下屋敷にあったので、津軽稲荷という。
大横川に架かっていた「長崎橋」のモニュメント。「」が正式か?
「大横川親水公園」からのスカイツリー。
公園脇の公衆トイレ。内装も外装も北斎の描いた絵が。
男子トイレの内装。女子トイレにもあるがさすがに覗けなかった。
この付近から西端まで、街歩き「北斎ギャラリー」として街路灯の側面にほぼ二枚ずつ北斎の絵がはめ込まれ(解説だと94点)、道行く人を楽しませる趣向。
「北斎通り」西側を望む。

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