夕方から予定が入り、短い距離を歩くことに。往復の電車賃を考えると、ずいぶんの無駄遣いでしたが。
前回の駅、相鉄本線「三ツ境駅」から小田急江ノ島線「桜が丘駅」まで。その先まで歩いても、バスで「桜が丘駅」まで戻るしかなさそうなので。
※「三ツ境」は「みつきょう」と発声するようです。「みつさかい」ではない!
駅前の歩道橋から、
遠くに真っ白な富士山。
手前に丹沢・一番左が大山。
駅前から「中原街道」へは、住宅地で迷いましたが、やっと
「中原街道」へ。
「二つ上橋」交差点。
※「二ツ橋」は和泉川下流(南)に架かる橋。
「二ツ橋地名由来の碑」。
隣に「瀬谷村瀬・・・」、「石橋供養塔」など
「相模野の 流れもわかぬ 川水を 掛けならべたる 二ツ橋かな(道光親王 文明16年11月 詠)
しみじみと 清き流れの 清水川 かけわたしたる 二ツ橋かな(徳川家康 慶長18年12月 詠)
二ツ橋地名の由来はこの歌のいずれかは詳さではないが、二首ともにこのあたりの清らかなたたずまいにふれて詠まれたもので その昔は豊かな自然に恵まれた土地であったと思われます。
二ツ橋学舎跡
ここより東方100mにある二ツ橋学舎跡は、文久3年(1863)山名平左衛門義実が此の地に学舎を創設、武相二州に亘って学業の実を挙げその子弟から数多くの人材を輩出、明治大正の時代にかけての指導者は山名先生の訓育によるものが多かったと伝えられています。」
しみじみと 清き流れの 清水川 かけ渡したる 二ツ橋かな
徳川家康公詠まれたるものと伝えられ二ツ橋町名の源となる
中原街道道標。「右 八王子往来 左 神奈川往来」。
この付近の今昔。
(1880年代)「二ツ橋村」とある。
※北上すると、「川崎宿」にも通じていた。
(現在)「和泉川」の川筋が整備されている。
※中原街道と交差する直線道路は「厚木街道」。旧厚木街道は「三ツ境駅」付近に残っている。
和泉川は、旭区との境にある瀬谷市民の森付近を源流として、瀬谷区・泉区をとおり、戸塚区で境川に合流しています。瀬谷区内では、二ツ橋から宮沢の約2.8km区間で6つの水辺が整備されており、この長い区間が水と緑で繋がっていることが一番の魅力となっています。
(右が北方向)
「南台」交差点。交差するのは「厚木街道」。
江戸時代は大山道、相州道とも呼ばれ、厚木より東海道 保土ヶ谷宿・神奈川宿を結ぶ道であった。三ツ境から東希望が丘、二俣川小学校前を通り、本村町・本宿町・三反田町・市沢町を経て保土ヶ谷区内に入る道で、江戸時代より明治中期まで賑わった旧道とされる。(「Wikipedia」より)
西方向。
○が、「二ツ橋地名由来の碑」がある交差点。↓が「厚木街道」、直線化されている。 (「今昔マップ」より)
先に進みます。
「茅ケ崎まで20k」。
現在の「中原街道」は、茅ケ崎に向かいます。
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