高村薫の「黄金を抱いて翔べ」のクライマックスで、やや構成に乱れのあることを発見した。
まず、住田銀行の機械室で死体で発見された岸口さん=ジイちゃんが実は主人公幸田の父親=神父であったことが明かされる場面(p346)で、直前に何の伏線もないのがひっかかる。そもそも、「父親探しの旅」で父が発見される場面は、もっと劇的なシーンでなければならないはずである。
何よりも大きな欠陥は、幸田と「神の国の話がしたい」と生前語っていたモモ(北朝鮮からのスパイ)のキャラが、どことなく岸口のジイちゃんと被る点である。あえて2人を登場させる必要があるのか、むしろ、ジイちゃんを厚く書いた方がよかったのではないかと思う。
・・・ともあれ、優れた作品であることは間違いない。
まず、住田銀行の機械室で死体で発見された岸口さん=ジイちゃんが実は主人公幸田の父親=神父であったことが明かされる場面(p346)で、直前に何の伏線もないのがひっかかる。そもそも、「父親探しの旅」で父が発見される場面は、もっと劇的なシーンでなければならないはずである。
何よりも大きな欠陥は、幸田と「神の国の話がしたい」と生前語っていたモモ(北朝鮮からのスパイ)のキャラが、どことなく岸口のジイちゃんと被る点である。あえて2人を登場させる必要があるのか、むしろ、ジイちゃんを厚く書いた方がよかったのではないかと思う。
・・・ともあれ、優れた作品であることは間違いない。