谷崎が最も嫌悪した自作が「金色の死」であるならば、川端のそれは、「禽獣」ということで異論はないだろう。そこで、昨日購入した「水晶幻想・禽獣 (講談社文芸文庫) 」中、禽獣のところを読むことに。
むむむ、これは傑作であるが、毒が強すぎる。全編「人間嫌悪」の臭いが充満している。例えば
「動物の生命や生態をおもちゃにして、一つの理想の鋳型を目標と定め、人工的に、畸形的に育てている方が、悲しい純潔であり、神のような爽やかさがあると思うのだ。」
と述べるあたり、期せずして「神のような」という言葉が飛び出たところでは、結局のところ自然の造詣には及ばない芸術家の悲しい運命と川端の虚無感を象徴している。
だが、人間というものは、虚無感を突き抜けたところで、なぜか「生」へと反転するのである。例えば、心中を試みた主人公が翻意する場面では、
「彼は稲妻のように、虚無のありがたさに打たれた。『ああ、死ぬんじゃない。』」
と心の中で叫んで、主人公は日常に帰るのである。
むむむ、これは傑作であるが、毒が強すぎる。全編「人間嫌悪」の臭いが充満している。例えば
「動物の生命や生態をおもちゃにして、一つの理想の鋳型を目標と定め、人工的に、畸形的に育てている方が、悲しい純潔であり、神のような爽やかさがあると思うのだ。」
と述べるあたり、期せずして「神のような」という言葉が飛び出たところでは、結局のところ自然の造詣には及ばない芸術家の悲しい運命と川端の虚無感を象徴している。
だが、人間というものは、虚無感を突き抜けたところで、なぜか「生」へと反転するのである。例えば、心中を試みた主人公が翻意する場面では、
「彼は稲妻のように、虚無のありがたさに打たれた。『ああ、死ぬんじゃない。』」
と心の中で叫んで、主人公は日常に帰るのである。