「生き延びるためのラカン」第2回(斎藤 環)
「なんだか最近の世の中って、ラカン的な解釈があまりにもベタに当てはまるような事象が多すぎるような気がする。田中真紀子のヒステリー性とか、田代まさしの自滅的な「死の欲動」とかね。いろんな進歩だの進化だのの結果、僕たちは物質的な貧困、コミュニカティブな貧困、その双方から解放されつつある。これとともに、僕たちの欲望はかぎりなく精神分析的なものになるだろう。そう、フロイトが言ったように、それは「満たされない欲望を持ちたいという欲望」なんだ。「ほしいものが、ほしい」っていうのは、そういうこと。いまや僕たちが求めるのは「満たされない心」そのものなんだ。最近脱税でつかまった、野村って有名なおばあさんがいたけど、彼女の人気のかなりの部分は、その「満たされなさ加減」に人々がシビれたせいじゃないかな。」
文庫本も出ているが、これはウェブ上での連載が書籍化されたものなので、「田代まさしの自滅的な「死の欲動」」とあるところなどは、おそらく2000年ころの世相を反映したものではないかと思われる。
フロイトの「快感原則の彼岸」に出てくる事例は若干分かりづらいが、マーシーを例にとると、すとんと腑に落ちる。
こうした斎藤先生の語り口はありがたい。
「なんだか最近の世の中って、ラカン的な解釈があまりにもベタに当てはまるような事象が多すぎるような気がする。田中真紀子のヒステリー性とか、田代まさしの自滅的な「死の欲動」とかね。いろんな進歩だの進化だのの結果、僕たちは物質的な貧困、コミュニカティブな貧困、その双方から解放されつつある。これとともに、僕たちの欲望はかぎりなく精神分析的なものになるだろう。そう、フロイトが言ったように、それは「満たされない欲望を持ちたいという欲望」なんだ。「ほしいものが、ほしい」っていうのは、そういうこと。いまや僕たちが求めるのは「満たされない心」そのものなんだ。最近脱税でつかまった、野村って有名なおばあさんがいたけど、彼女の人気のかなりの部分は、その「満たされなさ加減」に人々がシビれたせいじゃないかな。」
文庫本も出ているが、これはウェブ上での連載が書籍化されたものなので、「田代まさしの自滅的な「死の欲動」」とあるところなどは、おそらく2000年ころの世相を反映したものではないかと思われる。
フロイトの「快感原則の彼岸」に出てくる事例は若干分かりづらいが、マーシーを例にとると、すとんと腑に落ちる。
こうした斎藤先生の語り口はありがたい。