ニーチェの「ツァラトゥストラ」の「自由な死」の末尾:
Lieber als Alles sehe ich euch, meine Freunde, den goldenen Ball werfen! Und so verziehe ich noch ein Wenig auf Erden:
verzeiht es mir!
「わたしの友たちよ、何にもまして、わたしはきみたちが金の球を投げるのを見たい!されば、わたしはなおしばらく地上にとどまる。わたしがそうするのを許せ!」(吉沢伝三郎訳)
1行目のverzieheの原形は verziehen で「とどまる」、2行目の verzeiht の原形は verzeihen で「許す」というダジャレである。
ニーチェは、文献学者として「ゆっくりと読むこと、前や後を見ながら慎重に・・・・・・繊細な指と目で読むこと」を重視していた。
そういう意味では、上に挙げた文章は慎重に読むべきところなのだと思う。
だが、悲しいことに、日本語でこのダジャレを訳出するのは不可能である。
工夫するなら、「わたしはなおしばらく地上にとどまる(verziehen)。わたしがそうするのを許せ(verzeihen)!」とするくらいか?
Lieber als Alles sehe ich euch, meine Freunde, den goldenen Ball werfen! Und so verziehe ich noch ein Wenig auf Erden:
verzeiht es mir!
「わたしの友たちよ、何にもまして、わたしはきみたちが金の球を投げるのを見たい!されば、わたしはなおしばらく地上にとどまる。わたしがそうするのを許せ!」(吉沢伝三郎訳)
1行目のverzieheの原形は verziehen で「とどまる」、2行目の verzeiht の原形は verzeihen で「許す」というダジャレである。
ニーチェは、文献学者として「ゆっくりと読むこと、前や後を見ながら慎重に・・・・・・繊細な指と目で読むこと」を重視していた。
そういう意味では、上に挙げた文章は慎重に読むべきところなのだと思う。
だが、悲しいことに、日本語でこのダジャレを訳出するのは不可能である。
工夫するなら、「わたしはなおしばらく地上にとどまる(verziehen)。わたしがそうするのを許せ(verzeihen)!」とするくらいか?