(ネタバレご注意!)
「ノルマ」も、音楽は素晴らしいのに、ストーリーがダメなオペラの典型例だと思う。
その理由は、原作:アレクサンドル・スーメの「NORMA」を読むと分かる。
(歌劇『ノルマ』/悲劇『ノルマ』はオペラの台本と原作の邦訳を両方収録してあるので便利である。)
スーメは結構意地悪な人で、ガリア人の原始宗教であるドルイド教を貶めるためだろうが、乳母:クロチルドをあえてキリスト教徒の設定にして登場させ、ノルマの残虐性と対比させている。
決定的なのは、ノルマにクロチルドが放った以下のセリフである。
「このような神に比べると、あなたの神々は作り話のようではありませんか。私の神は血まみれの生贄など必要としません。」(p93)
こうしたスーメのスタンスからすれば、ドルイド教の巫女の長であるノルマの行動原理は「呪い」と(不貞の代償としての)「犠牲(生贄)」ということになり、以下のようなセリフ(いずれも事実上の夫:ポリオンに向けられたもの)がノルマの口から次々と出て来る。
「あなたの命は、あなたの栄光は、あなたの勝利は誰のおかげだと思っているの?今日までガリアの兵士たちをおとなしくさせてきたのは誰だと思っているの?あなたなんていないも同然じゃない。私がすべてやったのよ。」(p89~90)
「この短刀はあの子たちのうえに振りかざされた。そう、あの子たちのね。父親の罪を罰するためによ。昨夜、私はあの子たちの血を求めたのよ・・・・・・。母親の私が!」(p106)
「そうね、彼女の心臓を求めることが、あなたへの罰となるからよ。そうすることで、あなたは私の攻撃を恐れるようになり、私は冷静に確実に、あなたの傷と私の苦痛を対等のものとすることができる。」(p106~107)
「この深い湖のほとりにいらっしゃい。あなたの罪のすべてを目の当たりにして、血を流した私たちの死体の破片を探しながら、私たち三人のお墓の前でアダルジーズと結婚するために、ここへいらっしゃい。(アジェノールを連れて身を投げる)」(p117)
この最後のセリフなどは、まさに「ポトラッチとしての自殺(無理心中)」というほかないものである。
この救いのないエンディングを何とか修正すべく、台本作家のフェリーチェ・ロマーニは、オペラにおいてはラストの筋書きを改編する。
具体的には、嫉妬に燃えたノルマが2人を許し、自ら「裏切り者」と名乗り出て火刑台へ赴こうとすると、それを見て悔いたポリオーネもともに火刑台に進み行く場面を導入する。
だが、冷静に考えて、ノルマとポリオーネがドルイド教の神の”生贄”にならなければならない理由はよく分からない。
結局のところ、
「血だ、血だ、ガリアの斧は
柄まで血で濡れる
血の河は不気味にゴーゴーと音を立てて
リグーリアの汚れた波間に流れ込む」(p46)
とあるとおり、原作者もオペラ台本作家も、「生贄の血を求めるガリアの原始宗教」を描きたかったということに尽きるようである。