山下裕貴先生が批判する”今の霞が関”の人事・教育システムだが、その中に、一体どうやって、山口真由さん(我慢しない人)も証言しているような軍事化イニシエーションが組み込まれたのだろうか?
この点に関する情報は乏しく、推測を含まざるを得ないのだが、おそらく、「過労死」という言葉が一般化した1980年代後半ころまでには、(一部の省庁ではあろうが、)この種の「加入礼」が確立していたと思われる。
もちろん、これが自然発生的に出来上がるとは考えられないので、やはり、特定の人/人たちが導入したのだろう。
この起源を特定するのは難しいのだが、例えば、
・軍隊出身者の入省・復帰(台所からキッチンへ(7)。大松監督!)
・集団的スポーツの運動部(例えば、(旧)帝大漕艇部)出身者の活躍
などの複合的要因によって、この種の「加入礼」が制度化された可能性が考えられる。
野球やサッカーなどは分かりやすいが、漕艇(ボート)でも、軍事化イニシエーションの内部原理:「皆は一人のために、一人は皆のために」が盛んに称揚される。
一般の人は意外に思うかもしれないが、これはむしろ軍事化を目的としたスポーツではないかと思えるくらいである。
「どこの大学でも大体同じで、
・「艇庫」と呼ばれる監獄に泊まり込み
・朝4時半起きで朝練をしてから大学に行き
・大学が終わったら再び艇庫に戻り晩練
という生活が待っています。つまり、1週間のうち大半は家に帰れなくなります(笑)」
これでは、殆ど海兵隊のブートキャンプ(新兵訓練) である。
ボート部以外では、自衛隊や警察でも定番の柔道部・剣道部においてもやはり軍事化イニシエーションが盛んに行われるようであり、そのエートスが人事・教育システムの中に持ち込まれた可能性も考えられる。