Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

悲劇中の悲劇

2023年11月18日 06時30分00秒 | Weblog
チャイコフスキー/幻想曲『テンペスト』
チャイコフスキー/ロココの主題による変奏曲*
チャイコフスキー/幻想序曲『ハムレット』
チャイコフスキー/幻想序曲『ロメオとジュリエット』
(チャイコフスキー没後130年) 

 オール・チャイコフスキーのプログラムで、「ロココの主題による変奏曲」(これはチャイコフスキーらしからぬ爽やかな後味の曲)を除けば、シェイクスピアの戯曲が基になっている。
 「テンペスト」は原作がハッピー・エンドなので陰鬱にはならず、「ロメオとジュリエット」はある意味では結ばれるので、音楽も救済を感じさせるエンディングとなっていて、少しほっとする。
 だが、「ハムレット」には、救いが全くない。
 (おなじみ)ロバート・マーコウさんの解説も、
Tchaikovsky's Hamlet, like Shakespear's, closes with a grim funeral march for the dead prince
(チャイコフスキーの「ハムレット」も、シェイクスピアのそれと同じく、死せる王子の為の陰鬱な葬送行進曲で幕を閉じる。)
となっている。
 確かに、「ハムレット」は、シェイクスピア悲劇の中では最も絶望的な筋書きであり、「悲劇中の悲劇」と呼ぶにふさわしい。
 「マクベス」は完全に自業自得であり、「オセロー」も本人に一定の落ち度があるのだが、ハムレットには全く落ち度がないにもかかわらず、最初から地獄のような状況に置かれてしまう。
 一番のポイントは、ハムレットの母が、叔父を夫として受け入れてしまうところであり、夫を「交換可能な存在」と見なしているところだろう。

アンティゴネー「夫ならば、たとえ死んでも別の夫が得られよう。
 子にしても、よし失ったとて、別の男から授かれよう。
 しかし、母も父も冥界にお隠れになった今となっては、
 また生まれ来る兄弟などありえぬのです。」(p85)
 
 このセリフの重点はもちろん後段にあるのだが、前段の第一文
 「夫ならば、たとえ死んでも別の夫が得られよう。
を、ハムレットの母は実践したわけである。
 次に来るのは、
 「子にしても、よし失ったとて、別の男から授かれよう。
であり、ハムレット自身が「交換可能な存在」にされかけている。
 こうした状況では、普通の人間なら、状況を受け容れて発狂してしまうか(実際ハムレットは「発狂したフリ」をしたわけだが)、死ぬ覚悟で状況を破壊するか、しかないと思う。
 ”To be or not to be, that is the question
というセリフが、自然に出て来るわけである。
 
 
コメント
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