楠木「幼年学校出身者は十三、四歳から、旧制中学出身者は十六、七歳から陸軍という組織に入る。これは大きな違いですよね。」
「幼年学校は一学年約五十人。彼らが切磋琢磨し続けることで、陸軍軍人として純化していくことを狙っていたのでしょうね。一方で、軍の外のことを知らないまま大人になってしまう。」
保阪「・・・昭和の初めの頃まで、陸大合格者のうち一般中学卒業者はわずか一割で、九割は幼年学校出身者だったようですが、学閥が蔓延っていたのは間違いなさそうですね。」
川田「幼年学校出身者を優遇して、中学組はたとえ陸大を出ても主流になれなかった。」
保阪「ここにも陸軍の問題が潜んでいると思います。エリート同士、仲間内で固まってしまい、よそ者を受け入れない。」(p157)
山下「改めて昭和の陸軍の組織を見てみると、戦後の役所と似ていますよね。年功序列で、学歴主義で、キャリア優遇で。高度成長を経て、バブルが崩壊し、失われた三十年があった。どうやって日本をもう一度輝く日本にするかというビジョンを持っている人が今の霞が関にどれだけいるのか。現代の官僚も、旧陸軍の官僚と似たり寄ったりではないですか。」(p169)
日本を破滅的な第二次大戦に導いたことについての大きな責任が「昭和陸軍」にあることは、おそらく異論を見ないだろう。
この座談会では「昭和陸軍」の問題点が議論されているのだが、ここで挙げられたのは主に教育・人事システムである。
具体的には、
・学歴主義(十三、四歳時点での人材の選抜とその後の純粋培養)
・出身地に基づく派閥の形成・激しい対立(最大派閥は長州閥、その反動としての極端な長州嫌悪:東條英機など)
・キャリア優遇(組織内での階層・序列化、陸軍幼年学校出身者に対する露骨な優遇)
・年功序列(先輩の命令であればどんなに不合理であっても従う=『抗命義務』の放棄を含む。)
などいったところである。
そして、山下氏が的確に指摘したとおり、「昭和陸軍」の問題点の多くを、”今の霞が関”も抱えている(但し、「出身地に基づく派閥」については、「採用された省庁に基づく派閥」という風に言い換えるのが良いだろう。)。
実際、つい最近も、”防衛増税”と”所得税減税”を巡ってこの問題点が露呈したように思われる。
山下氏らが示唆しているように、例えば、某中学・高校をかつての「陸軍幼年学校・士官学校」、T大法学部をかつての「陸軍大学校」、エリート官庁のキャリア組を「陸軍幹部」になぞらえれば、状況の類似性がよく分かるだろう。
だが、この座談会では触れられていない、「昭和陸軍」と”今の霞が関”との共通点がもう一つある。
それは、「イニシエーション」(通過儀礼)である。