「旅僧が都へ上る途中、摂津国生田の里に着くと、春まだ浅い野辺に数人の女がやって来て若菜摘みに興じます。僧が女たちにこの辺りの名所を尋ね聞き、更に古歌にも歌われる求塚について問いますが知らないと答え、やがて連れ立って帰って行きますが、一人残った女が僧を求塚へ案内し、塚のいわれを語ります。昔この土地に住む菟名日処女(うないおとめ)が二人の若者に求婚され、迷った末に生田川の鴛鴦を仕留めた者と結婚すると言いますが、二人の矢は共に鳥に当たり勝負がつかず、悩み果てた女は川に入水してしまいます。求塚はその女の墓であり、二人の男も後を追って塚の前で刺し違えたのでした。女は菟名日処女の亡霊で、どうか罪を救って欲しいと言って塚の中へ消えます。<中入>僧は所の者に再び求塚のいわれを尋ね、その夜、塚の前で読経をしていると菟名日処女の亡霊が現われます。女の霊は弔いに感謝を述べますが、二人の男の亡魂や地獄の鳥となった鴛鴦に責められ八大地獄で苦しんでる有様を見せ、再び塚の陰に姿を消します。」
「渋谷能」第三夜は「求塚(もとめづか)」。
「万葉集」の田辺福麻呂や高橋虫麻呂の歌に淵源を発し、「大和物語」147段で「生田川伝説」となったものを能にしたものである。
現在では、作者は世阿弥というのが有力らしい。
構成面では、幸福感のにじみ出た前半の「若菜摘」と、後半の「地獄絵」とのコントラストがみごとだし、中入りで中央の「塚」の中でシテが衣装を着替える趣向も面白い。
他方、内容面における最大の問題は、どうして菟名日処女がこれほどまでの罰を受けなければならないかというところである。
もっとも、現代人の眼から見ても、彼女は相当あくどい行為をしている。
自分に求愛する男二人に対し、いわば「けんかをあおる」行為をしたのである。
ボーイフレンドの数
競う仲間たちに
自慢したかったの
ただそれだけなの
「私」はこんな風に弁解するが、男たちのけんかを積極的にあおったわけではない。
「違うタイプ」の二人の男を「好きになって」しまい、「どちらとも少し距離をおいて上手くやっていける」という計算のもと、「不決断」の態度を続けただけである。
また、三角関係における争いの祖型ともいうべき「イリアス」のヘレネ(エレーヌ)と比べても、菟名日処女の態度は悪質である。
そして、結果的に二人の男の命も失われてしまった。
これは、十分地獄に落ちるに値する罪であり、鉄鳥(殺された鴛鴦が地獄で変身したもの)から頭をつつかれ脳髄を食われてもやむを得ない。
・・・などと考えるのは、私だけだろうか?