「コンクールで演奏し優勝を勝ち取ってから15年。
ベートーヴェン晩年の傑作ハンマークラヴィーアに全身全霊をかけて挑む渾身のリサイタル!」
<曲目>
ドビュッシー:版画
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番《戦争ソナタ》
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番《ハンマークラヴィーア》
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番《戦争ソナタ》
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番《ハンマークラヴィーア》
<アンコール曲>
ベートーヴェン:ピアノソナタ第8番「悲愴」第2楽章
坂本龍一:戦場のメリークリスマス
ベートーヴェン:ピアノソナタ第14番「月光」第3楽章
いつも以上に気合の入った辻井さんは、蒸気機関車のように息を吐きながら激しく鍵盤を叩き続ける。
ボルテージは「戦争ソナタ」の1楽章でピークに達したようだ。
この章は「不安との闘い」を表現するメロディーが随所に登場するのである。
そのせいか、演奏途中でピアノの弦が切れてしまった。
1楽章の演奏が終わると、辻井さんは立ち上がり、
「弦がきれてしまいました。このまま演奏を続けるのは難しいので、いったん調律師さんに調整してもらいます」
と述べて舞台袖に下がり、調律師さんが登場。
10分くらいかけて弦を張り直すと、お客さんから拍手が沸き起こり、続いて辻井さんが再登場。
何事もなかったかのように2楽章以下を見事に演奏した。
後半は「ハンマー・クラヴィーア」で、辻井さんが今最も弾きたい曲らしい。
大変な難曲だが、とりわけ3楽章は、若いピアニストだと、ハンス・フォン・ビューローから
「貴方にはまだ弾けません」
と言われてしまう(貴方はまだ若すぎます)。
何度か聴いているはずの曲だが、今回、3楽章の秘密が分かったように感じた。
一度人生の地獄を経験した人間でなければ弾けない楽章なのである。
私見では、2楽章は「カタバシス」、つまり「冥界への下降」であり、3楽章は「アナバシス」つまり「この世への上昇」である。
単純化すると、3楽章は「死」から誕生」又は「再生」への道をあらわしている。
ポイントは、まず真暗な冥界に来てしまっているのではないかという感覚が生まれるところである。
ベートーヴェンは山歩きが好きだったそうだが、そこから連想すると、3楽章の冒頭部分は、山で遭難して夜になってしまった状況に似ている。
真っ暗闇の中、周囲を岩と崖に囲まれて身動き出来ない絶望的な状況を、辻井さんは見事に表現する。
目の見えない彼が、自身の内面世界の一つの側面を、そのまま音に変換しているように感じるのである。
だが、周囲を手探り(足探り)するうちに細い道が見つかり、それを辿っていくと、枝、あるいは細いロープのようなものが手に触れる。
それを掴んで進んで行くと、小さい穴から差し込む光が見えてきた。
この世に辿り着いたのである。
・・・というのが3楽章で、4楽章は、ケルビムたちのダンスと跳躍が描かれているかのようだ。
ハンス・フォン・ビューローも、辻井さんには、はじめから
「貴方なら弾けますよ」
と言っていたのかもしれない。
それにしても、この曲と「第九」ほどベートーヴェンらしい曲は見当たらない。
この曲は、「ピアノ・ソナタにおける『第九』」のような位置づけになりそうな気がする。
ロマン・ロランの次の言葉が、その理由を説明しているように思える。
「親愛なベートーヴェン!彼の芸術家としての偉大さについては、すでに十分に多くの人々がそれを賞賛した。けれども彼は、音楽家中の第一人者であるよりもさらにはるかに以上の者である。・・・ そしてわれわれが悪徳と道学とのいずれの側にもある凡俗さに抗しての果のない、効力の見えぬ戦のために疲れるときに、このベートーヴェンの意志と信仰との大海にひたることは、いいがたい幸いの賜ものである。彼から、勇気と、たたかい努力することの幸福と、そして自己の内奥に神を感じていることの酔い心地とが感染してくるのである。」(p73) |