- A.ショール/M.プレトニョフ:ピアノと管弦楽のための組曲 第2番 [ピアノ:ミハイル・プレトニョフ]
- M.ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」
- <アンコール曲>
- A.ショール/M.プレトニョフ:ピアノと管弦楽のための組曲 第2番より
- 第6曲「ダルタニアン」
- 第7曲「マチウシI世」
- 第3曲「トム・ソーヤ」
私の目当ては「ピアニストとしてのプレトニョフ」。
昨年のラフマニノフ・ピアノコンチェルト全曲演奏会のチケットを買い損ねた後悔の念から、プレトニョフのピアノ演奏は絶対聴かなければいけないと思っていたのである。
例によってひょうひょうとした演奏スタイルで、やはり彼も「鼻歌派」だった。
ちょこちょこミスタッチはあるものの、自分が共作した曲でもあり、終始リラックスした演奏ぶりで、アンコールは3曲という大サービス。
どうやら彼が単に弾きたかったということのようだ。
会場には作曲者のアレクセイ・ショールがいて、舞台に上がって喝采を浴びていた。
ウクライナ生まれでイスラエル、次いでアメリカに移住した彼は、もともと数学者、ヘッジファンドの辣腕社員だったが、40代になって幼い頃から大好きだった音楽の世界に転身したという異色の経歴をもつ。
曲名からも察せられるように、ファンタジー色が強いが、メロディーはロシア、スペイン、アルゼンチン、ジャズなどが混合した民謡的でありつつも、全体としては「無国籍」という印象である。
これは彼の経歴が影響しているのかもしれない。
後半は「展覧会の絵」(ラヴェル編)だが、注意深く聴いていると、日本の演歌に似たメロディーがところどころに出現する。
分かりやすいのは「古城」あたりで、昭和初期にヒットした物悲しい歌謡曲を彷彿とさせる。
意外にも、ロシアの国民楽派と昭和歌謡とは共通点を有しているのである。
「-新著は「歌謡曲とは何か」を探る旅のような本ですね。昭和3年をスタート地点にして、元号が平成に変わるまでの状況を書いています。「流行歌手第1号」として「東京行進曲」を歌った佐藤千夜子を挙げ、昭和10年代の記述では作曲家の古賀政男、江口夜詩、古関裕而らの活躍に言及します。
刑部:この時代の歌謡曲は歌手はもとより、メロディーや詩を創り出した作曲家、作詞家の功績が大きいと思うんです。古賀たちは「流行歌、歌謡曲とはこういうものだ」というパッケージを作りました。」
刑部:この時代の歌謡曲は歌手はもとより、メロディーや詩を創り出した作曲家、作詞家の功績が大きいと思うんです。古賀たちは「流行歌、歌謡曲とはこういうものだ」というパッケージを作りました。」
題名に惹かれて買ったが、昭和歌謡を学問的に究めたもので面白い。
まだ序章と第一章の途中まで読んだくらいだが、面白かったのは、昭和歌謡の三大作曲家:古賀政男、古関裕而、服部良一のうち二人が、ウクライナ人からの音楽教育などにより、リムスキー・コルサコフの影響を受けているところである。
「(服部良一は)大正4年(1925)、JOBK(大阪放送局)が結成した大阪フィルハーモニック・オーケストラに入団し、交響曲の演奏を経験した。交響楽団の指導者であるウクライナ人のエマヌエル・メッテルに目を掛けられ、服部は個人レッスンを受けるようになる。当時、別の日には、のちに大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽総監督となる朝比奈隆もメッテルの元に通っていた。メッテルはロシア国民楽派のリムスキー・コルサコフの影響を受けていた。服部と古関とはロシア国民楽派の影響という点で共通した。二人は民謡をもとに芸術作品を生み出す点でも似ている。」(p14)
つまり、昭和歌謡の親の親は、リムスキー・コルサコフかもしれないのである。
そうすると、昭和歌謡はロシア民謡に近いと言えるかもしれない。