第二部の後半は、「壇浦兜軍記」より、「阿古屋の琴責の段」。
最大の見ものは、琴・三味線・胡弓の演奏で、人形劇というよりは、もはやコンサートである。
ストーリーは、平家没落により姿をくらました景清の行方を突き止めるべく、源氏方の畠山重忠と岩永左衛門が、景清の愛人である五条坂の遊女:阿古屋を尋問するというもの。
だが、普通の尋問ではなく、証言の信用性を、三曲をそれぞれ違う楽器で演奏することによって証しせよと命じるもの。
つまり、「楽器責め」である。
阿古屋は、恋人の景清のために身を捨てる覚悟で、この”尋問”を見事に切り抜ける。
阿古屋「平家盛んの時だにも人に知られた景清が、五条坂の浮かれ女に、心を寄すると言はれては、弓矢の恥と遠慮がち。・・・」
畠山 「琴の形を竪に見れば、漲り落つる滝の水。その水をくれるこころの水責め。三味線の二上がりに気を釣り上る天秤責め、胡弓の弓のやがら責めと品を変へ責むれども、いつかな乱るゝ音締めもなく、調子も時の合の手の、秘曲を尽くす一節に彼が誠あらはれて、知らぬことは知らぬに立つ。」
何とも美しい日本語だが、阿古屋は景清の行方について「知らぬ」との認定を受けた。
阿古屋の「身を捨てる」ポトラッチが成功したので、ポトラッチ・ポイントは1.0(★)。
・・・それにしても、遊女と交際するだけでも「弓矢の恥」というのだから、武士にとって色事全般が忌避されており、不倫などはもってのほかだったのだろう。
ところが、現代の日本の政治家は、「弓矢の恥」とはおよそ無縁のようだ。
それに、不倫相手も、阿古屋のような「身を捨てる」ことまではしないようである。