Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

「ヒト」と「カネ」?、あるいは「テーマ」?

2024年12月02日 06時30分00秒 | Weblog
 「『ウィリアム・テル』の原語による舞台上演は日本初。ロッシーニの新たな扉を開く『ウィリアム・テル』新国立劇場初上演にご期待ください。

 今や知らない人はいないといっても過言ではない「ウィリアム・テル序曲」。
 だが、その原語(フランス語)による舞台上演は日本初である。
 これには驚く人も多いだろう。
 過去、訳詞上演、ハイライト上演、演奏会形式での上演はあったが、なぜかフランス語による全幕上演はなされなかったのである。
 公演パンフレットを読んでも、その理由は十分明らかにならない。
 そこで、他の「上演頻度の低いオペラ」を手掛かりにして、「ウィリアム・テル」のフランス語による全幕上演が出来なかった理由を考えてみた。
 真っ先に手がかりになるのは、やはり「ニュルンベルクのマイスタージンガー」である。
 演奏時間:4時間半、歌手・コーラス:100名以上を要するこの楽劇は、おそらく「最もお金のかかるオペラ」の一つであるため、上演機会が非常に少ない(マイスターじゃないジンガー)。
 また、514ページもある台本をマスターするのには軽く1年以上を要するらしいので(カンペの場所)、技術的な問題も大きい。
 つまり、最大の問題は「ヒト」と「カネ」だった。
 ということは、同じことが、演奏時間:約3時間35分、歌手・多数のコーラスに加え相当数のバレエ・ダンサーを要する「ウィリアム・テル」にも言えるのではないだろうか?
 だが、それだけではなく、このオペラの「テーマ」にも、上演頻度が極めて低い理由の一つがあるように思われる。

<第4幕のあらすじ>
 「アルノルドは亡き父を思い、仲間たちと立ち上がる。母の待つ家に帰ったジェミは父の指示に従い、抵抗の合図に自分の家に火を放つ。テルは船で追放されるが、嵐に襲われ湖岸に乗り上げた機に上陸。息子から受け取った矢でジェスレルを倒す。そこへ町を制圧した抵抗軍が到着し、アルノルドもマティルドと再会を果たす。人々はスイスの自由を祝い、感謝する。

 テルは、悪代官:ジェスレルを弓で射て殺害し、これを見た人々は歓声をあげる。
 ここでは、悪者をやっつけるカタルシスを味わう人もいるだろうが、観る人によっては何とも後味の悪いシーンである。
 つまり、「「自由」を獲得するためには殺人も許される」というこのオペラの「テーマ」自体に、上演を阻む大きな原因があるのではないかと思うのである。
 ・・・それにしても、「セビリアの理髪師」をつくったロッシーニが、もっとハッピーな結末に改変しなかったのはなぜだろう?
 これはずいぶんもったいないことである。
コメント
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