R.シュトラウス:歌劇『カプリッチョ』より弦楽六重奏曲
コダーイ:ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 作品7 [三浦、宮田]
シェーンベルク:浄められた夜 作品4
コダーイ:ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 作品7 [三浦、宮田]
シェーンベルク:浄められた夜 作品4
「室内楽をもっと身近に。安らぎに満ちた濃密な音楽を日常に。AGIO(アージョ)は"くつろぎ"や"ゆとり"を意味するイタリア語。かしこまらず、ゆったりと音楽を楽しんでいただくための室内楽の祭典です。」
というコンセプトのコンサート。
昨年が初回だったのだが私は気付かず、聴きに行くのは今回が初めてである。
多忙な時期でもあり、1コマしか行けない中で選んだのが「浄められた夜」。
1曲目の「カプリッチョ」は、甘美なメロディが滑らかに流れ、まったくザラつくところがない。
要するに「心地よい曲」なのだが、リヒャルト・シュトラウスにもこんな側面があったのかと驚く。
2曲目のコダーイは、ちょっと聴くとすぐ作曲したのが誰か分かる感じで、宮田さんによれば、
「お互いが戦い合うような激しさがありながら、ほんの少しくずれただけでもすべてが崩れ落ちてしまうような繊細さも必要です。」
確かに、中央アジア的な民族舞踊と格闘技の間を行ったり来たりする、緊張感あふれる曲である。
さて、メインの「浄められた夜」だが、シェーンベルクの曲の中では聴きやすい曲とされているらしい。
実際、初めての私も違和感や眠気を感じることなく聴くことが出来た。
横溝さんも指摘するとおり、視覚に訴えかける曲のようで、
「なにか絵を思い浮かべながら音楽を聴いていただければと思います。」
私は、オーソドックスに、「冴え冴えとした月あかりに照らされた冬、林の中の道を、男女が語り合いながらゆっくりと歩いている場面」を思い浮かべながら聴いた。
「オーソドックス」というのは、元となるリヒャルト・デーメルの詩の設定がおそらくそうだからである。
もっとも、この詩の訳は簡単ではない。
例えば、最終行:
”Zwei Menschen gehn durch hohe,helle Nacht. ”
の訳は、
① ふたつの人影が気高くも、明るい夜の中を歩いてゆく(浄められた夜 Op.4 )。
② 二人の人間が明るく高い夜空のなかを歩いていく(浄められた夜 日本語訳)。
という風に、”hohe” の解釈を巡って訳し方も違ってくる。
難しいところだが、私見では、"hohe" は普通に "Nacht" にかかるとみた上で、”浄められた”二人が、この世界を離脱して高み(「高い夜空」)にのぼったことをうまく捉えた②の方が好みである。