③ 高島埠頭・E岸壁
「ーー竜二にはじめて会つたのが一昨日である。船きちがいの登にねだられて、房子は店の華客の船会社の重役から紹介状をもらひ、丁度高島埠頭のE岸壁に停泊してゐる、一万トンの貨物船洛陽丸の見学に行った。」(「全集9」p246)
高島埠頭・E岸壁は、登と房子がはじめて竜二と会った記念すべき場所である。
(ちなみに、港湾法第2条10項によれば、「埠頭」は「岸壁その他の係留施設及びこれに附帯する荷さばき施設その他の国土交通省令で定める係留施設以外の港湾施設の総体」とされている。)
「洛陽丸」のモデルが三井船舶の「日光山丸」であることは前に触れたが、このとき三島は、川島勝氏らに対して、船と二等航海士の日常の任務や船員の生活など「ディテールを絶対間違いたくない」(前掲p193)ということで、松本秀氏から念入りにヒアリングを行ったようである。
「ディテールを絶対間違いたくない」理由の一つは、私見では、「憂國」その他の”自己人身供犠”型の他の小説との差異化を図る(つまり、ストーリーのパターンの同一性・類似性を見破られないようにする)ためではないかと思う。
さて、この高島埠頭・E岸壁だが、残念なことに、現存していない。
Wikipedia(高島埠頭)によれば、かつての高島埠頭は、現在の横浜市西区みなとみらい4~6丁目に該当するとのこと。
だが、諦めるのはまだ早い。
横浜市建築局が、昭和30年代の地図を公開してくれているからである(横浜市三千分一地形図)。
これを用いて、昭和37年当時の高島埠頭の地図を再現することが出来るのだ。
具体的には、上記サイトの「昭和30年代」の地形図画像の
・83-7 三ツ沢
・83-8 神奈川
・84-1 西戸部
・84-2 新港町
をプリントアウトして貼り合わせると、中央付近に当時の高島埠頭が出現する。
だが、「E岸壁」がどこか特定することまでは出来ない。
地図には、「上屋」の記載はあるものの、岸壁については記載がないからである。
あー、残念!
80年代の高島埠頭の情景をアップしたブログ(週刊 横濱80' sの高島埠頭の項目)を見て、当時を偲ぶこととしよう。