Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

厳罰主義

2021年02月18日 06時17分53秒 | Weblog
時津風親方退職へ 協会コンプライアンス委が処分意見まとめる
規律違反の浦和・柏木 外食発覚は「チーム内から情報」理由は「ストレスを感じて…」

 部分社会における規律違反を理由として、部分社会からの脱退・追放がなされたという事例。
 個人的な印象は、「やりすぎ」というもの。
 そもそも違法行為ではなく、被害者がいるわけでもないので、これはさすがにおかしいのではないだろうか?
 一時期、地方公務員について、飲酒運転をしただけで、事故を起こさなくとも懲戒免職としていた自治体があったが、あれと同じ風潮を感じる。
 当時の空気では、「行き過ぎ」という指摘がしにくかったのである。
 
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単身赴任ハラスメント

2021年02月17日 06時33分24秒 | Weblog
「NHK近江アナ」“朝の顔”が昨年春に結婚していた! お相手も認める
 「「お相手は15歳も年上の局員で、現在は仙台放送局に勤務しているプロデューサー職の男性。近江さんとは同じ福岡放送局での勤務時代に知り合い、交際が始まりました。近江さんは16年に東京のアナウンス室へと移ってきましたが、相手の男性は一足先に福岡から渋谷の本局の経済社会情報番組部へ異動していました。結婚も考える段階に至っていたものの、大きな年齢差もあり、近江さんのご家族が難色を示していたのです」
 周囲の賛同が得られぬまま、19年初めには相手の男性に仙台放送局への異動が内々に示され、
「それを機に、男性の気持ちは〝結婚できないのなら別れよう〟という方向に傾いていったようなのです、いずれにせよ、ともになかなか踏ん切りがつかなかったといいます」
ところがその後、一緒に都内で家を新築しようという話が持ち上がり、2人の仲はいっそう強まったというのだ。


 私は、かつて転勤族であったことがあり、転勤を巡る喜劇や悲劇を目の当たりにしてきた。
 「悲劇」の中で最たるものは、「新婚直後の単身赴任」というもので、これはかなりの確率で退職を招く(組織と家族をご参照)。
 ちなみに、かつて金融業界には結婚退職制というものがあり、一般職の女性は、総合職の男性と結婚すると退職するのが慣行となっていた。
 この制度の下では、一般職の賃金が低水準に抑えられるし、退職金も高額とならないため、人事にとっては都合がよい。
 業界・企業によっては、この制度が不文律のように生き残っているところがあるのかもしれない。
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敵味方思考

2021年02月16日 06時39分52秒 | Weblog
誰のために法は生まれた
 「・・・それから、これと競争が関係する。信用のシステムが壊れると、ただ何か物を握っていることしか信用できなくなる。資源獲得を目指して争う。」(p128)
 「・・・(クレオンは)いや、利益思考まで利益思考に冒される。これはどろどろの敵味方思考に陥ることと関係しているのではないか。敵味方思考は究極の集団思考だ。・・・」(p223)

 先週、「ウィズ/ポストコロナ時代の雇用と働き方」というテーマで、経営法曹と労働弁護士によるオンラインセミナーがあったので受講した。
 その中で、司会の女性弁護士(有名な経営法曹)から出た次の言葉に、思わず「ハッ」と声が出そうになった。

 「もう、『みんなで一緒に貧しくなりましょう』という路線では絶対にダメです。・・・やはり、社員に最低年収300万円を保証できるようなビジネスを確保しなければならない。・・・そのためにはもっと『競争力を向上』させなければならない・・・
 
 前段については頷けるけれども、後段の「競争力向上」という路線には問題がある。
 上で引用した木庭先生の指摘のとおり、「競争力向上」という発想の根底には「敵味方思考」があるのだが、これは究極の「集団思考」であり、信用崩壊を生み出したり、ひいては実力行使の契機ともなりうる危険な思考である。
 要するに、「競争」に参入することは結局信用崩壊をブーストすることにほかならず、もっと「貧しく」なりかねないと思うのである。
 さすがに、そろそろ「敵味方思考」から卒業する必要があるのではないだろうか?
 そういえば、日米貿易摩擦のころ、アメリカが日本に「内需拡大」をしつこいほど求め続けたのは、日本の「敵味方思考」(究極の「集団思考」)を修正させる意図もあったのではないかと思う。
 残念ながら、80年代以降日本は余り成長していないようで、相変わらず「競争力向上」に邁進しそうな勢いである。
 問題は日本だけではない。
 やっかいなのは、「競争状態の認識」が実際に「競争状態」を生じさせてしまうということである。
 つまり、一人でも「社会(世界)は競争だ!」という認識を抱くアクターがいると、社会(世界)全体に競争状態が拡大してしまうのである。
 このことは、例えば、海洋資源を巡る国際状況を見ればよく分かると思う。
 
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反社認定(5)

2021年02月15日 06時08分01秒 | Weblog
国は「赤木ファイル」の存在を認めるか… 自殺した財務省職員の妻、国に対し”次の一手” 記者解説
 「【雅子さんの代理人・生越照幸弁護士】
「本日、『文書提出命令』の申し立てを行いました」
 文書提出命令は、裁判所が当事者に対し、証拠となる資料を強制的に提出させる手続きです。今回のケースであれば、国が「赤木ファイル」の存在を認めた場合、まずは裁判官だけで内容を確認し、裁判を進める上で必要な資料だと判断すれば、提出を命じることになります。
 雅子さん側は、「精神的苦痛の程度を立証するためには、改ざんについての具体的な経緯を明らかにする必要がある」として、「文書提出命令」を申し立てたのです。


 私が原告代理人であれば、やはり文書提出命令を申し立てると思う。
 ここで、生越先生らが行ったように、「『慰謝料額の算定』に当たって必要」という主張を行うことが必須である。
 なぜなら、国・佐川氏の主張は、「改ざんの指示があったこと自体は争わない(自白成立)。よって、『改ざんの指示があったこと』は争点にならないので、当該争点との関係において、『赤木ファイル』の存在・内容を問題にする必要はない」という趣旨のものと思われ、この主張を潰しておく必要があるからである。
 つまり、この局面では、「改ざんの指示があったこと」ではなく、あくまで「慰謝料額」を争点とすべきなのである。
 国・佐川氏側としては、従前の主張を貫くか、あるいは、「赤木ファイル」の存在を認めたうえで自己利用文書などの例外を主張するか、という2つの対応が考えられるが、後者はなかなかリスキーに見える。
 もし開示すれば、岡口裁判官による「反社認定」は、解除されるかもしれないのだが・・・。
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目的のない時間

2021年02月14日 06時18分52秒 | Weblog
 「子供は大人の鑑」というのはよく言ったもので、幼い子供の言葉に貴重な教訓が含まれていることがある。
 例えば、夏休みにプールから帰ってきた子供に、「今日は何メートル泳いだかな?」と尋ねてみるとよい。
 素直な子供からは、「泳ぐ距離なんて考えてない。ただ遊んだだけ」というたぐいの答えが返ってくるだろう。
 こんな風に、子供は、大人たちが普段どれほど「目的志向」に縛られて生活しているか、また、目的のない時間を持つことも大事であることを気づかせてくれる。
 「目的のない時間」という言葉は「ツァラトゥストラ」の中に何度か出てくるが、「目的のない時間」を持つこと(最も、これ自体が「目的」となると矛盾してしまう)も大事なのだろう。
 なので、私の場合、プールで泳ぐときは、「今日は何キロ・何メートル泳ぐ」、「100メートルを〇秒以内で泳ぐ」などといった目標は掲げず、水中を浮遊する感覚に集中するようにしている。
 いわば、「水中での瞑想」である。
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クイズ感覚、ゲーム感覚

2021年02月13日 06時22分34秒 | Weblog
クイズ番組「東大王」が見せてくれる「努力は必ず報われる」という幻想
 「しわしわ時代、と大雑把に表現して恐縮だが、東大に入った多くの人たちは官僚を目指していた。国を背負う志と能力を持つ人々を養成する、それが東大。であるだけでなく、高い山があれば登るのだと思う。得意だし、登れちゃうから、ってなものではと勝手に想像する。だから国家公務員総合職試験を受け、頂点である財務省=旧大蔵省に入るのが東大の中のエリートの道だった。
 例えば1982年に東大法学部を卒業した片山さつき参議院議員(59)は大蔵省主税局に入った。最近コメンテーターとして「東大を首席で卒業」と紹介される山口真由(35)も、卒業後は財務省主税局に入っている。


 「しわしわ」だか「キラキラ」だかよく分からないが、私は、この手のクイズ番組の話題が出ると、苦々しい思いを抱くことが多い。
 というのも、30年近く前の、「秀才」の言動を思い出すからである。
 その「秀才」とは、父も兄も東大卒のキャリア官僚という家の出身で、小学生のころから「将来の夢は〇〇省の事務次官」と公言していた人物である。
 その夢を実現させるべく、彼がキャリア採用試験の二次試験の面接の準備をしていたときに発したのが、次の言葉である。
面接なんて、〇〇省にも〇〇省にも当てはまるような、汎用性の高い完璧な志望動機を作ってるから大丈夫
 その後、彼は計画どおり〇〇省に入省し、次官コースを歩むものと見られていたが、若くして病のため急逝した。
 この手のクイズ番組を観て思うのは、受験も就職もクイズ感覚やゲーム感覚で乗り切ってしまうと、人間や社会についても同じような発想を抱いてしまう人が、ごく一部ではあっても、出てきてしまうのではないかということである。
 言うまでもないことだが、人生はクイズでもゲームでもない。
 コロナ対策一つをとってみても分かるように、社会においては、次々と出てくる「答えのない問題」に対処する必要がある。
 それだけでなく、政治も行政も、何か与えられた(答えのある)問題に解答すれば済むという仕事ではなく、社会に存在する種々の問題を「発見」することが求められている。
 そういう意味では、副業自由化を考え出した人(学者?官僚?)は、「問題発見能力」を持っていたと思うのである。
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初心者の感想(7)

2021年02月12日 05時56分48秒 | Weblog
>>Todt sind alle Götter: nun wollen wir, dass der Übermensch lebe. << - diess sei einst am grossen Mittage unser letzter Wille!-
「すべての神々は死んだ。いまやわれわれは、超人が生きんことを欲する」ーこれが、いつの日か大いなる正午において、われわれの最後の意志であらんことを!-」(訳:吉沢伝三郎)

 「ツァラトゥストラ」第1部のラストだが、「神の死」、ヴィレ(Wille)という言葉が出てきている(さすがにNERVは出てこないが・・・。)
 これに加えて、「超人」を「人類補完計画」と同視すれば、このくだりが「エヴァンゲリオン」のヒントになったのではないかという推測が成り立ちそうである。
 だとすれば、「ツァラトゥストラ」は福音書(エヴァンゲリオン)のパロディであるという人もいるが、「エヴァンゲリヲン」は「ツァラトゥストラ」のパロディとみることも出来そうである。
 
 
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見覚えのある顔

2021年02月11日 05時40分07秒 | Weblog
 ファニーとアレクサンデルで味をしめて以降、ベルイマン監督の初期の作品を渉猟している。
 その中で、殆ど毎回出てくるのが、マックス・フォン・シドーである。
 ひょろ長い特徴のある顔立ちで、なんだか見覚えのある顔に思える。
 それもそのはず、この俳優は、私くらいの年代の人間にとってはトラウマ映画の筆頭に挙げられる「エクソシスト」の神父役でもあったのだ。
 2020年3月8日逝去、享年90歳。
 合掌。
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トゥシューズとスリッパ

2021年02月10日 06時07分01秒 | Weblog
NBAバレエ団新作『シンデレラ』、振付家ヨハン・コボーに直撃インタビュー「歩みを止めず、情熱をもって」
 「私はバレエに携わる長いキャリアの中でとても多くのダンサーを見てきました。そのなかには素晴らしく才能があり、スターになれる可能性があるのに情熱が足りず、その才能を生かすことができない人もいました。その一方で、才能というよりも、バレエに対する情熱と愛情がとても深い人が成功していく姿も見てきました。私たちは本当に好きなことに情熱を傾け、そそいでいるときが幸せなのです。
 また競争社会の現代において、私はこのシンデレラの物語を単に白馬の王子が現れ、ロマンスと幸せに導くような物語ではないものにしたいとも思いました。仙女やアグリーシスターズなど、それを思わせるキャラクターは出てはきますが、皆さんがよく知るストーリーとの役割とは違った形で登場することになるでしょう。


 なかなか上手いと思うのは、魔法が解けて日常に戻る場面で物語が終わり、「白馬の王子」が現れないところ。
 「シンデレラは皆さん自身のストーリーなのです」というコボー氏の舞台挨拶での言葉は含蓄深い。
 コボー氏の「シンデレラ」では、ガラスの靴ではなくトゥシューズが出てくるが、シャルル・ペローの原作では pantoufles de verre で、「ガラスのスリッパ(かかとを隠さない靴)」とされているそうだ。
 
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毒をもって毒を制す

2021年02月09日 06時18分54秒 | Weblog
「男に媚びを売る時代は私で終わらせる」・・・自民党・野田聖子60歳が狙うのは「ポスト菅」?
 「酒席では党幹部になった今でも、率先して下ネタを連発し、男性客を困惑させる。同席した女性の議員や記者に「男に媚びを売る時代は私で終わらせる。あなたたちが偉くなった時にこんなことはやらせない」と親分風を吹かすこともあるという。

 モラハラの加害者は「自己愛的な変質者」であることが多いらしいが(自己愛的な変質者とメランコリー親和型)、同じ「自己愛的な変質者」は、モラハラの被害には遭いにくいという。
 変質者同士は攻撃し合わないのである。
 これと同じ理屈が通用するのであれば、セクハラ親父に対してはセクハラ的な言動で接するという、いわば「毒をもって毒を制す」式の対処法も考えられる。
 野田聖子氏のやり方がまさにそれである。
 だが、これが、逆にセクハラ親父を喜ばせるという結果を招いている可能性も考えられ、評価は難しいところである。
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