ここまで観てきて、今回の「3週連続エヴァンゲリオン」は、「初心者」向けではなく、従来からのコアなファン向けのものではないかという疑いが芽生えた。
というのも、伏線が沢山張られるわりには回収されずに放置されるものが多いからである。
つまり、内容が自己完結的ではなく、余りにも多くの「外部参照」を要求しているように思えるのである。
さて、「初心者」の感想は、以下のようなもの。
・「精神と身体 animus - corpus の相克」が大きなテーマであることは動かないと思われる。
・これに加え、シンジは今後ゲンドウと対立することが示唆されているので、「父と子の相克」もテーマであるようだ。
・ゼーレは何やらラスボス的な雰囲気をたたえているが、これが Seele (ドイツ語で精神、魂)のもじりだとすれば、「精神 animus」の側に立つキャラクターと思われる。
・ゲンドウは、ゼーレとは提携関係にあったようだが、現在の立ち位置は不明である。NERV(神経)を、「精神 animus」と「身体 corpus」のいずれに属する・近いと見るかによって違ってくるのだろう。
・「死を背負った群れの進化を進めるためにあなた方は我々に文明を与えてくれた。人類を代表し感謝します。死をもって あなた方の魂をあるべきところへ還しましょう。宿願たる人類補完計画と諦観された神殺しは私が行います。ご安心を」というゲンドウのセリフを素直に解釈すれば、人類は「あなた方」から「文明」を与えられ「魂」を借り受けた債務者の立場にあるところ、ゲンドウは、債務者という立場を脱却したいと考えているようだ。そのために「人類補完計画と諦観された神殺し」が必要となるということだろうか?
・「神殺し」という言葉からは、やはりニーチェのパロディという側面があるように思われる。
・綾波ユイ(シンジの母)と綾波レイは、「精神と身体 animus - corpus の分離」を象徴しているようである。
・「ロンギヌス」と「カシウス」の槍、「ヱヴァ Mark6 パターン青」、「アダムスの器」など、物語世界内固有のワードが何の説明もなく出てくるが、こうした(源氏物語における漢詩のような)「コード」をちりばめる手法は、前述した大きなテーマをぼかすことにもなりかねず、個人的には感心しない。
・(ゲンドウが残していった)音楽プレーヤー?の意味についてもヒントがないようで、視聴者に不親切に思える。
・シンジは14歳のときに意識を失ったので、知能は14歳のままという設定なのだろうが、カヲルの制止をきかずに槍を抜いたところは、アニメの主人公(しかも世界を守るべき存在)としてはさすがに頭が悪すぎるし、展開として不自然である。知性・判断力の未熟さを強調しないと、まともな大人は感情移入がしにくいだろう。
この続きが、例えば、「「ゲンドウ=父=悪」を「シンジ=子=善」が倒して世界を救う」といったステレオタイプ、あるいは、「全部シンジの夢の中の出来事でした」といったたぐいのうっちゃり型の結末であるというのであれば、一視聴者としては「遺憾」という感想を述べるしかないだろう。
さて、「シン・エヴァンゲリオン 劇場版」はどうなりますことやら?
というのも、伏線が沢山張られるわりには回収されずに放置されるものが多いからである。
つまり、内容が自己完結的ではなく、余りにも多くの「外部参照」を要求しているように思えるのである。
さて、「初心者」の感想は、以下のようなもの。
・「精神と身体 animus - corpus の相克」が大きなテーマであることは動かないと思われる。
・これに加え、シンジは今後ゲンドウと対立することが示唆されているので、「父と子の相克」もテーマであるようだ。
・ゼーレは何やらラスボス的な雰囲気をたたえているが、これが Seele (ドイツ語で精神、魂)のもじりだとすれば、「精神 animus」の側に立つキャラクターと思われる。
・ゲンドウは、ゼーレとは提携関係にあったようだが、現在の立ち位置は不明である。NERV(神経)を、「精神 animus」と「身体 corpus」のいずれに属する・近いと見るかによって違ってくるのだろう。
・「死を背負った群れの進化を進めるためにあなた方は我々に文明を与えてくれた。人類を代表し感謝します。死をもって あなた方の魂をあるべきところへ還しましょう。宿願たる人類補完計画と諦観された神殺しは私が行います。ご安心を」というゲンドウのセリフを素直に解釈すれば、人類は「あなた方」から「文明」を与えられ「魂」を借り受けた債務者の立場にあるところ、ゲンドウは、債務者という立場を脱却したいと考えているようだ。そのために「人類補完計画と諦観された神殺し」が必要となるということだろうか?
・「神殺し」という言葉からは、やはりニーチェのパロディという側面があるように思われる。
・綾波ユイ(シンジの母)と綾波レイは、「精神と身体 animus - corpus の分離」を象徴しているようである。
・「ロンギヌス」と「カシウス」の槍、「ヱヴァ Mark6 パターン青」、「アダムスの器」など、物語世界内固有のワードが何の説明もなく出てくるが、こうした(源氏物語における漢詩のような)「コード」をちりばめる手法は、前述した大きなテーマをぼかすことにもなりかねず、個人的には感心しない。
・(ゲンドウが残していった)音楽プレーヤー?の意味についてもヒントがないようで、視聴者に不親切に思える。
・シンジは14歳のときに意識を失ったので、知能は14歳のままという設定なのだろうが、カヲルの制止をきかずに槍を抜いたところは、アニメの主人公(しかも世界を守るべき存在)としてはさすがに頭が悪すぎるし、展開として不自然である。知性・判断力の未熟さを強調しないと、まともな大人は感情移入がしにくいだろう。
この続きが、例えば、「「ゲンドウ=父=悪」を「シンジ=子=善」が倒して世界を救う」といったステレオタイプ、あるいは、「全部シンジの夢の中の出来事でした」といったたぐいのうっちゃり型の結末であるというのであれば、一視聴者としては「遺憾」という感想を述べるしかないだろう。
さて、「シン・エヴァンゲリオン 劇場版」はどうなりますことやら?