パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「なるようにしか、ならない」と考えるのも一つの手

2009年06月04日 22時08分35秒 | Weblog
景気が回復したとする
それで全ての問題が解決するかと言えば
はっきり「ノー」と言えるところが
多くの人々に不安を与え続けている理由

景気が戻っても、そこで見える景色は
以前のものと随分変わってしまっていることだろう
そして、そこに自分たちの居場所が見つけられるか?
実際には、なってみないことにはわからないが
予想される範囲内では、漠然とした不安が沸々とわき上がってくる
のも正直なところではないだろうか

例えば、小売業に携わる人々は、人口減少の現実と
幸か不幸か日本が成熟した社会であるため
耐久消費財等は既に多くの家庭で所有しており
買い替え需要しか期待できず
その上、ますますの競争激化で、
一番手っ取り早い価格競争の手段を
大手流通がとるために結局は体力勝負になり
そこに参戦できない中小零細企業は淘汰される運命にあり
生き延びているように見える大手ですら
M&Aの波に取り込まれたり(吸収される方は大変だ)
計画の無理がたたって第2のダイエーの道を
歩むのではないかとびくびくしている姿を
容易に想像することができる

この辺りは本当に個人の力では何ともならない事柄だ

真面目にコツコツやっていれば上手くいく
かつては当たり前のように信じられていたこのことが
今やあまりリアリティーを持って感じられない


経験を積んだ大人は、なまじっか先を読みすぎる傾向にあるが
その予想は悲観的に考えやすいこの国の人たちのメンタリティーも相まって、
どうしても明るい未来というわけにはいかない

一概に比較することはできないかもしれないが
第2次世界大戦後の日本と今の日本
いったいどちらが幸せだったり、豊かだったりするのだろう

闇雲に明るい未来を信じられた戦後の社会は
物がなくても幸せだったんじゃないかと
フト無い物ねだりをしてしまう

どうやら物に囲まれていても人は
それほど幸せになれるわけでもない
なのに経済は物をより多く所有する方向にしか
進んでいかないし評価もされない

こうした社会の中に生きている我々
確かに必要以上にストレスにさらされる

根本的な解決法が見つけられない今
我々にできることと言ったら
「ケ セラ セラ」「レット イット ビー」と
開き直ることかもしれない





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