パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

それなりの年齢の人は、それなりの考えをもつのが当たり前

2024年07月02日 09時35分12秒 | あれこれ考えること

それなりの年齢の大人が選挙のことに関心を持つのはごく自然のこと
先日、サッカーののヨーロッパ選手権真っ最中のフランスのエース
エムバペが「サッカーも大事だが、選挙も大事」と発言した記事を見かけた

このことを取り立てて紹介しなければならないこの国の状況は
正直言って情けない状態だ
SNSでの政治的な内容に気分を害しているような人は
SNSから離れる方が良いと諭したメディア関係の人がいたが
この発言は、その人の人間性を疑わせるものだった
(それとも何らかの目的意識があってしたのか)

人間が普通に生きていればいろんな困難に出会う
自己責任によるものもあれば、理解できない出来事によるものもある
そうした時に、それなりの経験をした人はその解決法として
「政治的な方法」があることを知っている

だが政治的な解決法はともすると「多数決」という必殺の言葉で
極めて危なっかしいものになってしまう
多数決は現実的なところ、民意の総意の結果ではなく
多数決の数をカウントできる人たちの都合の良い結果とい考えたほうが良いかもしれない

多数決が一人の判断より「まし」である条件は、判断する人がその案件に対して
客観、公平、中立であることが求められるが、現実の世界はこの前提の確保ができていない
ある時は正当な(?)ロビー活動によって、ある時は表に出ない形の協力によって
民意は反映されない形になる
これはある時、「民主主義は民意を反映しないシステムだ」
と定義した若い学者がいたことを思い浮かべてしまう

時々、西欧式の個人主義の考え方は日本にはあわない!
と口にする人に出会う
簡単に言えば、公共的な価値観に従うべきで自分勝手ではいけない
と言う主張だが、こういう人は少し勘違いしていると思う
西欧の個人が大事とする考え方は、自分自身としての個人生活が大事なように
他の人の個人生活も大事と考えていること
つまりは他人の個人を自分と同じように認めるという言うことで
その違いから生まれるものは徹底的な討論等で解決できると言う考え方だ

ちょいと面倒くさい考え方だが、これらは長い時間をかけて育ててきたものだ
その基本的な思考方法を理解せずに、個人主義の言葉でバッサリと
決めつけてしまうのは、自分にはずっと違和感を覚えるものだった

普通の大人が当たり前のように感じる思い、こうした方が良いとか
こうであって欲しい、、という思いが、政治的な意味合いを持つ時
それを表に出すことがこの国は何故こんなに息苦しいものとなってしまうのだろう
(テレビでは暗黙の約束事があるように思えてしまう)

その意味でがっかりした人物は為末大、糸井重里、眞鍋かをり、太田光で
それに逆らったカンニング竹山とか勝俣州和などはちょいうと見直した

とにかく今度の都知事選はプロパガンダによる支配が
進行している可能性を感じさせるものということ



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