最近資本主義に関する解説書を読んでいる
と言うより眺めている
マルクスは当時の社会の変化を丹念に踏まえた上で
そしてヘーゲルの手段を使って資本というものが
自己増殖的に、彼に言わすれば労働者を搾取して
増えていき、最後には共産社会に移行すると予想した
そして哲学者たちは社会に関与しなければならない旨を説いた
(と自分なりの理解の仕方だが)
しかし、予想は外れるということがここでも見られる
つまり、社会の変化はマルクスが予想したものとは違う動き方をしている
技術の進歩が生産力を上げるだけではなく、その技術が似たらした変化は
人の心までも変えてしまった
資本主義が社会主義との比較で優れている点
競争ということが生産性の効率化だけでは収まらないどころか
競争という物自体がむしろ技術革新に中心が移動している
そしてその技術革新はマーケティングによって欲望を増大され
良きものとして正当化される
現在当たり前のように疑うこともない事柄に
経済発展がある
それは無条件に良いことだとの論調
しかし、この経済発展が良いというのはこの国の範囲内でのこと
全世界が経済発展すればいいということではない
現実に現在の自由主義経済、資本主義が発展して結果
何が起きいていかるかといえば冨の不公平
先進国と発展途上国との不均衡
そして先進国が求める社会実現のための
ある地域での環境の悪化
そして、ついには先進国同士の闘い
いやもうそこには国という概念よりも
利益を追求する企業が国すらも動かすことが起きつつある
しかしその企業を支配するのは株主
株主は主役といえば一見小市民が中心のようだが
実際には投資家はほとんどが既に金融資本を負っている人々
こうして資本主義の行き先を不安がったところで
実はその便利さをこの先進国の日本で享受しているのも
紛れも無い事実
表向きのポジティブの考え方は
みんな経済的な成功者になりなさい
なるように努力すべきで、敗者になってはいけない
多分知らず知らず幼い頃からそう教えられる
しかし、どうやったところで統計上は正規分布の割合で
成功者、普通の人、敗者が存在するのではないか
(成功者の割合はもっと偏っている可能性があるが)
どうも表に出てくることは表面をなぞってばかりのように思えてくる
どうしても出現してしまう敗者
その敗者を努力不足の一言で終わらせないことが
共感と想像力をもった人間という生物が行える
賢い方法だと思うのは
甘っちょろい考えかたか?
ところで今日の中日新聞の本の紹介にあったのが
「弱者の戦略」 戦いを避ける雑草の知恵
新潮社 稲垣栄洋
「生物は基本的に戦いを避ける。戦って傷つくのは互いに損だから。
自然界は道徳や規則、平和の概念など一切ない無法地帯。しかし
そこで辿り着いた答えは、いかに戦いを避けるかであり、昆虫や植物が助け合うような
共存、共生だった。」
進化は戦いの上で勝利したものの上で成り立つのではない
住み分けが賢い方法なのかもしれない
そこにはこの方が価値ある生き方、価値の無い生き方などという概念は存在しないかもしれない
それに比べると人間たちは余りにも一直線の戦い方をしていないか?
どうも今の社会が悪い方向に進んでいるようにしか思えないのは
田舎の心配症のおっさんの思い込みだけならいいのだが
と言うより眺めている
マルクスは当時の社会の変化を丹念に踏まえた上で
そしてヘーゲルの手段を使って資本というものが
自己増殖的に、彼に言わすれば労働者を搾取して
増えていき、最後には共産社会に移行すると予想した
そして哲学者たちは社会に関与しなければならない旨を説いた
(と自分なりの理解の仕方だが)
しかし、予想は外れるということがここでも見られる
つまり、社会の変化はマルクスが予想したものとは違う動き方をしている
技術の進歩が生産力を上げるだけではなく、その技術が似たらした変化は
人の心までも変えてしまった
資本主義が社会主義との比較で優れている点
競争ということが生産性の効率化だけでは収まらないどころか
競争という物自体がむしろ技術革新に中心が移動している
そしてその技術革新はマーケティングによって欲望を増大され
良きものとして正当化される
現在当たり前のように疑うこともない事柄に
経済発展がある
それは無条件に良いことだとの論調
しかし、この経済発展が良いというのはこの国の範囲内でのこと
全世界が経済発展すればいいということではない
現実に現在の自由主義経済、資本主義が発展して結果
何が起きいていかるかといえば冨の不公平
先進国と発展途上国との不均衡
そして先進国が求める社会実現のための
ある地域での環境の悪化
そして、ついには先進国同士の闘い
いやもうそこには国という概念よりも
利益を追求する企業が国すらも動かすことが起きつつある
しかしその企業を支配するのは株主
株主は主役といえば一見小市民が中心のようだが
実際には投資家はほとんどが既に金融資本を負っている人々
こうして資本主義の行き先を不安がったところで
実はその便利さをこの先進国の日本で享受しているのも
紛れも無い事実
表向きのポジティブの考え方は
みんな経済的な成功者になりなさい
なるように努力すべきで、敗者になってはいけない
多分知らず知らず幼い頃からそう教えられる
しかし、どうやったところで統計上は正規分布の割合で
成功者、普通の人、敗者が存在するのではないか
(成功者の割合はもっと偏っている可能性があるが)
どうも表に出てくることは表面をなぞってばかりのように思えてくる
どうしても出現してしまう敗者
その敗者を努力不足の一言で終わらせないことが
共感と想像力をもった人間という生物が行える
賢い方法だと思うのは
甘っちょろい考えかたか?
ところで今日の中日新聞の本の紹介にあったのが
「弱者の戦略」 戦いを避ける雑草の知恵
新潮社 稲垣栄洋
「生物は基本的に戦いを避ける。戦って傷つくのは互いに損だから。
自然界は道徳や規則、平和の概念など一切ない無法地帯。しかし
そこで辿り着いた答えは、いかに戦いを避けるかであり、昆虫や植物が助け合うような
共存、共生だった。」
進化は戦いの上で勝利したものの上で成り立つのではない
住み分けが賢い方法なのかもしれない
そこにはこの方が価値ある生き方、価値の無い生き方などという概念は存在しないかもしれない
それに比べると人間たちは余りにも一直線の戦い方をしていないか?
どうも今の社会が悪い方向に進んでいるようにしか思えないのは
田舎の心配症のおっさんの思い込みだけならいいのだが