パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

みんなが常識的な方が効率が良いようだ

2025年02月11日 09時39分42秒 | あれこれ考えること

秋になると豊橋と新城を結ぶ「柿の木街道」と呼ばれる道には
無人の柿を販売する店が幾つも並ぶ
一袋で5つくらい入っていて金額は200円の安さだ
少し見てくれの悪い物が多いが自宅で食べるには問題ない

年に2回ほどだが購入するところは大体決まっている
(店ごとに味の安定感が異なる)
販売所にはお金をいれる箱みたいなものがあって
個々に購入者が要した金額を入れることになっている

この格安な柿は消費者にとってはとてもありがたい
そして多分、消費者だけではなく生産者にとっても
ありがたいシステムだ思われる

気になるのは、お金を払わずに商品だけを持って行く人がいないか
という点だが、これまでずっと続いているので
被害があったとしても大したことはなくて済んでいるのかもしれない

みんな(買い手)が正直に常識に従ってルールを守るということは
経済的にもとても効率が良い
販売の人件費が必要ないから安く販売できるし
消費者はその恩恵を受けることができる

こうした道徳的な精神がみんなにあってこそ世の中は
市場に任せても効率的に動いていくと思われる
アダム・スミスの「神の見えざる手」は市場に任せておけば
均衡点に自然と落ち着くという考え方だが
それには前提条件があって、みんなが常識的な(良い)人であることだ
アダム・スミスは国富論の前に「道徳感情論」という書物を残しているらしい

市場を自己の利益優先の場と考えて、それぞれの自己の利益拡大を目指していけば
良いところに落ち着くというのはどうもそうではないらしい
令和の米騒動ではお米自体の供給量は不足していないが
お米を扱う中間業者が再び不足のときのためとか、個々の利益のために買いだめを
しているのが原因だともいわれる

話を拡大して、トランプさんの自慢の政策
アメリカ・ファーストとかを継続していくということは
実は効率的にもわるくなっていくのではないかと想像することができる

生半可な知識だが経済学の考え方に、ナッシュ均衡とかパレート最適
というが異念がある
これらは数学的に(論理的に)導かれる結論を予想しているが
それらは(多分)片方だけが得をするというのは全体的には効率が悪い
というところに落ち着くと自分は勝手に思っている(違っているかもしれない)

つまりは少数者の利益を優先するとか少数者の収奪が存在する時は
数学的、論理的にも効率の悪い社会で、社会は安定せず、社会の衰退が
起きてしまうというのが最終的な着地点のようだ

しかし、かつては今よりも道徳的だったと思われる社会が、現在は
「道徳的に問題があっても(法に抵触しなければ)やったもの勝ち」
のような風潮になっているのは、どうしてなのかな?
と思うと同時に、これを常識的な状態に戻すのはとてつもなく
大変なことだと思えてしまう





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ナチズム前夜」読書中 | トップ |   
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

あれこれ考えること」カテゴリの最新記事