パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

チャイコフスキーを聞くと、恥ずかしい気持ちになる

2010年08月12日 16時20分04秒 | 音楽
良いメロディー、美しいメロディーとはなんだろう
難しいことを考えなくても、
音楽の楽しみの大きなウェイトを占めるのが
メロディーの良し悪し

しかし、よいメロディーというものは
聞き込んでいる人と、その分野にあまり経験のない人とは
とらえ方が違う

一般的によいメロディの代表作は
ショパン 別れの曲 雨だれ ノクターン
スメタナ モルダウ
ドボルザーク 新世界から第2楽章
チャイコフスキー 白鳥の湖
バッハ エア
ベートーヴェン 月光(分散和音が印象的だけなのかもしれないが)
モーツァルト 40番の第一楽章
シューベルト アヴェ・マリア
この辺りが入門編のCDにも入っている曲

ところが感動的なメロディーとなると少し違う
バッハ マタイからのアルトのアリア 
シャコンヌ パッサカリアハ短調 ロ短調ミサからベネディクトス アニュスデイ他
モーツァルト クラリネット五重奏曲 K364の第2楽章 アヴェ・ヴェルム・コルプス
魔笛の第一幕 グロッケンシュピーゲルが活躍するあの辺り
ベートーヴェン ピアンソナタ 30.31.32番 後期の弦楽四重奏曲
フランク ヴァイオリンソナタ
ブルックナー アダージョ楽章
フォーレ レクイエム ピアノ三.四.五重奏曲のアダージョ楽章

言ってみれば少し感覚的快感よりは
精神的な満足感に好みがシフトしている様に感じられる

好きなメロディーや作曲家 確かに相性はある
どうも苦手な部類に入るのがチャイコフスキー
交響曲でもロシア民謡風の印象的なメロディーは心に残る
ピアノ三重奏曲も必殺のメロディーに近い

ところが、どうしてもこの人の音楽
聞いているとこちらが恥ずかしくなってくる
あまりにも朗々と歌い上げるからかどうなのかは分からないが
とにかく好意的な気分にはなれないで終わってしまう
(単に相性が良くないだけかもしれないが)

音楽は感情を表現するものだとしたら
その表現された感情を少し受け入れがたいのかもしれない
そういえばフランクのピアノ五重奏曲も
ちょっと恥ずかしい気がしないでもない

チャイコフスキーのあと聞くモーツァルトの音楽の素晴らしさったら
なんとシンプルで完璧か!
いつもそんな風に感じてしまう

モーツァルト 
一見繰り返しで同じ事をしている様にみえても
部分部分が絶えず変化していてどこに進むか分からないようで
しかし、ちゃんと収まっている

ここまで書いて、結論はモーツァルト賛美で
予定と異なってしまったが
とにかく、チャイコフスキーの音楽を聴くと
恥ずかしい気持ちになるのは
ホント何故なんだろう?
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子供たちのサッカー(ベンチからの声)

2010年08月08日 21時02分41秒 | サッカー
サッカーは冬の季語
教えてくれたのは子供たちだった

なるほど夏のサッカーはシンドイ
全く、するもんじゃない
子供たちが集中して試合できなかったり
練習に取り組めないのも仕方ないかもしれない

今日は夏の定番 ナイター練習ではなくて
この地区に合宿に来たチームとの乞われての練習試合

4.5.6年がこちら(2チームに分けた)
5.6年が相手のチーム
20分ごとに入れ替わって行った

自分の担当は久しぶりの4年チーム
なかなか上手くいかない
はっきりってしまえば実戦不足
キチンと止めたり蹴る事ができない子が
まだまだ半分くらいいる

練習はそれなりにできても試合になると
判断が遅かったり相手にボールを取られたり
が多い

もっともこの学年、今でこそ15人だけれど
5.6人でずっとやってきて
今年になって急に増えた
それで試合を見ると現実的に頑張れたのは
今までずっと続けてきた子

そんなに上手くない、と思った子でも
運動神経はよくても最近入った子より
良いパフォーマンスをしていたのは
サッカーはうまくなるのに時間がかかる
という事だろう

試合をしていて興味深いのはベンチからの声
いろんなチームがいろんな声を出している

細かな指示をするところや
怒鳴って怒っているチーム

で、自分の声は多分、あまり具体的な事は言わない
というより
「~~君、今のプレーよかったよ、もう一回やってみよう」
「~~君、よくがんばって追いかけた、エラい」
こんな感じが多い

子供たちは、聞こえた時は納得した感じで首を振る
そしてその瞬間からしばらくは体が軽くなったみたいに
活発に動く

小学生のサッカー
サッカーはチームプレーの一言が
子供たちのプレーの幅を狭くしている様な気がしてならない

この世代は個々の戦術で打開して行けば良い
というか
個々のアイデア、スキルをもっと発揮すべきと思うのだけれど
一人でできなくなったら
~~と直ぐに答えを大人は教えて
そのパターンを練習させる

子供たちは実はもっと柔軟で
打開策は自分たちで考える事ができる
教えるべきは 打開策の見つけ方
その方法はもしかしたら大人が考えるより
優れた方法かもしれない

つまり、子供たちにはのびのびと
子供時代ににしかできないワガママで
感情に溢れた、本能的な、闘いのゲームとしてのサッカーを
味あわせてあげたい

サッカー協会の指導方針は少年時代は
個々のスキルを磨く事が目標になっているが
試合が目の前にあると、なかなかコーチ陣の方が我慢できなくなってしまう

それでベンチからの声が怒号になってしまうわけだ

子供たちのサッカー
それは大人たちのサッカーの縮小版ではないと思うのだが、、、
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夏の京都(の旅)

2010年08月05日 06時16分29秒 | Weblog
昨日、有給休暇をとって京都に出かけた
毎年数回は出かけているが
行き先を決めるのは、毎回京都についてから
で今回は


修学旅行定番、いや京都旅行の基本
ご存知清水寺


トカゲ君も顔を出してくれました


この上から目線の風景 なんだか美しいような気が、、、


水を打って、コケたちも気持ちよさそう ちょっと虹も

清水寺、高台寺と歩いて疲れて建仁寺へ

庭を望む広い部屋は、時折風が吹いて
数人の人がお昼寝タイム
自分も10分くらい記憶がないような、、、

休日でない日の京都の旅
時間の経過が なんだか不思議

それにしても流石京都 外国人が多い
韓国人が多かった(中国の人かも?)
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夏は疲れる

2010年08月01日 21時55分30秒 | Weblog
何もしなくても、明らかに他の季節とは違う。
暑さしのぎにエアコンに当たっているからと言うより
自分の体内エアコンが、まるで軽自動車で目一杯フル活動していて
それで疲れてしまうみたい。

早寝早起きとかサマータイム
この方が人間の生物としてのリズムにはふさわしい様な気がするけれど
なかなか日本では普及しないかな?

サマータイムをすれば夜まで仕事が長くなってしまいそうだし
早寝早起きは夜型生活者の都会には受け入れられそうもない

この国はどうも目的と手段が入れ替わってしまっている

豊かになるためにではなく
幸せになるため一条件として豊かさがあるに過ぎないのに
豊かさが全ての風潮が幅を利かす

夏は疲れる
だったら夏は国をあげて休みましょう
とまで言い切っている様なヨーロッパの国に追いつくのは
まだまだ先の話かな?


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