明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



泉鏡花の作品に登場する河童は、盟友柳田國男の影響はあきらかだが、一方の柳田は『河童を馬鹿にしてござる』といささか不満だったようである。柳田にしてみれば河童は神聖をもつ存在である。ということなのであろうが、河童の出自はともかく、草双紙その他によって、庶民の間で育てられてきたキャラクターであり、尻子玉を抜く、好色な、いわゆるエロガッパ的なものが一般的イメージであり、鏡花は単にそれに準じたということであろう。  Kさんのような、あれだけ河童じみた、そのもののキャラクターが身近にいたら、世が世なら、私でも容易に河童像の創造者になれたに違いない。いつか夏の暑い日、本郷の東大内は三四郎池を訪れた時、パンをつまみながら集まる亀共と戯れ、あげくに足の指を齧られ声を上げたときは、暑さでボンヤリした私には、まさにそのものに見えた。 昨日あれだけ早朝に奥多摩に出発する、といっていたのに、結局T屋で早朝から飲んでしまい、出発は昼近くである。何しろどこか出かけるときは、まずファンである、T屋のかみさんに報告していかないと気がすまない。額を23針縫っても、病院から家に帰る前に血だらけのまま、まずT屋である。 未だに若い娘が好きなKさんは、自分自身のことをどう思っているのか知らないが、昨晩も携帯に入っていた事故直後の額のへの字の写真を見せると、老眼のためもあろうが、「俺はこんなにハゲてねェ。これはT千穂の店長だろ?」。Kさんは額のハゲ具合だけを気にしているが、私は密かに頭頂部に徐々に形成されつつある、皿状の部分に注目している。 それにしても水の神だか山の神様だかは存ぜぬが、何故よりによってKさんの額に“へ”の字の刻印を賜ったのであろう。こんな世でも”屁のカッパ“。皆を元気づけよ。とでもいうのであろうか。

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