明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



カラオケが苦手だった大きな原因は、私が人見知りで恥ずかしがり、ということもある。人数が多くなると口数が減る。 高一の時に、地元の高校生が合同で某区公会堂でコンサートをやることになった。そこはそのまた昔、先日亡くなった安岡力也がシャープホークスで『勝ち抜きエレキ合戦』のテーマ“燃えろ燃えろエレキ、若さでぶつかれエレキ♪”と歌った同じステージであった。自分が酒に強いことを知らなかったので、出掛けに日本酒をコップ一杯飲み干して出かけたが、何事も起こらず慌てた。結局照明がまぶしくて、客席が見えずに無事に終る。あとで録音を聴いたらずうずうしくも念入りにチューニングに時間をかけていた。 初出版の折に、渋谷のライブハウスで出版記念ライブをやったが、様々な方に御出演いただいたのに、肝腎の私は挨拶をするでもなく、結局一言も発せず、お辞儀をしただけに終った。 昨年、一水会の鈴木邦男さんに個展に来ていただいて、雑誌で対談し、ひょんなことからロフトのトークライブの端っこに参加することになった。カラオケで人前で歌って慣れたので、と思ったが、モニターを皆で見つめるカラオケと違って、みんなこちらを向いているのが誤算であった。しかし一緒に登壇したのがオウムの村井秀夫を刺殺した徐裕行氏で、観客は私の話より氏の話を聴きたいに決まっている。責任の軽さからこれも何とか無事に終った。 想えば授業参観に来なかった父は、来たと思ったら、お父さんの御意見を、ということになり、父の番になる前に教室から消えていたから、こんなところは父からの遺伝かもしれない。 

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