明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私の周りで川端康成が好きだ、という話は聞かない。映画はともかく原作は読んだことがないらしい。確かにノーベル賞作家というと、あまり面白そうな気はしないが、旅情を描く作家程度に思われているようである。だがしかし。 『菊治が八つか九つの頃だったらうか。父につれられてちか子の家に行くと、ちか子は茶の間で胸をはだけて、あざの毛を小さい鋏で切ってゐた。あざは左の乳房に半分かかって、水落のほうにひろがつてゐた。掌ほどの大きさである。その黒紫のあざに毛が生えるらしく、ちか子はその毛を鋏でつまんでゐたのだつた。(中略)ちか子の膝の新聞紙に、男のひげのやうな毛が落ちてゐるのも、菊治は見てしまつてゐた。 真昼なのに天井裏で鼠が騒いでゐた。縁近くに桃の花が咲いていた。』
『まあだだよ』(大映)を見る。黒澤明が内田百間を描いた映画である。年寄りが作った映画という感じは否めないが、『ノラや』の部分では、私がイメージした画と同じ画が出てきて、黒澤もそう思った?と。少々嬉しかった。庭を眺めてノラを想う後姿は書籍用に、百間が自らモデルになり写真を撮らせたポーズがそのまま出てきた。
『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』(東映)クライマックスは高倉健の秀次郎と池辺良の三上との雪の道行きシーンである。「秀次郎さん。駅は向うですぜ」。「まだ用足しが残ってるんですよ」。「そいつァあたしにまかしておくんなさい。一家のもんが陰に日向にお世話になったそうで。礼をいわしてもらいますよ」。「三上さん。あんたはここに残らなくちゃならねェお人だ。もしあんたが居なくなったら、姉さんや榊組はいったいどうなるんです。あっしをいかしてやっておくんなさい」。「ここであんたを行かしたんじゃ榊組の面目が立ちません。気持ちだけは有り難く頂戴いたします」。「あっしはまだ幸太郎親分に、ほんとのお詫びを済ましちゃいねェんで。せめて顔向けのできる男にしてやっておくんなさい」。「秀次郎さん」。「三上さん」。見詰め合う二人。今にも接吻しそうなところに流れる『唐獅子牡丹』。名場面中の名場面である。私はいずれこれを市ヶ谷に向う三島でやるつもりである。 少々気になったのは、劇中せっかくの池辺良が「けーさん、けーさん」と呼ばれていることであった。

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