明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



作中に旅館が出てくる。その看板だが、乱歩の時も『目羅博士の不思議な犯罪』の目羅眼科。『D坂の殺人事件』の古書店『三人書房』いずれも板に彫った物を背景に合成した。今回も旅館に見立てた建物に貼り付けるつもりでいるが、編集者に送ってもらった筆文字のフォントが今回はどれも気に入らない。書を集め始めて目が肥えたせいである。田舎の旅館の先々代が、地元の名士に揮毫を頼んだ、というような味が欲しい。 私は託児所代わりに幼稚園から小学4、5年まで習字塾に通わされたので、太い筆を持つ限り、今でもまあまあであるが、いかんせん楷書どまりである。そこで想い出したのが、私の初個展の題字を書いてくれた、陶芸家を目指していた頃の友人Nさんである。 知り合った当時笠間に住んでおり、私より3つ程年上であったが仲良くしてもらった。その頃も自分で作った筆で、煤を集めて毎日書を書いていた。  絵付けのバイトをしていて、ある日、忙しそうなので私が食事を作った。彼が近所の畑から引っこ抜いてきた長ネギの、青い部分を捨てたら慌てていたのを想い出す。東京生まれの私には、青い部分は捨てる物であった。 その後Nさんは郷里の岡山に帰り、私は人形制作に転向した。岡山で展示があった時にお邪魔したが。周りの山があまりに緑ばかりで花を植えたら、その中にポピーでなくケシが混ざっており、警官が慌てて抜きに来たといっていた。しかし抜いても生えてくるらしく風にそよいでいた。 奥さんが闘病生活の末に亡くなって以来、憔悴して気力が無くなり歯まで抜けた、といっていた。しかし今日久しぶりに電話をしたら、陶芸は7、8年前に止めたそうだが、書だけは毎日書いているという。私の思ったとおりである。あの頃も女性にフラれても書だけは書いていた。頼むと二つ返事。そういう人ではないので、これは相当元気だ、と嬉しかった。

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