T千穂に行くと、カウンターには常連がおらず、一人飲んでいると、橋の設計をしていた方が隣に。展示にいつも来てくれていて、人形というと可愛いらしい女の子しか知らなかった、と喜んでくれている。江東区は橋が多い。そんな話から、橋の構造や機能美の話を伺っていて、亡くなった父がサラリーマン時代、イカリの設計をしていたことをいうと、イカリは海底の様々な地形に対応しなければならないので難しいのだ、という一言でフイに涙が溢れそうになった。 父が設計をしていたのは私が小学生の頃で、当時世界一のタンカー『出光丸』のイカリの設計をした、というのが子供の私には誇りであった。しかし、まったく愛想もハッタリもない父に聞いたところで、誰がやったって同じだ、くらいのことしかいわない。そういわれると、大きさの違いだけでみんな同じように見えるし、わざわざ設計士などいらないようにも思えてくる。難しいというのは生まれて初めて聞いた。 父の葬式でも泣かなかった私が泣けたのは、もう一回ある。亡くなって随分経って、父と来たことがある日曜大工センターで買い物をしていた。私は昔から男が人知れず工作するイメージにツンと来るところがある。それがたいしたものでなくとも、友人の家でマッチが井げたに積んであるのを目にしても、一人でこんなことしてるんだ、とツンと来るのである。買い物を終えた時、それは子供の頃から見ていた、父の日曜大工する姿だ、と急に気がついた。帰りの駅に向う道中、滂沱の涙であった。 本日はカウンターの向うに、泣いた涙も引っ込む店長の顔があったから助かった。母に今日聞いた話をメールで報告し、返事も何も、この件には二度と触れないよう念を押しておいた。
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