最近の手法が出来た時、私の大リーグボール3号だ、手法に名前を付けたい、などと調子に乗ってしまったが、陰影を消して配するだけだからそれほどのことではないかもしれない、ただ自らが、自分で作り出した陰影を生かすどころか消す、というのは作っている本人としては、なかなか決心のいることではあった。 私にもし大リーグボール1号があるとすれば、作家シリーズ開始と同時に始めた、片手に人形を捧げ持ち、片手にカメラで街で撮り歩いた手法であろう。左手の人形を刀と見立てて国定忠次にならい『名月赤城山撮法』などといっていた。私が始めたのは96、7年だが、今ではスマホでフィギュアや縫いぐるみでそこら中でやっている。旧いレンズを使い、ピントもほとんど固定。シャッタースピードは15分の1秒。街中でヒョイと御本人と出くわした、という感じを出したくて、ピントの甘さブレなど気にしなかった。 私がこれをやるようになったのは、その前年、ジャズ、ブルースシリーズを背景を作って三脚立てて撮影していた時、今日は上手く行った、このままにしておいて明日少し撮り足そう、と翌日撮影しようとしたが、どうも昨日と違う。人形も立ちっぱなしだし、何も変わっていないはずなのに。初心者だった私は悩み、未練がましく2日間セットをそのままにしたあげくに、変わったのは私の方だ、と気が付いた。寺山修司がウル覚えだが、“フットボールを見た後は赤い色が違って見える”というようなことをいった。昨日の私と今日の私が違っていて当然だ。シャッターチャンスは外側でなく、自らの中にある。この経験が元になり、翌年作家シリーズを始めるにあたり“三脚を捨て街へ出よう”と出かけた。特に寺山と荷風は街中でさえあればどこでも画になった。荷風は後ろを例えルーズソックスの女学生が通っても、ついシャッターを切らされてしまったが、終いには荷風がカツ丼吐いて亡くなった部屋まで行って荷風を撮った。
銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより
※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」
HP
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