明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



それにしても猛虎図など5月の個展に出品していいものかどうか。横に豊干禅師がいるならともかく。そもそも寒山拾得制作が主だったはずである。満月を右上に配した。虎はそれを意識しているのか目はそちら方向を向いている。改めて色々な虎を検索してみると、虎を知ってしまってからの日本人の虎はただ勇壮なだけでサッパリ面白くない。戦中など随分描かれたのではないだろうか。 雨の中、清澄庭園に猛虎図といったら竹だ、と撮影にいった。陰影を出来るだけ出さないためにこんな日を選ぶのだが、勘違いしており竹はなかった。そのままSと待ち合わせたサイゼリヤへ。紹介してくれる後輩は打ち合せが入り遅れるという。 そもそも猫で虎を作るかどうしようか、と思っている時、背中を押したのは、腕の中で猫に死なれ、悲観にくれるSの電話だった。昨日共通の友人に会ったそうだが、生まれついて両目がない猫を拾って17年飼い、亡くなった時に、目があり走り回る同じ夢を家族全員が観た、と聞いたという。「良い話しだろう」。いいながら目がウルウル仕始めた「こんなとこで泣くんじゃない」。先月私も馴染みの店の女将さんが亡くなりおじさん二人でここでマグナムワインを何本も空け涙にくれたばかりである。おじさんが涙するにこんな相応しくない場所はない。横で女子中学生が勉強している。その後Sの後輩と合流したのだが、この彼がまた猫を何匹も飼っているというから始末が悪い。結局ほとんど猫の話しか頭に残らなかった。 その後サイゼリヤで私と共に涙したMさんと合流した。Sには私が作った虎を携帯の待ち受けにでもしておけ、といっておいた。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日の猫の虎化について。まず最初に着手したのは猫と虎の大きな違いが鼻筋の長さ大きさに見えたので、まず猫の顔に虎の鼻を付けた。そこから額や頬を貼付けていったのだが、結果的に身体は猫そのままで、虎らしい縞模様も入れなかったのだが、顔はほぼ虎になってしまった。一夜明けてみると、そもそも虎らしくするために、最初に着手した所から間違っていた。人間の子供でも猫でも目が大きくて後はすべてこじんまりと小さいから可愛い。こんな立派な鼻の下には獲物を噛み砕く強靭なアゴがあるのは当然である。 若い頃に得た教訓“ラブレターは一晩明けてから投函せよ”(さらにいえば素面の時に)は今回も生かされることはなかった。しかしこの歳になると、郵便屋を待ち伏せして強奪して書き換えるという手も有りであろう。寺山修司もいっている「書き換えの効かない過去などない」。私は何度引用し、今後も何度引用するのであろうか。作ることになると一刻も早く結果を見たくて気が急いてしまうのは困ったことである。 ということで、本日の虎。これなら当初の予定通りキャッツアイが合う。



銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

HP

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




ここの所、朝から作業を始めて初の食事が飲酒しながらの夜の12時過ぎ、ということがよくある。多少ダイエットになりそうなものだが、まったく動かないし、腹に何も入っていない所に食べるからみんな吸収してしまうのかもしれない。 やったことが無いことほど面白い物はない。頭にイメージが在っても、やってみないと判らないこともある。先日猫を撮ってみて、あまりに虎と違っていた、その違いが判る私が判らなかった時代風に、というのがそもそも無理がある。まして写真でやろうというのだからなおさらである。かつての日本画の可愛らしさは思ったようには出なかった。特に予定と違ったのは、今回の趣旨からすると目はキャッツアイにすべきところなのだが、いくらやっても蛇みたいで表情が出ないので今回は止めた。 しかし猫を虎にしようとするのに、上野の虎を撮影して一部使う、というのは筋が違う気がする。かといって、絵のように見える手法だからこそ、できるだけ描きたくはない。もっとも当ブログを訪問いただく方々には思いつきで行き当たりばったりの私が趣旨だなんだといっても笑止千万であろう。出来てしまったそんなことより、たまたまあくびする猫を撮ったせいで、それに対して大口開けて相対する龍を作りたくなっている気持ちをどう押さえるかの方が問題である。良い歳して暴走している場合ではない。よって夜中に、ちゃんと撮ったことがない、江戸川乱歩を撮影して頭を冷やす所存である。




銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




.とりあえず1匹虎ができればいずれ豊干ができたら横に配すれば良い、と考えていたが、豊干を背中に乗せるに丁度良いカットも撮れていた。さらに猫があくびをした所も撮っていて、これは上空の龍に向かって吠える龍虎図に使える、とシャッター切った時に余計なことを考えていた。虎を作ろうということ自体が脱線なのに横転までしてはいけない。 虎を観たことがない日本人の描いた猫は図案的で可愛らしい。それは身近な猫しか知らないせいだろう。昔、猫を飼ってる酔っぱらいが動物園で猫と同じつもりで手を差しのべ、虎に腕を食いちぎられた馬鹿がいて、病院でインタビューを受けしきりに後悔していた。近所にも似たようなのがいて、今頃先日のことを後悔しているに違いない。手を伸ばしたのは虎ではないが。 虎化のためにペンタブレットで描こうと思ったら、インストールができない。なるほど、あくまで撮影しろ、ということか。虎を検索したりして見ないようにしていたが、無い物は出ないが、有る物は出てしまう。昔の日本人とは違い、虎はどんな物か記憶している。もういいや、と上野動物園に走り、虎だけ撮ってとっとと帰る。いつもの出不精がこういう時はせっかちに変身する。 猫にタイガーマスクを被せるように少しづつ乗せて行ったが、ここが写真である。どうしても絵のようには行かないのはしかたがない。身体に関しては今回はリアルな虎模様にせず、猫の縞を濃くするだけに留めた。イメージは達磨太子がうずくまり横睨みしている感じ。付き物の竹と満月をあしらってみたい。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




『蛸と画狂老人北斎』で実物の蛸を扱い、口を尖らせたタコの八ちゃんのイメージは誰が創始したのかは知らないが、いかに日本人が蛸をアレンジ擬人化していたかを知った。正面からすれば首筋あたりにある排水口を口に見立て、目玉をその上に持って来てタコの八ちゃん調にしている。刑死人の首だかを持ち帰って、なんて話しを聞いた北斎ゆえ、当然蛸を解剖学的にも研究したに違いないが、北斎としても、蛸の八ちゃんのイメージに準じないと春画『蛸と海女』は成立しなかった訳である。 虎と猫は違う。虎は猫背ではないし。虎を見たことがない日本人の多くが、本来瞳孔が丸い虎の目を猫のようにキャッツアイ型に描いている。趣旨からいえば、私もそれに準じなければならない。というより私がレンズを向けているのは猫である。大正時代の写真誌に、猫の瞳孔をノギスで計り露出計がわりにする、というお笑いコラムがあったのを思い出した。 本日は一昨日と違い余裕があった。撮る必要がないカットも決めていたし。猫を虎にする場合、すでに無茶な改造を施しているのだから、わざとらしいくらい、古典的伝統的虎図にしようと考えている。今日は先日と違い猫に警戒されていないのが判る。私は元々犬猫には警戒されないタイプである。それにしても、ご主人が仕事で別な部屋にいる間、ドアの前でそちらを向き、こちらに背を向けぴくりとも動かず。岸壁の母の背中を眺めるが如し。その間ただ待つことしか出来ず。それでも目の前20センチで表情も撮れた。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今月2日Sから電話が来た。数日前、世をはかなんだ調メールが着ていたので気になっていたのだが、訊いてみると飼ってた猫に自分の腕の中で死なれショックを受けているという。さらにそれがきっかけに自分の中で蓋をしていたことが一挙に出てしまったといい、すっかりしょげかえっている。2日のブログに書いたが、その話しを聞いている最中、アイデアだけであった猫を虎にすることを決めた。こういうことは偶然ではない、と必ず乗ることにしている。私の作った虎は、きっとご利益あるぞ、待ってろ、と伝えた。 昨日ひとしきり猫を撮らせてもらい、その上御馳走にまでなってしまった。美味しい焼酎をいただき帰路を気持ち良く歩いていると、Sから電話、今から行って良いか、という。もう11時近かったろう。帰って早くトラの虎化に取りかかりたかったがしかたがない。待ち合わせて朝までやっているカラオケへ。カラオケのビルの一階のなか卯のメニューを酔っぱらってヨロヨロしながら見つめるジイさん。葛飾北斎の身体役のジイさんである。ついでにいえば拙著で火灯もしの翁こと柳田國男の手足をやってもらった。本人とは真反対の、偉い人物にばかりに起用してしまったが、一緒にエレベーターに乗ろうとするので放りだす。「ホーム!」。飲み放題コースで結局朝までSの話しを訊いてお互い1曲だけ歌って解散となった。一眠りして虎に取りかかろうとしたらカードが認識されない。これには参った。Sに「俺に何かなすりつけて帰らなかったか?」「おかげで厄が落ちた」。「馬鹿ヤロー」。 明日再撮ということになってしまった。こういう場合の私は悔しいので、失敗して良かった、と思える所まで必ず持って行く。頭の中には竹林に満月の『猛虎図』がすでに出来上がっている。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




5月の個展に間に合いそうもないが、寒山拾得を制作するとしたら虎に乗った豊干も登場させてみたい。エドガー・アラン・ポーの世界初の推理小説『モルグ街の殺人』は絵画、映画で随分と描かれて来たのに、不思議なことに犯人としてオランウータンが使われた物を見たことがない。せいぜいゴリラかチンパンジーである。ビアズリーの挿絵も尻尾の長いニホンザル調である。よって多摩動物園で撮影して使った。『蛸と画狂老人北斎』では瀬戸内海産蛸を使用。よって虎は上野動物園か。だがしかし。 日本絵画ではモチーフとして虎がよく描かれてきた。しかし当時の日本人は実物の虎を見たことがなく、中国絵画を参考にしたり、または伝聞であろう。実にユニークである。リアリズムの北斎の娘お栄でさえ妙な模様の虎を描いている。多くの虎を描いた円山応挙は中国渡来だかの虎の敷物を写生しているから模様は正確である。日本人は実際は在りもしない麒麟やヌエを描くくらいだから何の問題もなかったろう。何しろ見る側だって虎を観たことがないのだからかまうことはない。 想像してみると、説話上の人物が上野動物園の虎に乗っているのがどうもそぐわない。幼稚園児の頃から動物園に行き、キップリングの『ジャングルブック』に猛獣が人間の目を怖がる描写があり、虎とにらめっこで対戦までしている私が当時の味を出すには、猫を虎に変えるしかないのではないか?そこで夏目漱石がはべらせている猫を撮らせてていただいた近所の方に、再び“虎ならぬトラ”を撮らせてもらった。ちょこまかしないようマタタビもご用意いただいた。 当ブログには、不首尾に終わったことには二度と触れないという厳格なルールがある。その場合、その後虎はどうした、などの不粋な質問は一切受け付けません。


銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




血みどろの無惨絵を見ながら妄想に耽る乱歩だが、いわれてみれば乱歩が何か広げて眺めている写真を見たことがあるな、と思ったが、それは芳年の絵だったそうである。私は背景にヌードを配したいがために乱歩の妄想の元として無惨絵を置いた。モデルをお願いした女性に送ったが反応がない。しばらくして、あれって私?実際の撮影現場はあんなドロリとした妖し気なムードは欠片もない。 完成5分後にフェイスブックにアップしたが、少々勇み足で、その後鞭跡を修正し、煙草の煙は20回はやり直した。だからラブレターは一晩明けてから投函せよ、といっただろう。 勉強不足で鞭跡とはどんなものだったろう、となんとかやってみたが。まあリアルにすれば良いというものでもない。友人からはまた部屋に飾れない作品を、とメールが着たが、それをいっては私の場合お終いなので、かみさんや娘が帰宅する前にタンスの奥から出してちょっと眺める、そんなことを提案してみたい。 出版社がなくなり廃刊の『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル舎)では『D坂の殺人事件』を扱い、そこにもマゾヒストの女房が出て来るが、今の私だったら縄の跡だけにしたかもしれない。鞭跡どころか斬り傷じみてやり過ぎであった。



銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨年の3月7日のブログで、最近の手法の第一作、周囲にヒトダマを受かべた円朝がこちらを見ているバストアップの構想を書いている。しかしそこからが長い。顔を直したり、先に牡丹灯籠の灯籠を制作したり、鏑木清方の円朝図が写真と違うことにも、私が評伝その他から読み落とした円朝があるのではないか、と疑心暗鬼になっていた。ヒトダマを筆で描くことを思い付いたは良いが、なかかな上手く描けなかった。 それを“作り終え撮影してしまうと、あれほど愛情を持って接していたのに、くるりと背を向け煙草を吸ってしまう。そんな自分を判っているので、今のうちに逢瀬を長引かせ楽しんでおきたい。そんなところであろう”などと書いている。自分で読んでいて、ふざけるなこの野郎何をぬかしていやがる。しかしこの間も日本画と陰影のことを考え続けていた。今までやって来たことと違うことをするのはそう簡単ではない、と言い訳しておこう。 結局一作目が完成したのが翌4月の24日である。陰影を出さずに、という構想どおりにできたはずだが、その時点ではまだピンときておらず、鏑木清方の圓朝図へのオマージュとして同じ構図で制作することをいっている。こういうことをしたかったのか、と自分ではっきり認識したのはそのオマージュ作品が出来たときである。それでもまだ完全には把握しておらず、何だか判らないで作ったでは馬鹿みたいなので、後で、始めからそうするつもりで考えてやっていたことにしよう、などと書いた覚えがある。というわけで、始めからこうするつもりで計画通り日々制作している私である。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




軍医総監を完成させ、返す刀で江戸川乱歩の撮影。寝転がる乱歩である。乱歩のご令息立教大の名誉教授だった平井隆太郎先生に、乱歩の執筆の様子を伺ったことがあるが、寝床で寝転がって書いていたそうである。そうだ寝転がっている乱歩を作ろう、と思った。そういえば屋根裏の散歩者など、妄想に耽ってごろごろしている乱歩調人物がでてくる。思った瞬間の、私自身のごろごろしているポーズそのまま作った。灰皿に煙草、和綴じの本を眺めている所が完成したが、今回は乱歩もコレクションし、三島由起夫も好んだ、いわゆる血みどろ絵、無惨絵を床に広げて眺めている場面にした。 浮世絵ではその人の頭の中や置かれている立場など背景に描く場合がある。あれもやってみたかった。つまり乱歩の妄想場面を背景に描こうという試みである。陰影をかもし出す撮影は、せっかく作った立体の陰影を出さないよう、平面的に撮るより楽しいのは決まっている。女性の鞭跡は被虐的女性が登場する『陰獣』をイメージした。『D坂の殺人事件』でも構わない。しかしこれで果たして鞭跡にみえるのであろうか?



銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




最近の手法が出来た時、私の大リーグボール3号だ、手法に名前を付けたい、などと調子に乗ってしまったが、陰影を消して配するだけだからそれほどのことではないかもしれない、ただ自らが、自分で作り出した陰影を生かすどころか消す、というのは作っている本人としては、なかなか決心のいることではあった。 私にもし大リーグボール1号があるとすれば、作家シリーズ開始と同時に始めた、片手に人形を捧げ持ち、片手にカメラで街で撮り歩いた手法であろう。左手の人形を刀と見立てて国定忠次にならい『名月赤城山撮法』などといっていた。私が始めたのは96、7年だが、今ではスマホでフィギュアや縫いぐるみでそこら中でやっている。旧いレンズを使い、ピントもほとんど固定。シャッタースピードは15分の1秒。街中でヒョイと御本人と出くわした、という感じを出したくて、ピントの甘さブレなど気にしなかった。 私がこれをやるようになったのは、その前年、ジャズ、ブルースシリーズを背景を作って三脚立てて撮影していた時、今日は上手く行った、このままにしておいて明日少し撮り足そう、と翌日撮影しようとしたが、どうも昨日と違う。人形も立ちっぱなしだし、何も変わっていないはずなのに。初心者だった私は悩み、未練がましく2日間セットをそのままにしたあげくに、変わったのは私の方だ、と気が付いた。寺山修司がウル覚えだが、“フットボールを見た後は赤い色が違って見える”というようなことをいった。昨日の私と今日の私が違っていて当然だ。シャッターチャンスは外側でなく、自らの中にある。この経験が元になり、翌年作家シリーズを始めるにあたり“三脚を捨て街へ出よう”と出かけた。特に寺山と荷風は街中でさえあればどこでも画になった。荷風は後ろを例えルーズソックスの女学生が通っても、ついシャッターを切らされてしまったが、終いには荷風がカツ丼吐いて亡くなった部屋まで行って荷風を撮った。


銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日完成するはずだった軍人をようやく母校の前に立たせた。ここに立たせるのは数年来の目標であった。でないと軍服来ている意味がない。立たせてみてから上空の青空、手すりの赤その他、建物の色とのバランスを考えながら顔色などを調整する。 陸軍医官のトップ、軍医総監の森林太郎、森鴎外である。ビタミンが発見前ではあったが、脚気は脚気菌なる物の仕業だと、死ぬまで譲らなかった。ロシア兵はよたよたした日本兵を見て酔っぱらっているのではないか、と思ったそうである。おかげで相当な数の兵隊が弾に当たる前に死んでいる。 鴎外を描くとしたら普通は文豪として描くだろう。それは悔しい、そうは問屋がおろさず、と軍医総監の礼服仕様にした。軍服というのは模様や兵科色という様々な部位により階級所属が判るようになっている。これがまた年代によって変更されているのがややこしい。特に色を調べ出すのが一苦労であった。やれるだけのことはやってみた。こういうことは例えば映画『八甲田山』などでも苦労したらしい。 居眠りするせいで、はっと思うと鴎外が画面からいなくなっていたり、上空にいたり地面にいたり。あげくに力尽きて保存をし忘れ、朝、開いてみたら明け方直した所がなおっておらずガッカリ。出来はというと、今は在りもしない時計塔を乗せたので、予定より長い画面になってしまったが、それ以外は私の頭に浮かんだ通りである。 文豪のムッツリ顔にベルサイユの薔薇みたいな衣装で面白い、と思ったが、出来てみると結局偉い人になってしまった。



銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


そうと決まれば虎を飼っている方に連絡を取り、一週間後に撮影させていただくことになった。TVで動物園のライオンにもマタタビが効くか、という実験を観たことがあるが、見事に酔っぱらっていたので、虎にも効くだろう。用意いただくことにしよう。 昨日倉庫から持って帰った森鴎外の顔を塗り替える。よりリアルになるから、と肌色は下地を塗り色を重ね、ムラさえ貢献していたはずであったが、最近の手法ではただ汚れにしか見えず、以来すべてベタ塗りしている。着彩後、肌程度の艶を出すため磨くのだが、陰影がないのに艶があるというのはおかしい。かつての日本は陰影と同時に艶も描かなかった。昨日歴代の作品を並べてみたが、肌色に関して初期の物は黄色みが強く、時代時代、私の解釈が異なっていたのを感じた。 夕方、定年を迎え、故郷に帰ったK本の常連、K2さんが来て、K本の落ち武者連中と旧交を温める。相変わらず酒が入ると声が大きく店内に響き渡る。酒場でK2さんがトイレに立つと、急に穏やかな空気になるので見知らぬ客同士、ホッとして笑いが起きたくらいである。さらに突然劇場で舞台を作っているIさんが現れた。我々と違って随分前から愛想づかして顔を出さなくなっていた。みんな元気で何よりである。言いたいことを言い合い、そろそろいい加減、落ち武者会の看板を下ろす頃合いではないか、と隣のMさんと話す。私が勝手に落ち武者と言い出しただけであるが。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




午前中、倉庫に預けてある人形を運び出し近所のマンションの会議室へ。わざわざ来ていただいたギャラリーの方々と話す。結果、5月の銀座青木画廊に続き、同じく銀座で夏に1ヶ月の個展が決まる。 .人形を出したり仕舞ったりで疲れて5時に帰宅。すると先日妙に落ち込んだメールをよこしたSから電話。ひとしきり世間話の後、落ち込んだ理由を訊いてみたら、寒山拾得の前に豊干禅師の乗る虎を作ってみようか、なんて書いていたことについて、これで決心がついた。来週虎の撮影にチャレンジすることにした。落ち込んでいるSに、私の虎は必ずご利益があるぞ、と伝える。 こういう流れには逃さず乗ることにしている。私のイメージする虎に果たしてなるものかどうか、新鮮とはいえ前日に亡くなりぐったりした蛸と違い、相手は生き物だけに、こればかりはやってみないと判らない。撮影した当日に正否については判るだろう。しかし落ち込んだ友人の電話に虎を作る気になる、とは不可解な話しであろう。虎がイメージ通りに完成した暁には、急に虎を作る気になったSの落ち込んだ理由を書くことにしよう。私が撮るのだから動物写真家の虎とは趣の異なることになるのは間違いないだろう。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

HP


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




最近の手法は今までと勝手が違い、とまどうことがまだある。この世の要領でどうしても考えてしまう。制作中の建物は、わざわざ曇りの陰影の少ない日に撮影した。しかし当初から空は雲が多い青空にすることだけ決めていたので、最後の仕上げに出来るだけ晴天に建物の色を変えた。晴れている割に影がないように見えるだろうが、そのとおりである。主人公がそもそも人間みたいな顔をしているが人間ではではないし、すべてが嘘臭くても、それはそれで良い。私がルールブックである。私の都合で世界だって左右も反転させるぜ、私の辞書には右も左もない。 予定では本日人物を撮影して配すれば完成する予定だったが、明日倉庫に預けてある作品を出して一斉に記録しておく必要があるので、二度手間になっても、と撮影は後日にした。そんな訳で深川江戸資料館に預けっぱなしにしておいた九代目市川團十郎もようやく帰宅。ついでにゴールデンウイークに落語関連の催事があるので、と三遊亭円朝と古今亭志ん生展示の依頼を受ける。 今まで個展は随分やったが、おかげでスタミナ、ペース配分には自信があったのだが、昨年の中頃始めたばかりの手法は、頭への浮び方もちょっと違う。明日一通り眺めて鴎外、乱歩に続いて制作する作品を考えてみたい。 寒山拾得はどうするべきか。なにしろ墨絵なのか何なのか手段は判らないが、よぼよぼになった頃、やっているかもしれないな、とうっすら思っていたテーマなので、ヘタクソなハードル選手のように、ハードルを前に歩数が合わせられず、“ぢっと手を見る“”という状態である。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

HP














コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


   次ページ »