明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

糠床  



エアコンも効いていない台所に置いてあったカメに入った糠床は、無事猛暑を乗り切った。昔、母方の祖母伝来の、空襲を免れた糠床を従姉妹が持っていて、分けてもらって長らく続けていたが、夏の間は気にしているからむしろ無事なのだが、それ以外の季節に、特に個展などあると忘れてしまう。 冷凍したイワシの生干しをいただいたのが、やたらと美味しく、監修者がその筋では知られた人らしい。朝食にはイワシ、納豆で充分だが、きゅうりの糠漬けでもあればさらに良い、と思い出したように糠床を掻き回しきゅうりを一本漬けてみた。さらに、あのイワシを糠漬けにして焼いて食べたら不味い訳はないだろう。それ用のタッパを買うことにする。 糠床には生卵を殻ごと入れてあるが、とっくに溶けて無くなっている。聞き知った事は何でもしてるが、記憶では祖母伝来の糠床と違いが無いように思える。そういえば、創業以来継ぎ足し続けたウナギや焼き鳥のタレも、やってる割には効果はないのだ、と聞いたことがある。



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先日工芸学校時代の友人が、恩師の画像をフェイスブックに載せていた。91だという。気難しい先生だったので2年目になると、授業の日はサボった。なのに卒業後、その先生のデザインを製品化する岐阜の工場に誘われて就職した。時間内に動物を沢山描け、という課題で沢山描いて、その時以外褒められた記憶はなかったのだが。同級生には沖縄から出てきてトラック運転手をして金を貯めて、という五つも歳上の苦労人もおり、好きな事しかしない私など、さすがに生きて行けないだろう、一年間我慢を覚えよう、と就職したのだが、無遅刻無欠勤で励んでいた所に、女の子が遊びに来て、これを読めと万引したという『澁澤龍彦集成 エロティシズム』を置いて行った。そこには〝似合わないことをするな”と書いてあり、私が頭を使うとロクな方向に向かわないことを知り、ついでに目の前の物にしか責任を持てない私には、陶芸は向いていないことにも気付いてしまった。 若い頃は自分の事は判っている、と考えてばかりいたが、カメラやパソコンなど、嫌いだと言っていた物に限って大事なツールとなり、アンコやちくわぶなど平気で食っている、そして四十年を経て『Don’t Think, Feel!寒山拾得展』に至ったという事になる。



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〝肝心で大事なことなのに、書かれていないからと言って大事にしていない事にはならないだろう”ということについて、考えながら次第に目が覚めて来た。このことについて何を思ったのか、そこまで覚えていなかったので、朝、昨日分のブログを書くにあたって書いておいた。病気で死ぬ人間が、とりあえず冷凍保存してもらって、後の世の技術で治療してもらおう、と考えるのと同じである。 観た夢が面白いと思ったのに目が覚めてみるとそうでもない、という事は良くある。そこで面白かろうと何だろうと、そこから始めてみた。正直いうと3行目前までは完全には目が覚めていなかった。買い物と飲酒付きの食事以外はほとんど外に出ず、コロナ禍のせいにして出不精を貪る身には、毎日わざわざ書くことなどあろうはずがない。 という訳で、気が変わる前にアップしてみた。



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仙人が住むような深山を描く場合、自然を模してコンパクトに育てた盆栽の方が〝現世より夜の夢こそまこと”の私には都合が良いと思った。しかしそれよりもむしろ、個展一月前に思い付いた、水石、盆石の類いを拡大すれば、手のひらに乗るような石で、仙人の住う深山が創作可能なことが判った。コンパクトに自然を表した石を、逆に拡大して大自然に。慎重にいうなら、私の頭の中の、と付け加えるべきだろう。でないと山岳写真を撮ってる人に叱られるかも知れない。もっとも私の目的は仙人を住まわせるためなのだから、それで良いのである。ヤフオクを見ても様々な盆石が出品されている。使えるのはこんなディテールの物だ、と判っているのだが、これは良い、と思ったら5、6キロあったりして。つまり比較する物さえなければ石ころも岩山も区別が付かないのが良い。そうは言っても、なかなか落札するに至らない。一度書いたが、どうしてもつげ義春『無能の人』が頭をよぎってしまう。私が石など集めたら、それこそ〝本物”になってしまう恐れがある。



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数年前にフェイスブックで再会した高校の同級生だが、最近奥さんを亡くし、ようやく落ち着いて来たらしい。銀色の車にしておけば買い替えたことがカミさんにバレないといっていたが、今は白のベンツに乗っているという。一年の頃は、私はまだブラックミュージックに目覚めていなかったが、彼はジェームス・ブラウン公演を観にいっていた。ELPの後楽園公園は一緒に観に行ったらしい。3年の時、明日が受験という日に、机に受験生に向け、いかにこの学校に入らない方が良いか机に書き、それがバレて大目玉を食らっていた。 父親から受け継いだ会社もたたみ、不動産業をやっているが、諸々始末を付け、感心するのは、コロナの影響もあるだろうが三食自分で作って、飲みに歩くこともなくなったという。腎臓癌を患ったこともあったそうだが、ジムに通い体調に気を遣っている。自分の始末を付けつつある彼だが、一方私ははようやく、頭に浮かびさえすれば2ヶ月もすれば、目の前に作品となって現れるようになった。今が最突端、絶頂期だといえるのがこの渡世の良い所ではある。



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無題  


小3の通信簿に〝掃除の時間何をして良いか判らずフラフラしています。またはマイペース過ぎる”などと書かれた私は、おそらくあの時点で、すでに完成の域にあったのではないか?と考えたりする。人前で腹の中を態度や表情に出すな、という母の教えのおかげで、どさくさに紛れて、どうにかここまで来た。しかしそれでも母がしばしば起こしたと同様に癇癪を起こす人がいるが、私だったらこう思う。不動明王が滝に濡れて衣が張り付いている所を作ろうと、夜中に一人ニヤけている。そんな奴がどう考えたって悪い人間のはずがないだろう?考えるまでもないことである。だからそういうことをいうと、火に油だ、と母はいうだろう。 子供の頃、高所を好まない私は、登山家は命をかけて危険な山に登り、人類のために何か調査していると思い込んでいた。それがただ登っていると知り、何故世間は、こんな連中を変態扱いせずに称賛するのだ。と思った。私の親不孝など、たかが知れてる。



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一日  


ある禅師のエピソードを作品化したいので、資料を集めつつある。しかし。中国の臨済宗の開祖たる臨済義玄が古過ぎてビンと来ないか?であれば、と日本に禅を持ち込んだ日本の開祖栄西ならと思ったら、臨済宗も十四派あり、派が違えば栄西に対する敬意扱いもそれぞれ違う、と知ると、無邪気に作りたい、と手を伸ばすのも躊躇してしまう。ならばとりあえず、差し障りのない所で寒山と拾得の二代目と不動明王の頭を開始している。不動明王と言ってもその表情自体に新味を加える訳でもない。むしろ相変わらずの憤怒の顔していながら、背中の火焔が濡れるのを気にして傍に置いている、というのが可笑しいだろう。その代わり身体は肉々しく作り、滝に濡れて張り付いた衣を生々しくしてみたい。私としてはそれがこのモチーフの作り所である。滝に関しては『虎渓三笑図』用に考えていた手法があったのだが、遠景だったので出番がなかった。それを試したい。火焔はもちろん筆描きにしたい。



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先日、銀行から振込みに関して、との電話があった。かけて来てお名前を?というので、これはサギだ、と母親が鯨を産む夢を見たという江戸の巨人力士〝生月鯨太左衛門”と答えてふざけるな、と電話を切った。 先日注文した自転車がそろそろ届く、と思っていたら銀行から手紙が来た。先方の都合で入金出来なかったので、口座に戻した、という手紙であった。どうやら詐欺サイトに引っかかってしまったらしい。先方の口座はすでに使用不能になっているのだろう。よって被害はなかった訳だが、銀行の電話口の彼女には申し訳なかった。 そう思ってみると同じ説明、同じ写真を使ったサイトがたくさんあって全てが詐欺サイトだろう。その自転車は、10年前に最初のロットを完売して以来、再生産はしておらず数は少ない。なのに毎日のように、全国から感謝の言葉が届いている。口座は中国人名であった。 試しにサイトに電話してみると、まだ小芝居を続けている。私はほとんど全ての場合、私に非があると思い込んでいる人間なので、滅多にない機会とばかりに向こうが電話を切るまで口を極めて嫌がらせを言ってやった。



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姉妹  


アメリカの妹に母の状態を伝えて、今のうちに電話で声を聞いておいた方が良いかも、と伝えると、電話してどうするみたいな反応なので、勝手にしろ、と。見内は時に面倒である。しかし気が強いように見える妹も、実はボケ始めた母と話すのが怖いらしい。なんだ素直にそういえば良いものを?   以前、友人二人と両国に鶴澤寛也さんの義太夫の会を観に行った帰り、道路脇にベンチとブランコ程度の小さな公園があり、ザーザー降りの雨の中、ジャージ姿の女子高生が突っ伏して号泣していた。その異様な様子に私はたじろいだが、友人の一人は姉が4人もいて、よく留雄だ〆夫だなんて名前にされなかったものだが、あからさまな女子の生態を見て育ったので歯牙にもかけず良くある事だ、みたいに平気な顔をしている。もう一人も姉が2人で、小学生の時〝バケモノがいる!”みんなで観に行くと、オタフク風邪でセーラ服姿の姉がガラス張りの通りに面した喫茶店でタバコを吹かしていたと言う。二人揃って大人に至っても元スケバンの姉に苦労させられたようで、明らかにその女性観に影響を被っている。口達者な妹一人がせめてもであった。



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ホームに居る母と電話で話す。コロナ前とはまるで別人で、耳が遠くなったか?というくらいにボンヤリしてしまっている。アメリカの妹には話すなら今のうちかもしれないと伝える。もっとも気に病んでいた事も、ついでに忘れているようだからむしろ平和ではある。ホームに入る前の同居中、止めるのも聞かず方々歩き回り、思い込みが強く、私のいうことをまったく聞かない。外ヅラは良いから他人の言うことの方を聞いた。結局、歩き回って脚を悪くした。あの当時を思うと仕方がないとも思う。   先の予定など考えず、目の前のことだけに集中する、それが死の床で、作り残しの後悔を避ける方法だと思ったが、これから作る作品が、いくつか浮かんで来ると、その分後悔の可能性の元が増えて来る訳で、久しぶりに粘土に触る。 フェイスブックが6年前の今日、三遊亭圓朝制作中だったと知らせて来た。結局、寒山拾得周りのラインナップを固めることにしたが、昨年暮れは、何がやれるか考えていて、明治時代の寄席の高座を再現しようかとも思った。圓朝を撮影したら、圓朝どかして当時大人気の娘義太夫を高座に、とも考え、その場合鶴澤寛也さんに相談しようと、考えていたのだが。



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深川江戸資料館『深川の人形作家 石塚公昭の世界』における関連イベント一部『江戸川乱歩夜の夢こそまこと』二部が泉鏡花作『貝の穴に河童の居る事』語り竹本越孝 三味線鶴澤寛也を久しぶりに観た。私にとって鏡花は毒の効く速さは一番なのだが、現代人にとって読みやすいとはいえない。私も制作中、河童に驚いた漁師はどっち方向に逃げた、なんて事でも迷った。しかし耳と目で判り安かったと思う。   最初に考えたのは、この鏡花作品でも異色の作品に合うのは和楽器でも琵琶か三味線だろう。朗読に関しては、たとえば老若男女を演じ分けるとなると、歌舞伎と宝塚比べても男性だろう。無声映画の弁士でも女性は中年男性、老人が今一つ。何故か女流漫画でもそう思う。しかし老若男女に加えて河童でも演じ分られる竹本越孝さんがおられた。寛也さんの演奏は、時に叩いたり擦ったり場面に合わせ時にトリッキー見事に工夫をされていた。難をいえばリハーサルの時間がほとんどなく、スライドを操作する私のタイミングが悪かったのが悔やまれる。いつかリベンジを、と思っていながら、その機会が失われたのは残念である。

『貝の穴に河童の居る事』2016年5月  深川江戸資料館小ホール

前後半

https://youtu.be/rLuCrUYEkUc

https://youtu.be/Ijz0344rmBY

 



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昨日3日、義太夫三味線の鶴澤寛也さんが亡くなった。昨日、勝浦の石段に雛人形を並べる神社は泉鏡花作『貝の穴に河童の居ること』の舞台でそこで撮影した、と書いたばかりでしである。2016年の深川江戸資料館の『深川の人形作家 石塚公昭の世界』でスライドを映し、語り竹本越孝さん三味線鶴澤寛也さんで 上映したのは満員となり、お二人共鏡花世界にピッタリであった。 2005年、初出版の『乱歩 夜の夢こそまこと』の人間椅子の女流作家〝佳子”役を探していた。国立劇場で義太夫を観た際に寛也さんを紹介され、お願いすることになった。眼鏡のカットは「教育ママみたいで嫌」とはなったが、出版記念ライブでも出演いただき珍しい曲弾きを披露いただいた。 いつだったか、銀座で受賞式があり、まだ時間がある、と連絡があったので、行きつけの煮込み屋にお連れした。何しろ着物姿の完全武装である。普段騒がしい常連客が唖然として大人しかったのが可笑しくてならなかった。神楽坂の鏡花関連の催事の際、あまりに空腹で路地の陰でおにぎりを食べてたら寛也さんに見つかり「アラお行儀の悪い。」なんてことも思い出す。都営地下鉄のフリーペーパーでは、私の谷崎潤一郎とも共演いただいた。 安らかに。合掌。

貝の穴に河童の居る事 前半 語り竹本越孝 三味線鶴澤寛也

https://youtu.be/rLuCrUYEkUc

 



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神社の石段に雛人形を並べるのが千葉の遠見崎神社だが、拙著、泉鏡花作『貝の穴に河童の居る事』の舞台で、現地で撮影した。風景は一変し、神社には町並みが迫っていたが。私は鏡花が〝書斎派”だと勝手に思い込んでおり、現地に出向いて、そのままスケッチしていることに驚いた。時代を超えて鏡花と石段の上ですれ違った気がした。幻想譚の書き手も、上手い嘘を付くには本当を混ぜるのがコツなのだろうか。物語はこの石段が発端だったりしながら進む。この季節、必ずニュースとなり、目にするたび懐かしい。 引っ越し以来一度も入ったことがない食堂に入った。食べログでラーメンスープがお湯に醤油だ、といくつかあってそれに釣られて?行ってみると中華はもとより蕎麦うどんまである。昔ながらの食道である。実際食べてみると醤油にお湯なんてことはなかった。今時は味覚が鈍い味音痴が多いとみえる。東京の味が次第に濃くなっているのはこのせいだろう。



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子供の頃、多動症を疑われた私もすっかり落ち着き、落ち着いたは良いが落ち着きが過ぎ、ジョギングの提唱者が亡くなると、だから言わんこっちゃない、と。足腰が弱っても、その代わりこんな物が作れたのだ。面壁九年、お陰で手脚を失ってしまった達磨大師も、その代わり悟りを開いた。作品が作れればそれで良い。根っからの散歩嫌い、キョロキョロするのもしている人間にもイライラする。散歩が出来ないなら、と通販で自転車コギ器具を買ったが、今年はことさら寒く、置いてある部屋が寒すぎYouTube見ながらも続かない。   先日切れた電球を替えようと椅子に上がったとこ、脚がふらつき危うく落ちるところであった。ちょっとイメージと違うな?というよろけ様であった。これはまずい。そうだ自転車に乗って外へ出よう。かつては自転車乗って荒川で釣りしたものである。今は荒川も近い。



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最近、回転寿司に対する迷惑行為や、年寄りでも殴れるか、などと集められた連中による強盗事件が相次ぎ躾、教育とは。 母は幼い私の異変?に気付き、学校に相談し、妙な施設を連れ回されたものである。あまりにうるさくチック症にもなった。私の性根が治らないならせめて、目立たず普通に振る舞えるようにと。結果たかだか人の形を作って喜んでいる私に、もっと酷いことを想定していたであろう母は、内心ホッとしたことだろう。人間関係に悩むこともなく、今頃になり母の苦労を思い感謝もしているが、一方好きなことをやり続けることに対し、罪悪感みたいなものが拭い難くある。おかげで制作には向いているが発表には向いていない。未だに友人等に〝どうだ良いだろ?”なんて言いながら、それで生きて行ければどんなに良いか、と思わなくもない。 悪いことをしようとしても身体が動かないのが教育のおかげなら、思ったことが素直に出来ず苦しむのも受けた教育だったりする。私の場合は、好き、が勝って罪悪感を乗り越えているが、好き、が勝って道徳観を踏み超えてしまう犯罪者もいるだろう。様々戦わずして生きることは出来ない。私など好きなことをやってるから良いようなものの、でなければやってられない。

 



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