菅仮免首相 被災地5回目の視察で「被災者の苦労、身にしみてわかった」はポーズ

2011-05-05 10:42:54 | Weblog



 記事題名を《菅仮免首相 被災地5回目の視察で「被災者の苦労、身にしみてわかった」はポーズ 》とした。なぜなら、震災発生以後、救命・救済、復興を指揮する一国のリーダーが被災地を5回も、避難所のみで言うと、4回も視察しなければ被災者の苦労が身に沁みて理解できないなどという共感能力は信用できないからだ。

 震災発生翌日3月12日のヘリコプター上空視察。ヘリコプターの窓から大地が一面津波に覆われた被災地を見下ろして、多くの住民が津波に呑み込まれていく悲惨な状況を頭に思い描くことができたのだろうか。どのくらいの命が失われ、傷つけられていくか果して想像することができたのだろうか。

 当初多くの避難所が停電し、あるいは灯油が入手不能状態に陥って暖を求めることができず、寒さに震え、食料も手に入らずに空腹に苦しめられることになった。病気がちな高齢者の中には環境の急変も受けて急激に体力を弱めていった人たちもいたに違いない。

 それぞれの苦労を窮屈な場所で1日1日と耐えていく様子を思い、心を痛めることがあっただろうか。

 また地震や噴火等の大規模な自然災害で住む家・住む地を追われてプライバシーがないままに雑魚寝同然の窮屈な避難所生活を強いられた被災者の苦労の例は何も今回の大震災が初めてではない。阪神淡路大震災、中越地震、雲仙普賢岳等々、政治家の目で視線を向け、被災者の苦労を感じ取リ、間接的な経験としてきたはずだ。

 だが、被災地5回目の視察で「被災者の苦労、身にしみてわかった」と初めての経験とすべきではないにも関わらず、初めての経験だとしている。

 直接的な現地視察は4月2日の岩手県陸前高田市が初めてである。陸前高田市立米崎小学校に設置された避難所を訪問。被災者を励まし、被災者の声を聞いたというが、時間は僅か20分間。

 次は4月10日の宮城県石巻市。避難所となっている石巻商業高校を訪問。

 この訪問を首相官邸の「KAN-FULL TV」で取上げているが、首相とその一行が入口から入っていく場面の撮影はあるが、<避難所では被災した皆さんと直接対話>(撮影なし/字幕のみ)のテロップが画面に挿入されていて、次の場面へと変わる。

 避難所を訪問していて、入口から入るところまでビデオで撮影していながら、内部は(撮影なし)として、<避難所では被災した皆さんと直接対話>の字幕だけとする。これは明らかに情報隠蔽であり、当ブログ記事――《菅仮免は「KAN-FULL TV」4月23日紹介の石巻市避難所視察で情報隠蔽を謀った - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に、〈もし石巻市の避難所となっている石巻商業高校を視察した様子をそもまま動画で伝えたなら、田村市総合体育館の視察と同様、そこに居合わせた全員に励ましの声を掛けたり、仮設住宅建設が遅々として進まない現状を謝罪したりしたのではなく、適当に選んだ数人に声を掛けて回っただけの視察スタイルであることが動画によって改めて暴露されてしまうことになり、その不都合を避ける必要があった、避難所のシーンをカットした情報隠蔽ではなかったのではないだろうか。〉と疑った。

 だが、後で知った《【東日本大震災】「がんばれしか言えないのか」首相視察に石巻市の住民不満》MSN産経/2011.4.10 16:29)によると、約60人が避難している石巻商業高校の避難所は殆んどの被災者が家屋の片づけなどで外出中で校舎内には15人程度、1教室に2~3人しかいない状態だった。

 首相側は5~6つの教室に別れて生活している住民を1カ所に集めるように市に要請。市は「それでは避難所の実情が分かってもらえない」と拒否。そのため菅仮免は2部屋を訪問。

 女川町から同校に避難していた漁師の男性(34)は「首相には笑顔で握手され、『がんばってください』と言われた。それしか言えないのだろうが、自分たちが欲しいのはそういうことではない」

 自分のいた部屋に菅首相は来なかったという別の漁師の男性(38)は「1年なのか2年なのか、復興にかかる時間を明確に示してもらいたかった。石巻には一度来る予定だったのが流れていたから、来ないわけにはいかなかっただけだろう」

 いわば首相側から見たなら、1教室に2~3人程度、訪問の成果として「KAN-FULL TV」で伝えるにはお寒い状態だった。しかも2部屋しか訪問せず、早々に引き上げた。こんな場面は国民に見せるわけにはいかなかったことからの字幕のみ情報隠蔽ということだったのだろう。

 情報隠蔽とは都合の悪いことを隠し、体裁を維持する情報操作をも兼ねる。少なくとも菅仮免は居合わせた被災者が少なければ、それだけ十分に時間を掛けて一人一人から心ゆくまで話を聞くことができる、被災者にしても要望したいこと、知りたいことを十分に話すことができるのではないかと、被災者の立場に立って考えることはできなかった。自身の体裁にだけ目を向けていたということだから、このような訪問姿勢ではとても被災者の苦労に対して身に沁みて理解する共感能力は求めようがない。

 そして4月21日の福島県の避難所田村市総合体育館への訪問。ここでは素通りしようとして、「もう帰るんですか」と咎め立てられている。

 この訪問も訪問日から9日経過した4月30日に「KAN-FULL TV」で第18話【訪問】原発事故から41日目の福島 避難所と題して取上げているが、その動画を見てみると、咎め立てられたあとの被災者との引き続いての対話はかなり神妙、尚且つ丁寧になったように見える。

 避難所を出たとこでの記者との遣り取りを「KAN-FULL TV」から文字化した。

 菅仮免「やっぱり、あのー、こうして中にお邪魔して、話を聞くとですね、みなさんの気持ちがホントーに親身になって、分かって、いたかと言われると、もっと被災者の立場に立って、すべてのことを考えなければならないと、改めて、私にも痛感いたしました」

 「みなさんの気持ちがホントーに親身になって」理解できていなかったと言っている。理解させたのは被災者から受けた抗議や批判だったに違いない。

 逆説すると、抗議や批判を受けなければ、「もっと被災者の立場に立って、すべてのことを考えなければならない」という反省は生れなかった。

 だが、菅仮免は反省が生れたにしては避難所の被災者が切実な気持で待ち望んでいる仮設住宅入居に関して、その切実な気持を逆撫でするような答弁を平気で行っている。

 まずこの経緯を時系列で追ってみる。上記反省が飛び出したのは4月21日の福島視察。5日後の4月26日午後の衆院予算委員会で、菅仮免が被災者の仮設住宅入居を、「遅くともお盆のころまでには希望者全員が入れるよう全力を尽くす」と公約。

 その6日後の5月2日午前の参院予算委員会で林芳正自民党議員が締めくくり質疑で公約の確かさを改めて問い質した。

 《東日本大震災:仮設「お盆まで」発言、菅首相「私の見通し」 具体策なし》毎日jp/2011年5月2日)

 菅仮免「100%それぞれの部署で確定的になっていたわけではない。私が強く指示すれば実現できると私なりの見通しで発言した」

 要するに所管大臣の国交相と国交省の関係者及び地元自治体関係者と膝を交えて、進捗状況や完成時期を早める対策等を議論した上で確信を得て発言した答弁ではなく、直接的に建設計画には関わっているわけではない、それゆえに根拠も何もない個人的な見通しを述べた8月お盆の全員入居に過ぎなかった。

 4月21日に福島に避難所を訪問して反省したにも関わらず、5日後の4月26日午後の衆院予算委員会で確定しているわけでもない仮設住宅全員入居時期を無責任にも個人的見通しで「遅くともお盆のころまでに」とした。

 この無責任さは福島の避難所訪問で見せた反省がニセモノだったこと、あるいは口先だけで見せたポーズに過ぎなかったことを物の見事に暴露している。

 1日も早い仮設住宅の入居を待ち望んでいる被災者の切実な気持を親身に考えていたなら、確信もない、根拠もない、それゆえに裏切るかもしれない公約を打つ出すことなどできなかったはずだ。

 菅仮免はこの発言で無責任と言うことだけではなく、相変わらず言葉が軽いという情報発信を行った。

 かくかように無責任、言葉の軽い菅仮免であり、反省を反省として受け取ることができない信用の置けなさを抱えている。

 そして昨日の埼玉県加須市の原発避難者の避難所視察。福島県の避難所田村市総合体育館訪問から今日に至るまで田村市総合体育館で被災者から受けたあの咎め立てのシーンが散々と言っていい程にテレビ番組で繰返し放送されることになった。

 このことを苦い経験とした、あるいは反省点とした加須市避難所訪問であり、なおさらに親身な様子を見せた被災者との対話であったはずだ。このことは、〈町長との会談を含め1時間だった滞在予定は約5時間に及んだ。〉(YOMIURI ONLINE)という時間延長が証明している。

 そこで菅首相は記者団に次のように発言している。《「被災者の苦労、身にしみてわかった」 4日の菅首相》asahi.com/2011年5月4日23時27分)

 記者「被災者の方の声を聞いての率直な感想をお願いします」

 菅仮免「はい。こちらに避難されているみなさんの声を全部聞かせていただこうと思って(福島県双葉町の)井戸川町長にご案内をいただいて、上田(埼玉県)知事、大橋(加須)市長にもご同行いただいて、全部の部屋で、お話を聞くことができました。

 本当に、ご苦労をいただいているということが、身にしみてわかりました。特に子どもさんのことを心配されている、小さな子ども、あるいは、高校にちょうど入るときに起こった子どもさんを持たれた親御さんが、今後の子どもたちのことを考えて、自分たちはどうすればいいんだろうかと。そういうお話が一番、胸に突き刺さりました

 何としてもこの原発の状況を早く正常な状況に戻して、できるだけ元の生活にみなさんが戻っていただけるように、努力をしなければいけないと、改めて思ったところです。また、あわせて、補償の問題、あるいは一時帰宅の問題もたくさん話が出ました。このような問題も、既に色々な仕組みが動き出していますが、また、町長にも色んな会議に出ていただいていますが、しっかりとした対応をしていきたい。このように思っております」

 「全部の部屋」をまわった。苦い経験とならないように手抜かりなくやろうとした姿勢を窺うことができる。

 親御さんが子どもの将来を考えると、「自分たちはどうすればいいんだろうかと。そういうお話が一番、胸に突き刺さりました」と痛ましさを交えて美しいエピソードとしているが、福島の避難所訪問の翌日の4月22日首相官邸記者会見で述べている発言と同一のパターンとなっている。

 菅仮免「昨日、福島県を訪問いたしました。その中で被災者の方に何人もお会いしましたが、一番耳に残った言葉がありました。それは、私の家は今、アメリカよりも遠いんですよ。アメリカなら十数時間で行くことができるけれども、私の家には何週間も、場合によったら何か月かかっても帰れないかもしれない。何とか早く帰れるようにしてほしい。その言葉が一番耳に残った言葉でありました。何としても、この原子力事故によって家を離れなければならなくなっている皆さんが一日も早く自分の家に戻れるように、政府として全力を挙げなければならない。改めて、そのことを強く感じた次第であります」
 
 サワリの箇所を一つ用意し、それをパターンとして、避難所訪問が有意義だったと仕上げている。

 作為があると言うことである。「全部の部屋」をまわったのも、手抜かりが許されない前以ての用意周到さが仕向けた今回が初めての心がけであって、初めての心がけであることが菅仮免自身が性格として元々身に付けていたものではないことを否応もなしに証明することになるし、初めてでなければ、今更ながらに「被災者の苦労、身にしみてわかった」などと言う必要も生じなかっただろう。

 また5月2日の国会答弁、仮設住宅完成入居時期に関わる、「100%それぞれの部署で確定的になっていたわけではない。私が強く指示すれば実現できると私なりの見通しで発言した」の無責任さを曝け出した、その2日後の加須市避難所訪問である。

 「被災者の苦労、身にしみてわかった」が俄仕込みの共感、身についていた共感ではないことを物語っていて、ポーズではないと決して言えないはずだ。



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