3月12日1号機冷却のための真水注入から海水注入に切り替えた際の一時中断のトラブルを首相指示によるものと報道されていたことに菅仮免は谷垣禎一自民党総裁に対する国会答弁で、「注水を止めたと言うような一部報道があるけれども、少なくとも私が、このメンバーが止めたということは全くありません」(5月23日衆院震災復興特別委員会)と否定したものの依然として疑惑は残っていた。
ところが昨5月26日に東電が記者会見を開き、一時中断していたとされていた海水注入が実際は継続させていたことを公表した。原子力安全委員会委員長の班目での“目”ではないが、政府の発表にしろ東電の発表にしろネコの目のようにコロコロと変わるから、事態が混乱している印象ばかりを受け、原子炉事故の実態は一体どうなっているのか、疑心暗鬼が募る一方となっている。
班目委員長自身の説明もコロコロと変わり、政府・東電統合対策室事務局長の細野首相補佐官の記者会見の説明もコロコロと変わる。結果、正直に説明しているのか疑わしくなり、事実がどこにあるのか、逆に見えなくしている。
但し事態の混乱は事実を見えなくしている代わりに少なくとも菅仮免政府の統御・統率が全体に亘って効いていないことを逆説的に浮き立たせることになっている。
最初にこれまで事実とされてきた海水注入一時中断とその前後の出来事を時系列で掲げておく。
3月12日
15:205 5月25日、政府、原子力安全・保安院、東電から海水注入準備のファクスを受け
取ったことを認める)
15:36 水素爆発
18:00 菅首相、海水注入を指示(のちに海江田経産相の海水注入準備の指示に変更)
18:00~18:20頃 菅総理、官邸に於いて打ち合わせ(海水注入による再臨界の危険性回避のための
協議)
19:04 東電、海水注入(試験注水)
19:25 東電、海水注入中断
19:55 菅総理、海水注入指示
20:05 海江田経産相、海水注入命令
20:20 東電、海水注入再開
最初に、≪“海水の注入 継続していた”≫(NHK/2011年5月26日 19時5分) から見てみる。
武藤栄東電副社長「テレビ会議の通話で、派遣していた職員が総理大臣が判断しないといけないという空気を伝えてきて、いったんは海水注入の停止に合意した。所長の判断で海水の注入を継続したのは、安全に最大限配慮した結果だ」
NHKウエブサイトの動画では、武藤副社長の発言は次のようになっている。
武藤栄東電副社長「首相官邸に派遣されていた社員の情報判断として、海水注入について首相の了解が得られないという連絡があった。このため東京電力では本店と発電所がテレビ会議で協議し、一旦は海水の注入を停止することにした。
しかし発電所の吉田昌郎(まさお)所長の判断で海水注入を継続した――」
二つの発言を要約すると、官邸に詰めている東電社員が(5月16日の国会答弁で菅仮免は「東電常務」と言っていた)海水注入の開始は「総理大臣が判断しないといけないという空気を伝えてき」た。あるいは、「海水注入について首相の了解が得られないという連絡」を伝えてきたため、海水注入の停止に合意したとなる。
この経緯から分かることは、菅仮免は東電が官邸の了解もなしに海水注入を開始したことを認め難いとし、官邸に詰めている東電社員に認め難いことを伝えた。
そして東電が海水注入の停止に合意したことは菅仮免からしたら、自身の意向を通したことになる。いわば菅仮免の意向が東電社員を介して指示することになった東電に対する海水注入の中断ということになる。
いくら一国の無能な首相だからと言っても、菅仮免の指示を無視して海水注入を行うことは認め難いとすることに理由が要らないわけではない。班目原子力委員会委員長が言ったとされる、海水注入を行った場合、「再臨界の可能性はゼロではない」の意見が理由となったのだろう。
そこで東電社員は東電本店にその理由を用いて海水注入は首相の判断で行わなければならないと、あるいは首相の了解が必要だと伝えた。
東電がこれまで海水注入の一旦停止を「官邸が『海水を注入すると再臨界の危険がある』としたので政府の判断を待った」(MSN産経)としていることと符合させることができる。
だが、「再臨界の危険性はゼロではない」のリスクに対する協議を18時からの打ち合わせで行ったことは菅仮免自身が国会で答弁している。東電が海水注入を開始した19時04分まで約1時間経過し、菅仮免が海水注入を指示した19時55分まではさらに50分も経過、合計1時間50分もかけて、「再臨界の危険性」にやっと結論を出すことができたと言うのだろうか。
班目委員長の説明がコロコロ代わる典型的な例だが、5月24日午前の衆院復興特別委員会で「『再臨界の可能性はゼロではない』と言ったのは、事実上ゼロという意味だ」(asahi.com)と答弁、「再臨界の可能性はゼロではない」としていたことを訂正して後付けで説明しているが、1時間50分も掛けて議論すべき問題点ではなく、早々に結論を出して結論に従った指示を出すべきだったことが分かる。
このことは後で説明する班目委員長の発言と東電福島第一原発吉田所長の菅仮免の意向を無視してなぜ海水注入を中断せずに継続したのかについての松本純一郎東電本部長代理の発言によって証明することができる。
東電が表向き海水注入の停止に合意したことは菅仮免が改めて開始指示を出していることから官邸にも伝えられた。勿論菅仮免は東電が海水注入を中断したと思い込んでいた。
いわば菅仮免は官邸に詰めている東電社員を介して、少なくとも海水注入に関しては自身の意向どおりに操作し、自身の意向どおりに事を運んだことになる。
但し東電が今回事実を明らかにするまでは。
以上のことから見えてくる情景は菅主導で行わないと不快だとする独善性以外に何が見えてくると言えるだろうか。
では、なぜ吉田所長は菅仮免の意向を無視して海水注入を継続したのか、松本純一郎東電本部長代理の発言を見てみる。発言は記事にはなく、記事付属の動画から採録。
松本東電本部長代理「吉田の判断としましては、原子炉の安全、注水を継続した方がより安全である、作業員の安全、地域の方々の安全を確保するためには、海水の注入を継続した方がいいというような判断を優先させたというふうに考えております」
このことは班目委員長が前出の5月23日(2011年)の衆院震災復興特別委員会での答弁、「私の方からですね、この6時の会合よりもずうーっと前からですね、格納容器だけは守ってください。そのためには炉心に水を入れることが必要です。真水でないんだったら、海水で結構です。とにかく水を入れることだけは続けてくださいということはずーっと申し上げていた」の発言とこの発言趣旨に合致する吉田所長の判断は「再臨界の可能性はゼロではない」に早々に結論を出して結論に従った指示を出すべきであったことの何よりの証明となっている。
だが、「再臨界の可能性はゼロではない」の結論を無視した。班目委員長が言っているように「『再臨界の可能性はゼロではない』と言ったのは、事実上ゼロという意味」に受け止めたからだろう。
受け止めなければ、「原子炉の安全、注水を継続した方がより安全である、作業員の安全、地域の方々の安全を確保するためには、海水の注入を継続した方がいいというような判断を優先」させることはできない。
東電の社員が海水注入には菅仮免の判断・了解が必要であることを伝えたのは東電が海水注入を一時中断したとしてきた19時25分以前の19時に近い時間と推定することができる。それから19時55分になって菅仮免は海水注入を指示。10分後の20時05分に海江田経産相が東電に対して海水注入命令を出し、東電は20時20分に海水注入を再開している。
この早い時間に結論を出し、結論に従った行動を直ちに指示できない判断能力の欠如、合理性を持たせた決断能力の欠如と、このことに相反した自身の主導で行わないと不快だとする独善性は相互対応する資質であったとしても、一国のリーダーにふさわしい資質とはとても言えない。
上記記事は吉田所長が今になって説明したことについての武藤副社長の発言を次のように伝えている。
武藤栄東電副社長「所長は、現場がふくそうするなかで、事態の収束などの陣頭指揮に当たってきた。『新聞報道や国会の審議、それにIAEAの調査があり、国際的に今後の教訓とするためにも、正しい事実に基づくべきだと考え、事実を報告したいと思った』と所長は話していた」
5月21日の記者会見で、海水の注入を中断していたと説明していたことについて――
武藤栄東電副社長「これまでは社内のメモや本店の対策本部の職員からの聞き取りで経緯を調べていた。福島第一原発でおとといからきのうにかけて聞き取りを行って判明した。海水の注水継続は技術的に正しい判断だったが、報告の在り方や、その後の対処のしかたがよかったのか、検討する必要がある」
以上見てくると、中電が菅仮免の意向に基づいた間接的な指示を受けて海水注入の中断を決定し、そのことを官邸に伝えて中断したことにして、実際は継続していたこととそのことを今になって公表したことが問題となるように見えるが、このこと以上に問題なのは菅仮免の直接的な指示ではなく、意向に基づいた間接的な指示とは言え、それが例え間違っていた指示であったとしても、一国の首相が発した指示の類いである以上、事故対応の管理下に置いている中電に対して直ちに機能させることができなかったことは(=通用しなかったことは)何よりも問題としなければならない指揮統率体系上の何よりの失態と言えるはずだ。
今回の福島原発事故対応に於いて菅仮免の指示が機能しない例は、この海水注入問題に先立つ東電に対する原子炉の圧力を抜くためのベント指示でも現れたことで、このことも指揮統率体系上の失態を示している。
また、ベント指示が東電に対して機能しないまま放置し、法的拘束力のあるベント命令に切り替えた遅すぎる決定は菅仮免の判断能力の欠如、合理性を持たせた決断能力の欠如のなりよりの証明となっている。
東電に対して1号機のベント指示を出したのが、3月12日午前1時30分頃。何回も東電に指示に従うよう電話しながら、その指示を機能させることができずにベント指示に縋っていたが、ようようのことベント指示を法的拘束力のあるベント命令に切り替えたのがベント指示の3月12日午前1時30分頃から5時間20分後の3月12日午前6時50分。
ベント準備に着手したのがさらに2時間14分後の3月12日午前9時04分。高濃度の放射能等が障害となって実際にベント開始したのはさらに1時間13分後の午前10時17分。
1号機建屋で水素爆発が起きたのはベント開始から5時間19分後の午後3時36分。
また東電暫定発表で1号機の燃料損傷は大震災の発生約5時間後から始まり、16時間後には燃料が溶けて底部に落下するメルトダウンを起していたとしているが、3月11日午後2時46分大震災発生から5時間後というと、3月12日午後7時46分から燃料損傷が始まっていたことになる。
ベントは急ぎに急がなければならなかった。だが、すべてが遅すぎた。その原因の一つが菅仮免のベント指示が東電に対してた直ちに機能しなかったことなのは言うまでもない。
このベント指示に関わる指示機能不全が海水注入問題でも繰返された。いわば同じ轍を踏んだ指揮統率体系上の失態だったのである。
この同じ轍を踏む繰返しはリーダーとして早い時間に結論を出し、結論に従った行動を直ちに指示する判断能力、合理性を持たせた決断能力が共に欠如しているにも関わらず、その欠如に反して自身の主導で行わないと不快だとする独善性が病膏肓の状態に陥っている、もはや救い難い状況に至っていることを証明している。
すべての問題点は東電が海水注入を中断せずに継続したことよりも菅仮免の一国のリーダーとしてのこのような資質にあるはずだ。
だが、枝野詭弁家官房長官は、同じ仲間意識ということもあるからだろうが、一国のリーダーの資質をも併せて問題提起すべきを、提起せずに東電の対応のみを問題としている。≪「東電は正確な報告を」 海水注入問題で枝野官房長官≫(asahi.com/2011年5月26日16時56分)
5月26日夕方記者会見。
枝野官房長官「(東電は)事実関係を正確に把握して報告してもらわないと、国民が不審に思う。正確な事実関係の把握の上で、正確な報告をいただきたい。
東電でなぜそういう間違いになったのかは、経済産業省原子力安全・保安院を通じて詳しく聞かないといけない」
このような判断能力、合理性を持たせた決断能力が共に欠如した、その癖自身の主導で行わないと不快だとする独善性に支配された一国のリーダにふさわしくない男にノーを突きつけるには内閣不信任案をどうしても可決するしか方法はない。
また何度でもブログに書いていることだが、地震発生翌日の3月12日早朝の東電福島第一原発視察を菅仮免は「現場の状況把握は極めて重要だと考えた。第一原発で指揮をとっている人の話を聞いたことは、その後の判断に役だった」と言っているが、ベント指示も海水中断指示も機能しなかったことからして、「その後の判断に役だった」は虚偽の証言となり、「役だった」が虚偽である以上、視察自体が意味のない視察であったことの証明となる。
いわば自己正当化のために虚偽の証言を働いていたに過ぎなかった。
何という始末の悪い一国のリーダーなのだろうか。
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