福島原発事故拡大は菅仮免が東電にベント指示を早急に機能させることができなかったことが原因の人災

2011-05-18 10:09:17 | Weblog



 一昨日の5月16日、西村康稔(やすとし)自民党議員が福島原発を巡る政府の初動対応を追及した。だが、西村議員も菅首相も海江田経産相も、政府の対応姿勢のどこに問題があったのかの点を認識しない質疑答弁に終始していた。

 また問題点を認識できていないことが責任を東電のみに押し付けることになっている。

 「衆議院インターネット審議中継」からダウンロードした動画の画面がフリーソフトだからなのか、小さくて、西村議員がパネルで示した時系列の政府初動対応が読み取ることができなかったために、西村議員の追及の中心の一つとなったベントに関して、初動に於けるその指示と命令の時間を予め記載して置く。

 また質疑の遣り取りの中で改めて明らかになった時間的対応はその都度記載する。

 3月12日午前1時半――海江田経産相、東電に対してベントを正式に指示。
 3月12日午前6時50分――海江田経産相、東電に対して法的強制力のあるものとしてベントを命令。

 指示を命令に切り替えるまでに5時間20分を要している。

 ベントに関して言うと、ここで既に問題点が二つ浮かんでくる。なぜ最初に「指示」であって、最初から「命令」ではなかったのかが一点。

 「指示」を「命令」に切り替えるまでになぜ5時間20分も要したのかが2点目。

 いわばなぜもっと早い時間に切り替えることができなかったのか。5時間20分もかけて指示を命令に切り替えても構わない原子炉の状況にあったと見ていたのか。

 このことはどれだけ切迫した状況にあると見ていたかどうかによって決まってくる。極度に切迫していると認識していたなら、もっと早い段階で切り替えを行っていただろうし、あるいは行っていなければならなかったはずだし、逆に切迫していると見ていなかったなら、切り替えに要した5時間20分相応の切迫感だったと言うこともできる。

 東電は5月15日に福島第1原発1号機がメルトダウン(全炉心溶融)を起していたのは地震発生から16時間後の3月12日午前6時50分頃と暫定評価として公表している。

 いわば東電は公式に1号機のメルトダウンを認めた。

 西村議員はこの事実を取上げて、福島原発は衝動の遅れ、人災だと断じた。

 昨日の「asahi.com」記事――《2・3号機もメルトダウン 東電データで裏付け》asahi.com/2011年5月17日6時12分)によると、実際には1号機のみならず、一昨日の5月16日に東電が公表したデーターから、2号機と3号機でも炉心溶融が起こり、原子炉圧力容器の底に燃料が崩れ落ちるメルトダウンが起こしていたとみられることが裏付けられたという。

 2号機は3月15日午後6時43分に、3号機は3月16日午後11時50分に圧力容器内の圧力がそれぞれ低下、圧力容器の密閉性が損なわれ、圧力が抜けたとみられていると伝えている。

 要するにメルトダウンによって圧力容器のどこかに亀裂が生じたか、穴が開いた。

 班目春樹原子力安全委員会委員長(16日の定例会後の会見)「3月下旬に2号機で高濃度汚染水が発見された時点で、メルトダウンしていたという認識があり、助言した。1号機と3号機も、事故の経緯を考えると同じことが起こっているとの認識を持っていた」――

 早い段階でメルトダウンの認識があった。

 いわば地震が発生し、津波が襲って原発が事故を起こした時点で、原子炉はかなり危険な状態に陥っていたことになる。このことを前提に、質疑応答が午後まで伸びたが、堂々巡りの質疑応答となっていたから、午前中のみの遣り取りを取り上げて見る。

 西村議員「先ず保安院に聞きます。3月11日22時、プラント班2号機について、資料の届け先、災害本部の事務局に届けたと認識しております」

 ここで保安院が資料を届けてきた時間が加わることになる。
 
 3月11日午後22時――保安院、資料を官邸災害本部事務局に届ける。
 3月12日午前1時30分頃――海江田経産省、東電に対してベント指示。
 3月12日午前6時50分――海江田経産相、東電に対して法的強制力のあるものとしてベントを命令。

 その資料である「保安院が予測した資料」に基づいて西村議員が指摘した事故経緯。

 3月11日20時30分――原子炉隔離時冷却系(RCIC)中枢機能喪失。

      21時50分――燃料上部から3メートルの水位。今後さらに下がっていく。

      22時50分――炉心が露出する。

 3月12日 0時50分――炉心溶融の危険性。(西村議員は「24時50分」の言葉を使ったから、12日の0時50分に直した。)

       5時20分――核燃料全溶融。最悪爆発の危険性。(西村議員は「27時20分」の言葉を使ったため、明確ではない。

 保安院が官邸に資料を届けた3月11日午後22時から50分後の22時50分には「炉心が露出する」と保安院は予測していたことになり、非常に切迫した危険な状況にあった。しかも極端に悪化の方向に進行形を取った切迫した状況であった。「原子力に強い」菅仮免としたら、当然、その切迫感を共有したはずだ。

 西村議員「この保安院が分析していたことを総理は認識していたのか」

 海江田経産相「この時間では総理と官邸に詰めていた。官邸の危機管理センターにこの書類が参りました。官邸には保安院もいました。こういう認識だということを総理に伝えた。総理もこういう認識だからこそ、ベントをやらなければいけないということで、そのあと(12日午前)1時半頃に私を通じて東京電力に対して出した」

 菅仮免もベントの必要性を共有していた。だが、原子炉の切迫した危険性に反して、命令ではなく、指示であった。西村議員もこの点を追及するが、中途半端に終わっている。

 西村議員「海江田大臣は11日の22時の時点、夜の10時の時点で、総理に報告をして、ベントをやろうと相談し、決めたと言っている。なぜこの時点でベントの命令を出さなかったのか。

 (ベント指示を)出したのは次ぎの日の1時半です。なぜ(11日)22時の時点で出さなかったのですか」

 海江田経産相「今委員が提示した資料は2号機のもので、同時平行で1号機も危ない状況にあった。1号機2号機どちらをという形でベントの指示を出すかについても、色々と議論をした。

 この日付が22時になっているが、私は22時にすぐにこれを承知したということではありません。これはあとで保安院に聞いていただけばなりませんが、恐らくこの文書を作ったのが22時で、そして官邸に来たり、色んな少し時間の幅はあると思う。そのくらいの幅はご容赦をいただきたい。

 そしてその上で、やはりベントをするということはここにも書いてあるが、放射性物質の放出ということだから、ベントをやる際には放射性物質の放出をできるだけ少なくするために、シールというものがどうなっているか、そういうことの確認をしたのは事実でございます。そしてできるだけ早くということで、ギリギリのところが1時半でございます」

 西村議員「ここに時系列の表があるが、1時半頃、そういう認識に至った。危機管理で(3月11日の)22時の段階で現場の保安院は直ちにベントをしなければいけないという判断をしている。

 大臣は色々議論をして、1号機だけではなく、2号機も大変だったのは分かる。しかも放射性物質を出すわけだから、周辺住民への避難命令も出さなければいけない。しかし実際に(ベントの)命令が出たのは、次の日の朝の6時50分。

 確かに指示をしたとか、色々言われます。22時の段階で直ちに、それを知った段階で、多少、5分や10分、危機管理上のもっと早い時間で、官邸にそれを伝えた。それを官邸はすぐさま、判断をして、避難住民の避難命令、周辺住民への避難命令、そして直ちにベントを行わなければならなかった。

 そうすれがメルトダウン、燃料溶融も避けることができたかもしれない。放射性物質の大量放出も避けれたかもしれない。総理にそのときのご判断を伺いたいと思います」

 以後の展開を見れば分かるが、西村議員はベントにのみ的を絞って質問すべきだったろう。
 
 「保安院から1号機2号機が危機的状況にあると報告を受けた3月21日22時の時点以降の早い段階で、なぜベント命令を出さなかったのか、その理由を聞かせてもらいたい」と言えば済むことをくどくどしい言い回しで聞いている。

 菅仮免「まあ、あの、事実を的確にご判断をいただきたいんですが、あの、先程、海江田大臣からも、お話がありましたように、えー…、発災の日の、おー…、早い段階から、えー…、イー、危機管理センターに、イー…、つながりまして、特に、イー…、原子炉の、オ、問題いついては、あー…、東電、ア、関係者、さらには、あー…、保安院、エ、さらに原子力安全、えー…、委員も、おー、同じ部屋にずっと詰めて、エ、私と、おー…、えー…、経産大臣とですね、ずっと、オ、状況を把握しながら、あー…、そのー、判断をいたしておりました。

 まあ、そういう意味では、私は、あのー、先程海江田大臣からお話がありましたように、えー、連絡があった時点で、えー、ベントを行うべきだと、その場にいた関係者も、オ、そういう認識にありましたので、そういう認識で以て行動したと。

 勿論、その場合に、えー、事前に、イー…、何か、必要なことがあれば、当然、しなければならないわけでありますから、そういうことを踏まえて、最終的に、イー…、1時30分ですか、翌日の午前の1時30分に大臣の方からですね、えー、確かこれは、東電と、一緒だったと思いますが、えー、1号と2号の、おー、ベントの必要について、えー、東電及び原子力安全委員会、イー…、が、説明し、それを了承して、その行動を取ったと、おー、指示したと、指示と言いましょうか、あ、そういう認識で、えー…、進めるように、その現場にいるわけですから、東電の関係者もですね、そういうことを、その場で、えー、合意したということであります」

 的確性を欠いたこの回りくどい話し方はそのままどうりに的確な判断能力の欠如の証明となる。

 いずれにしても、菅仮免は保安院から官邸に資料提出があって関係者と協議の末にベントの必要性を認識するに至った。その場に東電の関係者も居合わせていた。

 その場に東電の関係者が居合わせていたという点が重要である。その場に居合わせた東電関係者は菅政府がベントを必要とすると決定したことを知ったのである。

 そして海江田経産相が東電に対して、3月12日午前1時30分にベントの指示を発令した。保安院が官邸に資料を届けた3月11日午後22時から3時間半経過後である。

 このベント指示が早い判断かどうかが問題となるが、保安院が炉心が露出すると予測していた22時50分から2時間40分後と計算すると、果して早い判断だったと言えるのか、西村議員はその点を追及すべきではなかったろうか。

 西村議員「しかし現実にベントの命令を出したのは(12日午前)6時50分であり、(1号機のベントを)行ったのは次ぎの日の(12日)10時17分ですね(ベント準備着手は9時04分)。

 なぜ、なぜ、周辺住民の避難命令、避難指示、これ5時44分だったのか。この避難指示、どなたが出したのか、お答えください」

 この避難指示5時44分というのは「半径10キロ圏内の住民に対する避難指示」であって、半径3キロ圏内の住民に対する避難指示は11日21時23分に既に行っている。西村議員は保安院が資料を提出した3月11日の午後22時に直ちにベントの命令を出すべきだったという姿勢で追及をしているのだから、その一点に絞るべきを、「この避難指示、どなたが出したのか、お答えください」などと余分な横道にそれている。

 一点に絞ることができたなら、政府の対応姿勢のどこに問題点があったのか、的確に把握できたに違いない。

 海江田経産相「えーと、一つでだけ事実関係を、先程の話で、申し上げさせていただきますが、先程の22時44分というのはまさに保安院が、そういう予測をしたということでありまして、それは私共すぐに聞きました。深刻な事態だからと言うんで、そこにいる東電の、まあ、幹部社員と、原子力のことをよく分かっている方でありますが、相談をいたしまして、そして正式にですね、東京電力からやはり通報が必要でありますから、通報がございましたのは、(12日)0時57分と、いうことでございます。先程命令というのはやはり、あの、大変厳しいことになります。

 ということで、命令に切り替えなかったかと言いますと、なかなか私共が指示を出しましたけども、なかなか実行されなかったものですから、止むに止まれずに命令という形で出したということに。

 で、あと避難のことにつきましては、これは現地の対策本部でありますので、現地対策本部を通して、えー、周知をしたということでございます」

 保安院が3月11日22時50分に炉心露出、3月12日0時50分に炉心溶融の危険性、同3月12日5時20分に核燃料全溶融。最悪爆発の危険性を予測していたのだから、寸秒を争う切迫した状況にあったはずである。問題はそういった切迫した状況に合わせて行動ができたかどうかであろう。

 それを保安院から原発の予測状況を聞いたのが西村議員が言っているように3月11日午後22時なのか、あるいは海江田経産相が言っている3月11日午後22時44分なのかどちらであっても、3月12日午前1時30分のベント指示まで2時間から3時間以上の時間の経過の辻褄合わせに答弁のエネルギーを割いている。この合理的判断能力は如何ともし難い。

 切迫した状況に合わせて行動できていなかったことは、先ず第一に東電からの通報が必要だと、それを待った、保安院の予測状況に反した姿勢に現れている。

 この待ちの姿勢は大袈裟に言うと、阪神大震災で自衛隊が出動には県知事の要請が必要だからと、問い合わせもせずにいたずらに要請を待ち続けた姿勢に匹敵する危機感のなさである。

 保安院は赤信号を激しく点滅させていただけではなく、危険が間近に迫っていることを知らせるサイレンまで鳴らしていたのである。どのような通報を待たなければならなかったのだろうか。

 また、保安院の予測よりも東電の通報を優先させたということは原子力発電所を監督・指導する保安院を電力会社の下に置く判断の間違いを犯していたことを意味することにもり、ここにも危機感を見ることができない。

 そして何よりもの問題点は、これは菅内閣の原発事故初動に於ける最大の問題点だと言えるが、菅内閣の指示が東電に対して機能しなかったということである。

 保安院の予測を緊急性に則って関係者で早急に議論し、結論を得次第、東電の通報を待つことなくベント指示を出し、その指示が東電に対して機能していたなら、命令に切り替える必要はなかったはずである。

 だが、「なかなか私共が指示を出しましたけども、なかなか実行されなかったものですから、止むに止まれずに命令という形で出」すことになった。

 このことは東電の責任と言うよりも、菅内閣、特に菅首相をリーダーとして頭に頂いていながら、東電という一民間企業に指示を機能させることができなかった菅仮免自身の責任であるはずだ。

 東電の通報を待って、ベント指示に時間を要したこと。ベント指示を出したものの、その指示を機能させることができず、結果として水素爆発やメルトダウンを引き起こし、多くの住民を放射能避難者に追い込んだことはまさに人災である。

 ベント指示を出したのが、3月12日午前1時30分頃。ベント命令に切り替えたのは3月12日午前6時50分。

 《【崩れた安全神話 福島第1原発事故】<1>怪物 深刻事態に即応できず》西日本新聞//2011年5月12日 00:47)によると、海江田経産相はベント指示が機能しないために、「1時間おきに催促する間に1号機の格納容器圧力は上昇。午前4時半には、東電の社内マニュアルでベント実施と定めた8気圧を上回った。」となっている。

 「ベント実施と定めた8気圧を上回っ」ていたにも関わらず、「1時間おきに催促」しながら、ベント指示を機能させることができなかった。如何にバックに控えている菅仮免の威光がメッキに過ぎなかったかを物語って有り余る。

 菅仮免が自衛隊ヘリで福島原発の視察に官邸を出発したのが3月12日6時14分。ベント指示をベント命令に切り替えた3月12日6時50分よりも36分前で、まだベント指示が機能していない間である。

 福島原発到着は1時間近い飛行で、7時11分。ベント命令は「原子力災害対策特別措置法」(原子力災害対策本部長の権限) 第二十条の2で「原子力災害対策本部長は、当該原子力災害対策本部の緊急事態応急対策実施区域における緊急事態応急対策を的確かつ迅速に実施するため特に必要があると認めるときは、主務大臣に対し、規制法第六十四条第三項 の規定により必要な命令をするよう指示することができる。」とあるから、ベント指示が原子力災害対策本部長である菅仮免が主務大臣である海江田経産相を通して東電に伝えたのと同じく、首相の専権による発令であろう。

 海江田経産相が1時間ごとに催促しても機能しなかったベント指示が機能しない間に自衛隊ヘリの人となり、海江田経産相を通して飛行中にベント命令を発令したことになる。

 ヘリの中で菅仮免と斑目原子力安全印界委員長と何が話し合われたかである。

 但しベント命令が直ちに機能したわけではない。他の記事によると、東電がベント準備に着手したのがベント命令の3月12日6時50分から2時間14分後の3月12日9時04分となっている。

 菅仮免は福島原発に3月12日7時11分に到着、小1時間程の滞在だというから、原発から三陸方面の被災地に向けてヘリが飛び立った後になってやっと機能したことになる。

 菅仮免の原発視察によって東電の初動が遅れたとの疑惑が浮上し、菅仮免自身が否定しても、その疑惑は尾を引いている。

 ここで改めてこれまでの出来事を時系列で追ってみる。

 3月11日午後22時――保安院、資料を官邸災害本部事務局の届ける。
 3月12日午前1時30分頃――海江田経産省、東電に対してベント指示。
 3月12日午前6時14分――菅仮免、官邸からヘリで視察に出発。
 3月12日午前6時50分――海江田経産相、東電に対してベントを命令。
 3月12日午前7時11分――菅仮免、福島第一原発に到着
 3月12日午前9時04分――1号機でベント準備着手

 なぜ東電はベント命令が発令された3月12日午前6時50分以後、直ちにベント準備に着手しなかったのだろうか。この線から参考人として出席していた東電社長を追及して、菅仮免の視察がベント着手に障害となったのかどうか問い質すべきではなかったろうか。

 だが、西村議員はベント命令がなぜ遅れたのかの直球勝負のみとなっている。

 西村議員「そういう悠長なことを言っている事態ではなかったんですよ。まさにメルトダウンを予測して、全部溶けてしまう。穴が開くかもしれない。それなのに、なぜ命令が6時50分になったのか。指示をして、色々相談しながらやっている。色々議論をしてという言い方をしているんですが、こんな時間をかけてやったからこそ、時間がかかるからこそ、被害が拡大したわけです。

 総理の判断を私はお聞きしているのですが、この5時44分の(半径10キロ圏内の)避難指示は本部長である菅総理が出されてるんです。総理、この認識ないんですか」

 菅仮免「先程来申し上げていますように、えー、11日の、おー、夕方のかなり早い段階から東電の、少なくとも、おー、この問題で、責任を、のある人にも、きちんと、官邸に来ていただいて、そして、えー、保安院、さらに(原子力)安全委員会の委員長にも、同席をしていただいて、エ、そして私、そして海江田大臣もそこにいたわけであります。

 ですから、あー、本来、この、おー…、仕事そのものは、最終的には、東電が行わなければ、あー…、そのできる人は、東電以外にはいないわけでありますから、そういう判断の中で、是非やってくれということを、に、そして早い段階で、えー、確か、あー、(老眼鏡をかけて書類を確かめる)最初は3キロ、おー、の範囲の避難を、ヲー、前の日に提示をしているわけです。

 ですから、そういう意味ですはね、私は、その最終的な、あー…、その、法的手続きといったことが取られたのが、あー、あの、そこまで、何もしなかったということでは全くなくて、えー、早い段階から、そうするようにと言い、そして1時半には、海江田大臣自身がですね、記者会見を含めて、そういうことをやったと。

 それで東電もやるでしょうとも言われているわけですから、何か6時何分まで、何もやらなかったと言うような、認識でもし言われているとしたら、それは事実とは違います」

 一国の首相なのだから、もう少し的確な言葉遣いと的確な言い回しで簡潔明瞭に発言できないものだろうか。

 発言から窺うことができる様子は海江田経産相の発言と同様に菅仮免内閣のベント指示が如何に機能しなかったかのみである。しかも東電の幹部が官邸に居合わせながら、東電に対して指示を機能させることができなかった。この権威喪失の責任、無能の責任は非常に大きい。

 と同時に、「何か6時何分まで、何もやらなかったと言うような、認識でもし言われているとしたら、それは事実とは違います」と言っているようでは、何が問題となっているのか菅自身も何ら認識していないことになり、愚かしいと言わざるを得ない。

 「仕事そのものは、最終的には、東電が行わなければ、あー…、そのできる人は、東電以外にはいないわけでありますから」と東電に責任転嫁しているが、その東電に言うことを聞かせることができなかった、あるいは指示を指示として機能させることができなかった自分たちの責任は棚上げしている。

 西村議員「勿論、現場でこれを実行するのは東電です。しかしそれを命令しなきゃいけないんです。やらせなきゃいけないんです。そして今お聞きした、本気でベントをやる気があるなら、いいですか、5時44分という時間に10キロ圏内の住民の避難指示をしているんです。これは総理が出されているんです。本部長である総理の指示で、10キロ圏内の住民の避難指示をしてるんです。ま、ベントをやるために。

 総理、この10キロ圏内、何人住んでいるのか覚えておりますか」――

 「しかしそれを命令しなきゃいけないんです。やらせなきゃいけないんです」と追及していながら、ベントを指示の段階で早急になぜ能させることができなかったのかの菅内閣の能力とその責任を問い質す視点を持つことができず、「総理、この10キロ圏内、何人住んでいるのか覚えておりますか」などと一点に絞ることができない追及を行っている。

 ここで枝野官房長官が答弁に割り込んで、例の如くに詭弁家の本領を発揮する。

 枝野「ベントをやるから、5時44分に10キロ圏内の住民の避難指示を出したのではない。むしろその前の段階から、3キロ圏内避の難指示を出していたはずです。それに先程来総理、経産大臣が答弁申し上げておりますとおり、東京電力に対してベントをするようにと。

 そして東京電力もベントをすると言いながら、ベントをなされていない状況が、続きましたので、えー、万が一にもこれは圧力が高まるということでございますので、万が一にもさらに悪い状況になること、可能性に備えて、10キロ圏内に影響を及ぼす可能性があると言うことで、この時点で10キロ圏内の避難指示を出したのもです」

 「万が一にもさらに悪い状況になる可能性」とはベントが実施されないことによって招くことになる加速度的悪化状況でもあるはずである。

 そのような加速度的悪化状況のもとでベントが実施された場合、それ以前の段階のベント実施による放射性物質の放出とは比較にならない被害を予想しなければならない。

 当然問題とすべき基本的事柄はベント実施の遅滞に応じて刻々と状況が悪化していくことであろう。いわばベントの実施如何が左右する加速的度悪化状況なのだから、詭弁家枝野はそのことを問題とせずに「ベントをやるから、5時44分に10キロ圏内の住民の避難指示を出したのではない」などと、焦点を外したことを言って誤魔化す詭弁を用いているに過ぎない。

 避難指示を3キロ圏内から10キロ圏内に広げたのは原子炉が時間の経過と共により危険な状態に進んでいると認識していたからだろう。ベント指示を機能させることができず、その実施の遅れを招いた菅内閣の無能力とその責任を益々問わなければならないことになる。

 ベント指示を直ちに機能させることができなかったばかりか、ベント指示からより強制力を持ったベント命令に切り替えるタイミングも遅すぎた。その結果としてある現在の核燃料のメルトダウンであろうから、まさに菅仮免を筆頭とした菅内閣の人災が招いた原子炉事故だと談じることができる。

 枝野にしても、菅仮免や海江田経産相共々、雁首を揃えて何が問題となっているのか認識できないでいる。

 西村議員「仮に今の説明が正しいとすれば、10キロ圏内が非常に危ない状況になるかもしれないという状況にあったんですよ。仮にそれが正しいとすれば。

 そしたら、そこに官房長官、総理を現地に行かせたんですか。そういうところに行かせたんですか。最高指揮官を行かせたんですか。総理、その認識ありましたか」

 菅仮免「先程来何度も申し上げておりますけれども、ま、ベントというのは単に作業として東電が、あの、行うということだけではなくて、えー、東電は、そういう状況の中では、自らも判断をしているわけであります。

 例えば、(老眼鏡を自分の椅子から取って)3時、午前3時にはですね、えー、経産相に於いて、経産大臣、つまり海江田大臣と、共に東電常務がベント実施について会見をされています。

 つまりは、東電は必要であればですね、えー、いつでも、おー、自らの判断でやれる状況にあったわけでありますし、私たちも先程言ったような状況の中で報告を聞いて、それは是非やるべきだと言うことを、おー、再三、あー…言い、海江田大臣もそういう指示を、口頭で出していて、えー、その結果ですね、なかなか行わないで、最終的に、えー…、えー、措置命令ということになったわけでありまして、えー、そのことと私の視察について特に、そのことで、遅れた、云々とのことはないというのが、現地の、おー、東電、からも、そういう、あ、あのことは影響されていないというふうに言っていると理解をしております」

 相変わらず何が問題となっているかが認識できていないから、ベントが指示通りに着実的確に実施されない状況にありながら、東電は必要であれば、自らの判断でベントを行うことができる状況にあったとか、ベント指示についての記者会見を行ったとか、的外れなことを言っている。この認識能力は底なしの絶望感を誘う。

 ベント指示を早急に機能させることができず、止むを得ず命令に切り替えた。だが、その命令さえも、実施に2時間14分も手間取った。しかもその間、菅仮免自身が現場を視察に行き、直接現場の人間と顔を合わせていながら、ベント命令の即時実施とはいかなかった。

 内閣総理大臣であり、原子力災害対策本部長でありながら、この無力、この機能しない影響力はその地位にいる資格を疑わせるに十分過ぎる。

 西村議員「あの、私の質問に答えていただきますか。官房長官は大変危険な状況になってきた。10キロ圏内の人に避難指示、これは総理が出されているわけですけれども、総理が出した。しかしこうした状況の中に、最高司令官である、最高指揮官である総理大臣、あなたが現場に行く。この認識、この認識で行かれたわけですね、総理。総理、総理」

 枝野「あのー、5時代にですね、避難指示を出したは、圧力が上がってきているので、えー、単に悪い状況に単に悪化するのに備えて、えー、10キロ圏内に影響を及ぼす可能性があるということで、指示を出したわけです。

 指示を出した時点で、3キロから10キロのみなさんがすぐにもリスクがあったような状況であったのは、それは指示の出し方が遅いわけでありまして、えー、危なくなる可能性があったので、危なくなる可能性が生じる前に、イー、早めに出していただくように出したものでございます」

 枝野は避難「指示の出し方が遅」かったと言っている。その最終責任は菅仮免にある。枝野は詭弁に走るあまり、自らポロッとボロを出してしまった。この点を追及すべきだったが、西村議員はそうしなかった。

 また、「圧力が上がってきている」原因はベントを早急に実施しなかったからで、早急に実施させることができなかった責任も菅仮免にある。

 西村議員「あの、そもそも指示を出す時間は私は遅いと思っているんです。本来なら、22時の時点で直ちに、その時点で、(保安院から予測を)聞いた時点で、ベント命令を出し、そして避難指示をする。

 それが私は当然の初期的動作だと思います。それが10キロ圏内出したのは5時44分で、危険な状態になったから、いみじくも言われました。そして総理が飛んでいったんです。

 安全委員長、原子力安全委員長に確認します。そのような状況の中で、安全委員長も一緒に行かれていますが。最高指揮官である、総理大臣が、圧力が上がって、今後どうなるか分からない、非常に危険な状態、飛び上がってびっくりされたとういう答弁もされています。

 水素爆発が、水蒸気爆発が起こるということがマニュアルにも書いてあります。そうした状況の中に総理が、あなたが行くということを、これ了解したわけですが、総理に、爆発が起こることを、言わなかったわけですか」

 斑目原子力安全委員会委員長「当時の状況としては、あのかなり緊迫しているという認識は私は勿論ございました。しかしながら、あのー、総理に、現地を、ちゃんと指導してくると、おっしゃるのにたいして、ついて行ってくれと言われたので、あの、えーと、従ったということでございます。えーと、あのー、それ以上のことについては、私から申し上げられません」

 「それ以上のことについては、私から申し上げられません」は隠さなければならない出来事、発言があったことになる。

 菅仮免は「現地をちゃんと指導してくる」と言って出かけた。それが福島原発視察の理由だった。斑目は以前、「総理が、『原子力について少し勉強したい』ということで私が同行したわけでございます」と言っている。

 菅仮免は本人は鈍感・単細胞だから意識していなかったとしても、ベント指示を機能させることができない無能な状況下で視察に出かけた。「現地をちゃんと指導してくる」は機能させることができないでいたベント指示を機能させるための「指導」を意味していたはずである。

 その「指導」に自信がなかったからなのか、あるいはその「指導」効果の確実な担保とするためか分からないが、ヘリで飛行中にベント指示をベント命令に切り替えさせた。

 海江田経産相を通してだろう、3月12日午前6時50分発令のベント命令は直ちに福島第一原発にも伝えられたはずであるし、発令から21分後の3月12日午前7時11分に菅仮免は福島第一原発に到着した。

 菅仮免は現地に到着するや早い時間に命令に基づいて直ちにベントに着手するよう命じたはずだ。それが「指導」であった。

 だが、「指導」が効き目を現したのはベント準備着手の同日午前9時04分まで待たなければならなかったが、保安院予測の切迫した状況に反してベント命令の午前6時50分から2時間14分も遅れたこと、菅仮免が現地に到着した午前7時11分からそう遅くない「指導」の時点から少なく見積もっても約1時間30分遅れた、この即刻命令実施とはならなかった命令の実態に対する責任、「指導」の有効性の実態に対する責任は、「私の視察について特に、そのことで、遅れた、云々とのことはないというのが、現地の、おー、東電、からも、そういう、あ、あのことは影響されていないというふうに言っていると理解をしております」の菅仮免の釈明に反して残る。

 また、原子炉が切迫した危機的状況にあり、時間の経過と共に加速度的に悪化状況に進行するとの内容の「保安院が予測した資料」を保安院が(3月11日)22時に官邸に持参し、直ちに議論・検討してベントを決めた時間から合計すると、午前9時04分のベント着手までに10時間以上経過している、その遅れは人災に所属する責任であって、当然果たさなければならない責任であろう。

 西村議員「水素爆発が、水蒸気爆発が起こる可能性があるということを助言しなかったんですか。総理が行かれるというのに助言しなかったんですか」

 どうも追及の的を外している感が否めない。

 斑目委員長「水素爆発については、あのー、そのときは助言していないと思いますが、当然、格納容器内の圧がかなり高くなっておりますので、格納容器が、あの、爆発するという言い方をしたかもしれませんが、いわゆる破裂するという可能性があると言うことは、あー、認識していましたし、そのようなことを助言していたと思います」

 助言していなければ原子力安全委員会委員長の使命と資格を失うし、官邸に詰めていた理由を失う。

 斑目の発言から分かることは、原子炉は破裂の可能性が存在し、ベントは緊急を要する状態にあった。だが、菅政府の対応は遅れに遅れた。これを以て人災と言えないことはないはずだ。

 だが、初動に間違いはなかったの態度を一貫させている。責任回避体質は菅仮免という政治家の体質そのものとは言え、あまりにも酷い責任回避となっている。

 西村議員「総理、総理、安全委員長は物凄く重大なことを言いましたよ。格納容器が破裂するかもしれない。これは大量の放射性物質が出るということでございますよ。

 そういう状況の中で、あなたは防護服も着けずに現地視察に行ったんですか。どういう認識で行ったんですか」

 菅仮免「あのー、私はですね、えー、最初に、イー、すべての電源が落ちて、冷却機能が、あー、停止したという、この報告を聞いたときから、これは大変な、あー、事故、だという認識は、強く持っておりました。

 えー、そいう中で、えー、先程来申し上げておりますように、えー、通常、おー、格納容器は確か、まあ、3キロ圧と5気圧で、一定されているのが、えー、それも通常よりとても高くなっておりましたので、まさにベントが必要だという認識でも、おー、報告を受けて一応、おりましたので、そのことも指示をしておりました。

 しかし、イー…、なかなかですね、官邸にいる、ウー、関係者はいるんですけれども、それが、あー、東電の本店ないし現場との関係で、エ、コミュニケーションが、やるやると言ってなかなか実際に行われないということも含めて、私としては、これは両方の考え方があると思います。まあ、陣頭指揮という言葉もありますけれども、おー、陣頭指揮を取るには、かなり、えー、現地の、関係者ときちんと会うことが、私は重要だとそのように考えました。

 同時に、イー、いわ、いわゆる、津波の被害の状況も上空から、そちらを見たいと思いまして、その二つの目的で以って、えー、私の判断で、えー、あのー、行ったわけであります。

 色々な見方はあると思いますが、私はその現地で、エ、現地の、おー、責任者、あー、と、ア、それから、第一サイトの、所長とお会いをして、私の方からもベントについて、えー、やるようにということを改めて、指示をし、そしてそこで、きちんと話ができたことが、その後の、この対応にとって、極めて、エ、有意義だったと、今でも考えております」

 最高指揮官が現場に乗り込んで、現場の責任者に直接指示しなければ指示が機能しない権威・指導力の機能不全・無効性は最高指揮官に許させる資質ではあるまい。

 この最高指揮官としての権威・指導力の機能不全・無効性そのものが国家の危機管理に於いて既に人災そのものとなっている。

 現地視察を行ったことで、「きちんと話ができたことが、その後の、この対応にとって、極めて、エ、有意義だったと、今でも考えております」と言っているが、ベント実施の遅れは確実に事故を拡大させ、事故拡大に応じて放射能被害を拡大させたことを考えると、その責任意識の希薄性・楽観性はあまりにもノー天気に過ぎる。

 西村議員「総理、私の質問に答えてください。安全委員長は、原子力安全委員長は、爆発が起こるかもしれない、格納容器が破裂するかもしれない、そういう認識をして、あなたは行かれたんですか。つまり、もしそういうことがあったときに最高指揮官として、その後の指揮をしなければいけない。そういう立場の、総理が防護服を着ずに、現地に行ったわけですか。その点を確認したいと思います」

 目を向けるべき問題点に気づいていないから、堂々巡りの議論となっている。

 菅仮免「まあ、あの、西村議員は、あの、よく理解されて言われているんでしょうけども、いわゆる格納容器の圧が上がっていることと、ベントを行うということは、これはある意味、圧力を下げるためにベントを行うんです。爆発というのは別に、水素爆発のことを言われているんじゃないと思うんです。

 これは、あー、委員長が、えー、当時も言われていましたが、格納容器の中には窒素が充填されているので、えー、そういう形のですね、格納容器内の水素が爆発はないというのが、当時の委員長の認識がありましたし。ですから、何度でも言いましたように格納容器の圧が上がっているからこそ、ベントをやるべきだと、ベントをやらなければ格納容器、あー、壊れることがあり得るので、ベントをやるべきだということを、私は出発前からきちんと、指示をいたしておりました。

 えー、そいう中で、先程申し上げましたように、で、どうしてもそれがなかなか実行されないということも含めて、なぜ情報がきちんと、我々の意思が通らないのか、あるいは、なかなか情報が伝わってこないのか、ということで、やはり自ら、出かけて、えー、とう、当事者の、関係者と、意見交換をするとことが、これは必要だ、重要だと、そういう判断のもとで行ったことであります」

 菅仮免にしても何が問題となっているか何ら認識できないために堂々巡りの議論で対応している。内閣の指示・命令を首相がわざわざ直接出かけて伝えなければ機能しない指揮命令系統の劣悪状況がベント実施を遅らせたそもそもの原因である。

 あるいは首相がわざわざ直接出かけて伝えなければ、自らの指揮命令系統を機能させることができない無能・指導力欠如がベントを遅らせ、事故自体を拡大させた。

 西村議員「ベントの指示が遅かったことを先ず指摘をして、そして、これは進まなかった、進まなかった。そして、格納容器が破裂をするかもしれないという状況で、防護服を着ずに、委員長がそういうことを総理に助言したにも関わらず、最高指揮官のあなたが行かれた。

 そのことの認識をもう一度お伺いしたい。答えていただけませんか」

 ベントが遅れた原因がどこにあるかを探ることをしないで、遅れた事実を表面的に捉えて追及しているだけだから、どうしても堂々巡りとなる。

 菅仮免「何度もお答えいたしております。つまり格納容器の圧力が高くなっていると。だからこそベントが必要だということで、格納容器が高くなっているということはそのまま放置すれば、格納容器が何らかのですね、ひび割れ等が、あー、起き得ることがあり得る。そういうことを含めて、なぜベントを早く行わなきゃ、いけないと言っているにも関わらず、現地でやってくれないのかという思いがありました。

 ですから、そういう認識を持って、えー、出かけて、えー、現地の所長に対しても、おー…、早急に行いますということになりました。

 ですから、認識があったということについて言えば、格納容器の圧力が上がっていて、そういったことを放置すれば、ベントをしないで放置すれば、その格納容器が破壊する恐れが、あるからこそ、ベントをやれと言ったわけですから、そういう認識は勿論持っていました」

 西村議員が追及している「認識」と、菅仮免が答えている「認識」とは似て非なるものだが、菅仮免は単細胞だから気づかない。

 「なぜベントとを早く行わなきゃ、いけないと言っているにも関わらず、現地でやってくれないのかという思いがありました」は菅仮免の指導力・権威の喪失を物語って余りあるが、目出度くも自己省察能力を欠いているから、自己嫌悪に陥ることもない。但し、自己嫌悪感ゼロの代償として、責任意識も欠くことになっている。

 「ベントをしないで放置すれば、その格納容器が破壊する恐れがある」

 そのベントが遅れた。遅れたことと遅れたことの責任は一切捨象している。このことが初動遅れの批判の否定、人災批判否定の根拠となっている。

 中井洽委員長「総理、総理、防護服はなかったの?」

 菅仮免は無視したのだろう。

 中井洽委員長「西村君」

 西村議員「総理、総理は6時14分に出発をされています。実際に命令があったのはそのあとの(6時)50分です。出発前に当然命令を出すべきだと思いますし、しかも出発するんではなくて、いざ爆発が起こるかもしれないという状況の中で、現地に行くのではなくて、ここで、官邸で、ホームで指揮を取るのがあなたの本来の仕事です。

 しかも、しかも格納容器は爆発するかもしれないという状況の中で、防護服も着ずに現地に向かったんですが、破裂するという意識があったんですか。認識があったんですか」

 中井委員長が午前中の時間切れを宣し、午後に回すことになる。

 西村議員は追及の決め手を欠いて、自らの堂々巡りに対応する相手の堂々巡りを誘う泥沼に足を取られて身動きできなくなってしまっている。

 ベントを放置すれば格納容器がひび割れする可能性があるとの認識があったなら、なぜヘリで視察する前にベント指示をベント命令に切り替えなかったのかと追及すべきだったろう。

 菅仮免を筆頭に原子力関係の閣僚、その他関係者は原発事故対応のそもそもの初動から、菅仮免が原子力災害本部長の立場で発したベント指示を東電に対して機能させるだけの指導力、権威を持ち得なかった。

 そのような指導力・権威の機能喪失が最終的に原発事故を拡大させ、レベル7にまで至らしめた、あるいは地震発生後約16時間でメルトダウンに至らしめた人災の否定できない側面として抱えてもいるのだから、その人災部分の責任は取らなければならないはずだ。


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