昨5月11日(2011年)夜、外務省飯倉公館(東京)で松本剛明外相主催の「感謝の集い」が各国大使を招いて開催され、そこに国民からはスペシャルと扱われていない菅仮免がスペシャルゲストとして登場したという。これは東日本大震災発生2ヶ月に合わせた催しだとのこと。 《首相 各国に感謝し復興へ決意》(NHK/2011年5月12日 0時14分) 菅仮免「各国からは、資金や技術、そして心という支援を頂いた。大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故という苦難に遭遇したが、皆さんの国々が示していただいた気持ちは、日本と世界の間に本当に深い絆があることを証明してくれた」 さらに第1次補正予算でODA=政府開発援助の予算を削減したことに触れて、さらにさらに例のにこやかな笑顔を振り向いてだろう、景気のいいことをぶち上げた。 菅仮免「日本が元気に再建したときには、削った金額を何倍にも増やして、多くの国の応援に充てていきたい」 記事は放射能風評被害防止を兼ねて東北地方の食材を使った料理や地酒が大使らに振る舞われたと書いている。 松本外相「皆さんが手に取るものは安全です。大いに食べて飲んでください」 大震災発生2ヶ月目と「感謝の集い」とどう関連があるのだろうか。まさか大震災発生2ヶ月目を記念して開催したわけではあるまい。大震災は記念すべき事件ではない。 また、復旧・復興が目に見えて進み、一段落がついたというわけではないから、この状況を機会とする関連性は見い出すことはできない。 政府は既に大震災発生から1ヶ月となる4月11日に世界各国の主要紙に支援を感謝する菅仮免の「絆」と題したメッセージ広告を掲載している。 仮設住宅の建設も満足に進んでいない。依然として多くの被災者に不自由な避難所生活を強いていながら、東日本大震災発生2ヶ月に合わせたという意味がどうも理解できない。 勿論開催が不適切だと言っているわけではない。2ヶ月に合わせたことの意味が納得できないだけである。 国民の贅沢や愉しみを避ける、いわゆる個人的な消費活動の“自粛”は被災者の困窮を思い遣ってのことであるはずである。だが、政府は東日本大震災発生2ヶ月に合わせて各国向けの「感謝の集い」を開催した。果して被災者の困窮を思い遣る気持があったのだろうか。 菅仮免のODA発言は《首相「ODA削減分は再建されたら何倍にも増やす」 駐日大使招いた震災支援「感謝の集い」で明言》(MSN産経/2011.5.11 19:47)では次のようになっている。 菅仮免「補正予算で1つだけ多くの人に『まずい』と言われていることがある」 記事は、〈その上で将来的な増額を「約束する」と明言した。〉と簡単に済ませている。 菅仮免は各国大使から笑いを取ろうとしたのだろうが、膨大な赤字国債・国の借金を抱えている中で大震災の復旧・復興費用が20兆円を超えると予想され、日本の浮沈がかかっている重大な分岐点に立たされている。また国民に対しては一部で増税の形で負担を既定事実化しようとする動きもある。なぜ苦渋の選択だとする真剣な態度を取ることができなかったのだろうか。 言葉が軽い、当然態度も軽いのは前々からのことで、菅仮免の本質的な体質なのだろう。それが「感謝の集い」で本領発揮されただけのことかもしれない。 NHK記事からが画像を引用して置くが、笑顔の中にも一国のリーダーとしての重々しさ、威厳な印象を些かも窺うことができない。つい色眼鏡で見てしまうからか、品のない軽い笑いにしか見えない。 昨日と今朝のNHKニュースが避難所生活を送る12万人近い被災者が現在もなお不自由な日常をを強いられていると伝えていた。 NHKのウエブサイト――《被災者の80%近く心身不調》(NHK/2011年/5月11日 19時33分)から見てみる。 外務省主催の「感謝の集い」と同様、これも東日本大震災から11日で2か月になるのに合わせてNHKが被害が特に大きかった岩手、宮城、福島の各県で被災した17歳から88歳の435人に聞き取ったアンケートだという。 具体的な症状に対する複数回答―― 「よく眠れない」 ――44% 「ささいな音や揺れに反応する」――33% 「疲れやすく体がだるい」 ――31% 不調がやわらぐのはどんなときか―― 「家族や友人と話をしたとき」――35% 「やわらぐことはない」 ――17% 記事は次のように解説している。 〈全体の77%の人が何らかの不調を感じていると答え〉、〈仕事や住まいの見通しが立たないことへの不安やストレスを訴える人が多〉いと。 宮城県気仙沼市避難所の62歳男性(不眠や頭痛などの症状を訴えて)「住宅など将来のことを考えると憂うつになる」 テレビでは30歳前後の女性が仮設住宅に入ることができても、入居期限が2年で、その先はどうなるのかと将来の不安を訴えていた。 特に原発事故の影響等で福島県からの県外避難者は83%が不調を訴え、ほかの地域よりも多く、5人に1人は不調が「やわらぐことはない」と答えたと伝えている。 災害心理学が専門の広瀬弘忠東京女子大学名誉教授「今回は地震、津波、原発事故という3つの災害が重なるこれまでに経験したことのない事態となり、過去の災害よりも早い段階で心理的な不安が高まっているとみられる。被災者どうしが体験や将来を語り合うとともに、医師など専門家によるケアも必要だ」―― 同じアンケートを扱ったNHKの別記事――――《2人に1人“不安は住まい”》(NHK/2011年/5月12日 6時15分)はさらに別の質問と回答を載せている。 今後の生活に向けて不安なことの複数回答―― 「住まいについて」 ――55% 「仕事や収入について」――46% 記事は〈この傾向は、震災から1か月の時期に行ったアンケートの回答と変わって〉はいないと書いているが、政府と自治体の現在までの政策が何ら将来に対する回答となっていないことを示している。 記事は、「仮設住宅に入れたとしても収入がなく、先がない」という声や、「仮設住宅には2年しか住めないと聞いてるので、その後のめどが立たない」、あるいは「行政の方針が決まらず、元の地域に家を再建していいのか分からない」といった訴えが目立ったと解説している。 記事も書いているが、どのような街づくりで地域の復興を果たすかの方針が、そのことによって生活再建の方法が決まってくるのだが、未だ示されていない、宙ぶらりんな状態に置かれていることの苛立ち・ストレスが被災者の精神的・肉体的不調となって撥ね返っているという。 被災者が避難所でプライバシーが保てない、落ち着くことのできない窮屈な生活を余儀なくされ、確たる生活設計も描くことができずに将来に対して強い不安を抱えている。 いわば政府は果たすべき責任をまだまだ果たし得ていない状況にある。 そういった状況を大震災後の場面として未だ残していながら、東日本大震災から11日で2か月になるのに合わせて外務省主催で「感謝の集い」を開催、スペシャルゲストとして菅仮免が招かれた。 菅仮免を筆頭とした菅仮免内閣が果たすべき責任を果たしていないことは避難所生活を強いられている被災者の生活状況が何よりの証拠となるが、次ぎの記事が1995年1月17日発生の阪神・淡路大震災に於ける村山内閣との責任遂行速度の違いを教えている。 《発生2カ月 菅内閣VS村山内閣…対応遅れ、首相のパフォーマンス》(MSN産経/2011.5.11 00:16) 記事はそれぞれの震災発生後2カ月の対応の進捗状況を記載している。 次のように解説している。〈村山内閣では震災発生1カ月後に被災者の所得税などの減免措置を盛り込んだ緊急特別立法関連3法案が成立。2カ月間で計16本の法律が成立した。これに対し、菅内閣で初めて震災関連法案が成立したのは47日後。現在も10本の法律しか成立していない。 村山内閣は自民、社会、さきがけの3党連立政権で衆参で過半数を確保していたが、現在は衆参ねじれで国会運営が難しいことも確かだ。だが、自民党など野党各党は震災発生直後に「政治休戦」に応じており、平成23年度第1次補正予算も提出からわずか5日間で成立した。〉―― 勿論村山内閣にも“功”ばかりではなく、“罪”もある。自衛隊の初動に於ける救援出動が遅れ、結果的に多くの被災者の救える命を死なせてしまっていたはずだ。 また、阪神・淡路大震災によって心身に障害を負った被災者に対する経済的な支援に不備があった“罪”を次ぎの記事が伝えている。 《阪神大震災による障害者は349人、身体の8割が経済支援の対象外 兵庫県が被災3県に報告書送付へ》(MSN産経/2011.5.10 20:02) 兵庫県と神戸市の昨年4月に開始し、5月10日までに纏めた実態調査によると、精神・知的障害を負った被災者が21人。 身体障害を負った328人(うち121人が死亡)と合わせ、震災障害者は349人と確定。 但し身体に障害を負った震災障害者の約8割が見舞金の支給などを受けていないことが判明。 兵庫県は〈「見舞金などの支給要件の緩和が必要」とした報告書をまとめ、東日本大震災で被災した宮城、岩手、福島の3県に送付する。〉―― 菅仮免は最近まで、「政府を挙げてやるべきことはしっかりやってきている」と言い張っていたが、「私自身、この大震災のときに、総理という立場にあった一つの宿命だと受け止めている」の言葉とは裏腹に明らかに菅仮免の東日本大震災対応は遅れている。これは20もの対策本部、対策室等を立ち上げた反映でもあろう。少ない組織で多くの責任を機能させる能力を欠いていた。 当然の結果として果たすべき責任はまだまだ多岐に亘っている。責任遂行のスピードも上げなければならない。 果たすべき責任の多くを残しておきながら、原子力事故の収束の目途がつくまで総理大臣としての歳費を返上することを以って原子力事故を防ぐことができなかった責任の一端を責任者としての立場上、果たす。 歳費返上によって未だ残している責任の身代わりとすることができるわけではない。遅れている責任のスピードを上げることができるわけでもない。 やはり歳費返上に責任を振り向けることよりも、被災者の支援及び救援、究極的には生活の原状回復につながる復旧・復興にこそ責任を振り向けるべく、自らの指導力、エネルギーのすべてを集中し、リアルタイムに注ぐ姿勢を示すべきだろう。 歳費返上を言い出した5月10日夕方の同じ記者会見で、「連休中、福島県の産品を売っている八重洲のお店に行ってまいりました。福島でのお酒やお米や野菜や味噌や、そういうものを買わせていただきました」とも言っていたが、果たすべき責任を多く残している状況での買い物であることを考えると、やはり見当違いの責任遂行でしかなく、歳費返上共々、パフォーマンスにしか映らない。
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