菅仮免首相も詭弁家枝野官房長官も乱立本部改編で信念のなさ・貫く姿勢の不在を曝け出した

2011-05-08 07:56:19 | Weblog



 菅仮免首相が1000年に一度の未曾有の大震災と原発事故対策に向けて最大限の想像力を以って頭を絞り、よし、これでいこうと心に決めて順次つくり上げてきた対策本部・会議・室・チーム等の後生大事に守るべき20もの折角の組織を、詭弁家官房長官枝野が整理整頓・縮小させると記者会見で述べたという。

 5月6日の閣議後の記者会見。《乱立震災「本部」見直し 枝野氏「誤解招いたので整理」》asahi.com/2011年5月6日17時4分)

 記事は、〈9日付で、一部を残して「チーム」や「対策室」に格下げする。〉と書いている。

 枝野詭弁家官房長官「指示系統が混乱しているわけではなかったが、誤解を招いたので、各組織の関係を整理した」

 どのような組織改編かと言うと、〈首相を本部長とする対策本部は、法律に基づいて設置した「緊急災害対策本部」と「原子力災害対策本部」、さらに菅政権が今国会に提出を予定する復興基本法案に盛り込んだ「復興対策本部」の3本部〉に整理。 

 首相本部長の「福島原子力発電所事故対策統合本部」は経済産業相トップの「政府・東京電力統合対策室」に衣替え、「被災者生活支援特別対策本部」は「被災者生活支援チーム」に格下げ改編。

 記事は、〈「本部」が乱立し、指揮命令系統が不明確との批判を受けていた。〉と解説しているが、それは的外れな批判、もしくは心無い中傷に過ぎないはずだ。

 このことは菅仮免の震災対応・原発事故対応に関わる国会答弁が証明している。

 菅仮免「100%とは言わないが、国民にも政府全体としては一定の評価を頂いている」

 菅仮免「政府を挙げて、やるべきことはしっかりやってきている」

 乱立組織が機能していたからこそ、責任を果たすことができていたと言えたはずだ。機能していなければ、国民に一定の評価を望むべくもなく、「やるべきことはしっかりやってきている」と胸を張ることもできなかったろう。

 だから、詭弁家枝野も「指示系統が混乱しているわけではなかった」と機能不全を否定した。20もの組織のすべてが与えられた役目を十全に果たし、国民から政府全体として一定の評価を受けていた。

 当然、20もの組織の整理・縮小・改編・格下げのいずれも必要ではないことになる。

 だが、枝野は「誤解を招いたので、各組織の関係を整理した」と言っている。

 組織が機能していさえすれば、「誤解」など問題ではない。大体が「誤解」は誤解に過ぎない。誤った理解、思い違い・勘違いの類いで、正しい指摘と言うわけではない。

 「誤解」を問題とするよりも、自らの信念に基づいて一度決定した方策を貫徹する姿勢こそが重要で、信念と貫徹の姿勢が指導力の基礎となる。「誤解に過ぎない。それぞれの組織は機能している。我々は正しい道を進んでいる」と主張すべきである。

 だが、菅仮免は自らの信念と貫く姿勢を取らずに「誤解」を取って自らが頭を振り絞ってつくり上げた20もの組織の整理・縮小・改編・格下げを選択した。

 ここに問題が生じる。

 菅仮免のみならず、詭弁家官房長官枝野にしても、信念も貫徹の姿勢も維持できずに「誤解」に負けたのである。

 尤も菅仮免の信念のなさ、骨なしは既に証明済みの前科となっている。野党時代、「米海兵隊は沖縄には要らない。米本土へ帰って貰う」と沖縄県民に約束しておきながら、首相となると、その約束を反故にする信念のなさ、貫徹する姿勢の不在を演じている。

 「100%とは言わないが、国民にも政府全体としては一定の評価を頂いている」とする発言が、あるいは「政府を挙げて、やるべきことはしっかりやってきている」とする発言が20もの乱立組織がそれぞれに機能していた証明となろうとも、あるいは「指示系統が混乱しているわけではなかった」と直接証明しても、その効果・価値と一国のリーダーが信念と貫徹する姿勢を持たないことの効果・価値とはそもそもからして相互関連することは決してないお互いに否定し合う効果・価値として対立することになる。

 信念と貫徹する姿勢を持つことのできない一国のリーダーが満足に機能する組織をつくりようがないし、当然満足に運営することなどできないということである。

 このことを証明する発言を菅仮免は行っている。。《全体把握し対応を=菅首相》時事ドットコム/2011/05/06-13:10)

 5月6日に首相官邸で開催した緊急災害・原子力災害の両対策本部合同会議での挨拶。

 菅仮免「それぞれ担当の仕事に追われて不十分な面もあったが、全閣僚が両方の対策本部や全体で何が進んでいるかという共通認識を持って、これからの対応に当たってほしい」

 「不十分な面があった」の「不十分」は当事者中の当事者である以上、かなり割り引いた「不十分」と看做さざるを得ない。

 この発言と信念と貫徹する姿勢を持たない一国のリーダーに満足な組織とその運営は期待できないことと併せると、「100%とは言わないが、国民にも政府全体としては一定の評価を頂いている」にしても、「政府を挙げて、やるべきことはしっかりやってきている」にしても事実と反する責任逃れの虚言でしかなかったことを証明することになる。


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