菅仮免が昨5月10日(2011年)夕方、「明日で大震災発生から2か月になります」の出だしで記者会見を始めた。何だかイヤに顔が赤く、目が結膜炎でも患っているみたいにショボついた感じで潤んでいて目の輝きがなく、酒でも飲んでいるのか、クスリでもやっているのではないかと疑った。頭が正常に働いていないことだけは確かである。
冒頭発言の最後になって議員歳費ではなく、首相としての歳費返上を申し出た。
菅仮免「最後に、今回の原子力事故、直接の原因は地震、津波によるものでありますけれども、これを防ぎ得なかった責任は事業主であります、事業者であります東電とともに、原子力政策を国策として進めてきた政府にも大きな責任があるとこのように考えておりまして、その責任者として本当に国民の皆さんにこうした原子力事故が防ぎ得なかったことを大変申し訳なくおわびを申し上げたいと思います。
そういう責任者の立場ということを考えまして、原子力事故が収束するめどがつくまでの間、私の総理大臣としての歳費は返上をいたしたい。6月から返上をすることにいたしました」
記者との質疑でもこの返上問題が取上げられている。
田中毎日新聞記者「先ほど総理がおっしゃった、総理としての歳費を返上するという部分ですけれども、これは国会議員としての歳費相当額は引き続き受け取るということなのか、ちょっとその辺をお願いします。
それと、他の閣僚の方にもそのような歳費返上というようなことは呼びかけるのか、その点についてもお願いします。
菅仮免「総理の歳費の返上というのは、今、ご指摘のように大臣というのは、国会議員の場合ですが、国会議員の歳費に、言わば上乗せする形でその総理の歳費、二重取りはしておりませんので、そういう形になっておりますが、私としては一般の国会議員としての歳費は、一般の国会議員の皆さんと同じように一部返上しておりますが、その返上も含めて同じような形で国会議員の歳費は受け取らせていただきたい。しかし、総理として上乗せされている歳費については、月々のものも、ボーナスも含めて全額返上したいと、こう考えております。
また、他の閣僚については、私からは特にまだお話をしておりません。やはりこの分野で最も責任があるのは、言うまでもなく総理大臣であります。ただ同時に、海江田大臣とは少し話をしておりまして、海江田大臣は海江田大臣として自ら判断されるんではなかろうかと。他の大臣とは、特にこの件はお話はいたしておりません」――
菅仮免はこの記者会見でも、「同時に今回の事故による賠償のスキーム(枠組み)づくりも進めております。この賠償はいつも申し上げているところでありますが、一義的には事業者であります東京電力の責任でありますけれども、それが適切に賠償が行われるよう、政府としてもしっかりと責任を持って対応してまいりたいと、このように考えております」と言っていて、既に多くが気づいていると思うが、「一義的」という言葉を“根本的には”の意味で間違った使い方をしている。
「一義的」の意味は、「意味が一種類だけあるさま、一つの意味にしか解釈できないさま」(『大辞林』(三省堂)であって、“根本的には”の意味を当てるとしたら、「最も根本的で、一番に大切なさま」(同)の意味を持つ「第一義的」の言葉を当てなければならない。
菅仮免がこのような間違った使い方をするのは一国のリーダーとして根本的且つ大切な第一義的姿を取り得ず、一つの意味しか持ち得ない「一義的」な姿しか見せることができない単純な人間にできているからであり、そういった単純な人間であることを示している「一義的」の使い方に違いない。
これは単なる勘繰りではない。歳費返上に言及した責任論自体が誤魔化しそのものの矛盾を犯していて、単純思考となっている。
菅仮免は最初、原子力事故を「防ぎ得なかった責任は事業主であります」という言葉で事故責任の第一義者は事業主である東電にあると位置づけておきながら、「原子力政策を国策として進めてきた政府」の責任者として、「原子力事故が防ぎ得なかったことを大変申し訳なくおわびを申し上げたいと思います」と国をも東電と同列の事故責任の第一義者に位置づけている。
歳費返上はその責任遂行の一端だと。
いわば東電と同様に国の責任を同等とした。
この文脈からすると、何も矛盾はなく、言っていることに間違いはなくなる。
当ブログ4月26日記事――《菅仮免首相(4月25日参院質疑)「原発事故の責任は私にも政府にもありません」の答弁に見る責任意識欠如 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で取上げたように、1990年原子力安全委員会作成の「原子炉安全設計指針」には、「長時間に亘る外部電源の喪失は送電線の復旧または非常用交流電源設備の修復が期待できるので、考慮する必要がない」と書いてあって、今回の福島第一原発時で問題となった全電源喪失に対する備えを国が要求していなかったことと、1992年の「アクシデントマネジメント対策」には「我が国の原子炉施設の安全性は多重防護の思想に基づき、厳格な安全確保対策を行うことによってシビアアクシデント(過酷事故)は工学的に現実に起こることは考えられないほど、発生の可能性は十分小さいものになっている」と国自身が「原発安全神話」を打ち立てていたことからすると、原子力発電事業者に対する国の監督・指導が甘かった、あるいは間違っていたのだから、「原子力政策を国策として進めてきた政府」と言う以上、東電以上に国の責任は重いはずである。
だが、菅首相が言っている「一義的」にはこれまでの発言からも分かるように事故責任に於いても賠償責任に於いても東電が負うべきであるとし、政府の責任は単に東電が事故解決と賠償解決が適切に行われるよう対応することに置く文脈となっている。
それが「同時に今回の事故による賠償のスキーム(枠組み)づくりも進めております」云々以下の発言であろう。
賠償責任を東電に置くと言うことは事故責任も東電に置くということを意味する。賠償金が足りない場合は、仕方がない政府が面倒見ましょうとしているに過ぎない。
もし双方の責任の置き方がこれで正しいとなると、原子力事故を「防ぎ得なかった責任」を事業主に置きながら、「原子力政策を国策として進めてきた政府」の責任者として、「原子力事故が防ぎ得なかったことを大変申し訳なくおわびを申し上げたいと思います」と国の責任を東電と同列に置くのは矛盾を来たすことになる。
誤魔化しそのものの矛盾だとしたことは次の点にある。
政府の責任は東電が事故解決と賠償解決が適切に行われるよう対応することのみではない。冒頭発言の最初の方で、「私もこの連休中、双葉町の原発で避難されておられる皆さんの避難所に行ってまいりました。多くの皆さんから、元の生活に戻りたい。また、政府の対応についても厳しい言葉もたくさんいただきました。私も改めて、こうした被災者の皆さんに何としても、一日も早く元の生活に戻れるように、一層の力を注がなければならないと、思いを新たにいたしました」と言っているが、東電の賠償実現と共に早急な帰宅と生活の原状回復の実現を可能とする対応は政府の最終コースの責任であって、「政府の対応についても厳しい言葉もたくさんいただきました」という表現で放射能避難者に対して満足に責任を果たしていなかったことをサラッと言ってのけているが、事故発生からのこの中途コースの責任を果たしてこそ、早急な帰宅と生活の原状回復の実現につながる政府の責任を一貫して十全に果たしたと言えるのであって、そうであるにも関わらず、放射能避難生活は現在進行形であり、そのことに対する政府の責任も現在進行形でありながら、中途コースの責任を欠いていながら最終コースの責任をについて発言するのは矛盾・誤魔化しそのものであろう。
中途コースの責任を満足に果たしていないことは、原発周辺からの退避指示と屋内避難指示に関して地元市町村に事前連絡がなかったこと、放射能汚染水海洋放出に関しても周辺自治体、周辺国、農水省に事前連絡がなかったことにも現れている。
放射能避難生活者に対して、その避難生活に関して政府は十分な責任を果たしてきただろうか。避難生活が現在進行形である以上、現時点に於いてはその点にこそ政府の責任を集中し、万全を期すべきを、期しているとは言えないにも関わらず、そのことに視線は向けずに、「原子力事故が防ぎ得なかったことを大変申し訳なくおわびを申し上げたいと思います」から、責任者の立場から、首相の歳費を返上することに決めた。
これはまさしく責任のハキ違えそのものであろう。
放射能避難生活者に対して政府が満足に責任を果たしていない象徴的な事例が一時帰宅の最中に起きている。《大荒れ一時帰宅「自己責任」署名に住民怒》(サンスポ/2011.5.11 05:04)
昨5月10日午前9時頃、川内村の放射能避難住民123世帯のうち、約15キロ圏外に家がある54世帯、92人(21~85歳)が原発から22キロ離れた村民体育センターに集合。
事前の説明会で国側が各自に用紙を配布した。その用紙には「警戒区域は危険であり、自己責任で立ち入る」と書いてあり、住民は同意の署名を求められた。
しかも同意書には「宛名」が入っていなかったという。住民がキレると、国側は次のような説明を行った。
政府の現地対策本部担当者「放射能汚染を含めたリスクが存在することを村民に了解してもらうことが目的」
リスクの存在は厳重な防護服着用と線量計携行、さらに2時間という短い滞在時間によって既に答は出ている。それを「放射能汚染を含めたリスクが存在することを村民に了解してもらうことが目的」とは薄汚い弁解に過ぎない。
大体が同意書に宛名が入っていないこと自体が誰が同意を求めたのか曖昧にするということであって、責任逃れそのものを示している。
「自己責任で立ち入る」とすることは、政府に責任はないとすることに他ならない。
一時帰宅は現在もなお進行形である政府の中途コースの責任に入る。だが、その責任は政府にはないと言う。
そういったことにこそしっかりとした責任を果たすよう重点的に視線を向けるべきを、原子力事故を防ぐことができなかった責任を首相の歳費返上で果たす。
まさしく責任のハキ違えとしか言いようのない単細胞・短絡的な歳費返上だと言わざるを得ない。
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