菅仮免は浜岡全原発停止要請だけではなく、日本の全原発を停止要請しなければならない理由

2011-05-09 09:58:58 | Weblog



 ――「30年以内に大きな地震が起こる可能性が87%」だから、東海地震のみが「特別に切迫してる」はマヤカシ――

 菅仮免が昨5月8日(2011年)東京都内で記者団に浜岡原発以外の原発の運転停止要請の可能性について次のように発言している。《首相 浜岡原発以外停止求めず》NHK/2011年5月8日 15時20分)

 菅仮免「それはない。浜岡原発の場合は、大きな地震が起こる可能性が特別に高いと政府の機関も指摘しているので、特別なケースという位置づけだ」

 また中部電力が7日の臨時取締役会で運転停止要請に対する結論を持ち越したことについて。

 菅仮免「浜岡原発の場合は、特に、地震の研究機関が30年以内に大きな地震が起こる可能性が87%という、特別に切迫してるものということで要請をした。しっかり話をして、理解をしてもらいたい」

 「30年以内に大きな地震が起こる可能性が87%」だから、「特別に切迫してる」という。

 だが、ここにマヤカシがある。菅仮免は物事を全体的に見る目がないし、単細胞だから、「特別に切迫してる」とする状況認識に矛盾があることに気づかない。

 この矛盾を無視して、「特別なケースという位置づけ」と判断、他の原発には全停止の要請はしないとしているが、「特別に切迫」の状況認識に誤りがある以上、「特別なケースという位置づけ」も誤認識となる。

 仙谷「自衛隊暴力装置」官房副長官も昨8日のNHK「日曜討論」で同様の発言をしている。《“浜岡原発以外 運転停止求めず”》NHK/2011年5月8日 11時34分)

 仙谷「自衛隊暴力装置」官房副長官「先月行われた中央防災会議で、浜岡原発は30年以内に87%の確率で大きな地震が起きることが示された。浜岡原発の地震や津波への対応策がどこまでできているのか、科学的にも問題だということで、運転を止めてもらおうという判断になった。現時点では30年以内に大きな地震が起きる確率が低いところがほとんどだ。特に、日本海側などの原発はまず心配ないという結論が科学的にも出ており、国のエネルギー政策としては原発を堅持していく」

 菅仮免にしてもしても仙谷「自衛隊暴力装置」にしても、“30年以内87%確率”を唯一の根拠、唯一の錦の御旗、唯一の葵の御紋の印籠として振り回している。まるでバカの一つ覚えだ。

 勿論、今日明日東海地震が起きるかもしれないし、巷間言われているように南海地震との誘発連動型となるかも知れないし、最悪、東海地震・南海地震・東南海地震の3連動型巨大地震が発生するかもしれない。
 
 だが、“30年以内87%確率”の学説が如何に正確な予想に基づいていたとしても、他の地震発生との関連に関しては、“30年以内87%確率”は今日まで確かな保証となっていたのだろうか。

 政府総合防災訓練は毎年9月1日の防災の日に行われる。近年前日の8月31日も一部行われるようになったが、あくまでも主たる訓練は9月1日となっている。

 政府総合防災訓練の殆んどが東海地震を想定した訓練で、多分最近になってからだと思うが、首都直下型想定が加えられた。2000年は東海地震及び南関東地域直下想定の総合防災訓練となっていて、森喜朗元首相が参加している。
 
 2003年と2004年は南関東地域直下型と東海地震を想定、小泉元首相が参加。2007年は東海地震を想定した総合防災訓練となっていて(あるいは首都直下型を併行させていたかも知れない。東京都及び近県は首都直下型想定の訓練だと思う。)安倍元首相が参加している。

 2009年9月1日は麻生元首相が首都直下型を想定した政府総合防災訓練に参加。2010年は菅仮免。東海地震を想定して行われ、政府調査団として自衛隊ヘリで、人間が軽くできているから、きっと何様になったつもりで静岡県・伊東市総合防災訓練会場に降り立っている。

 私自身の経験からすると、中曽根元首相が在任中、9月1日に静岡市の安倍川河川敷に自衛隊ヘリで降り立った記憶がある。 

 大体のパターンは首相官邸で全閣僚が出席して図上訓練、その後首相が自衛隊ヘリで主会場に参加と言った手順を取るようだ。

 いずれにしても、“東海地震30年以内87%確率”の関係から言うと、あるいは菅仮免が言うように東海地震は「特別なケースという位置づけ」としていて、首都直下型を含めて他の地域の地震を「特別なケース」から外していることからすると、政府総合防災訓練は主として東海地震を想定していることになる。

 「Wikipedia」を参考にするが、東海地震説は1969年に茂木清夫(当時:東京大学教授)が遠州灘で大地震が発生する可能性を指摘したのが始まりで、同地域に於ける前回の地震に当たる1854年(安政元年)の安政東海地震(M8・4)から計算した海底プレートの歪みを基準として打ち出した学説だと思うが、安政東海地震発生後32時間後に安政南海地震が発生、死者2000~3000人余、倒壊及び焼失家屋3万戸余、津波多数発生。掛川城が倒壊と書いている。

 但し東海地震は1854年以降起きていないが、1944年(昭和19年)12月7日にM7・9の昭和東南海地震 、2年後の1946年(昭和21年)12月21日にM8・0の昭和南海地震が発生している関係から、プレートの歪みのエネルギーの蓄積から言ってやはり東海地震の発生が最も危険視され、安政時代と同様に東海地震に誘発される形で南海地震、さらに東南海地震が誘発される巨大連動型地震の可能性が言われていることになっているのだろう。

 1969年東海地震説の9年後の1978年に国は「大規模地震対策特別措置法」を制定、その中で静岡県下を中心に「地震防災対策強化地域」に指定している。

 東海地震説から42年、「大規模地震対策特別措置法」制定から33年。この間に政府は主に東海地震を想定した政府総合防災訓練を毎年行ってきた。だが、現在に至って、“東海地震30年以内87%確率”に至っているものの、一度も東海地震は起きず、1969年の東海地震説以降、「地震の年表」-Wikipediaを参考にすると――

 1969年8月12日に北海道東方沖地震(M7・8)、同年9月9日に岐阜県中部地震(M6・.6)。

 1971年2月26日に新潟県南部地震(M5・5)。

 1973年6月17日に根室半島沖地震(M7・4)。

 1974年5月9日に伊豆半島沖地震(M6・9)。

 1978年1月14日伊豆大島近海地震(M7・0)、6月12日宮城県沖地震(M7・.4)。

 1980年9月25日千葉県中部地震(M6・0)。

 1981年1月19日三陸沖地震(M 7・0)。

 1982年3月21日北海道日高支庁浦河沖地震(M7・1)。

 1983年5月26日秋田近海の日本海中部地震(M 7・7)。

 1984年9月14日長野県西部地震(M 6.8)。

 1987年3月18日 日向灘地震(M 6・6)、同年12月17日千葉県東方沖地震(M 6・7)。

 1993年1月15日釧路沖地震(M 7・5)、同年7月12日、奥尻島が津波に襲われた北海道南西沖地震 (M7・8)、同年10月12日東海道はるか沖で地震(M 6・9)。

 1994年10月4日北海道東方沖地震(M 8・2)、同年12月28日三陸沖地震(M 7・6)。

 1995年1月17日阪神・淡路大震災(M7・3)、同年12月4日択捉島付近で地震 (M7・7)。

 1997年5月13日鹿児島県北西部地震(M 6・4)。

 1998年5月4日石垣島南方沖地震 (M7・7)同年8月20日鳥島近海地震(M 7・1)、同年9月3日岩手県内陸北部地震(M6・2)。

 2000年3月28日父島近海地震(M7・6)、同年7月1日と8月18日新島・神津島・三宅島近海地震(M6・5)、同年8月6日鳥島近海地震(M7・3)、10月6日鳥取県西部地震(M7・3)。

 2001年3月24日芸予地震(M6・7)、同年12月18日与那国島近海地震(M7・3)。

 2003年5月26日三陸南地震(宮城県北部沖地震、東北地震)(M7・0)、同年7月26日宮城県北部地震(M6・4)、同年9月26日十勝沖地震(M8・0)。

 2004年9月5日紀伊半島南東沖地震(M7・4)、同年10月23日新潟県中越地震(新潟県中越大震災)(M6・8)、同年11月29日釧路沖地震(M7・1)同年12月6日ほぼ同じ海域でM6・9の地震、同年12月14日留萌支庁南部地震 (M6・1)。

 2005年3月20日福岡県西方沖地震(M7・0)、同年8月16日宮城県南部地震(M7・2)、同年11月15日三陸沖地震(M7・1)。

 2006年4月21日伊豆半島東方沖地震(M5・8)。

 2007年3月25日能登半島地震(M6・9)、同年7月16日新潟県中越沖地震(M6・8)。

 2008年5月8日茨城県沖地震(M 7.0)(M6・4)、14分後にM 6.3の地震発生。同年6月14日 岩手・宮城内陸地震(M7・2)、同年7月24日岩手県沿岸北部地震(M6・8)、同年9月11日十勝沖地震(M7・1)。

 2009年8月11日駿河湾で地震(M6・5)。
 
 2010年2月27日沖縄本島近海地震(M7・2)、同年12月22日父島近海地震(M7・4)。

 2011年3月9日三陸沖地震(M7・3)。

 そして今回3月11日東日本大震災(M9・0)。そして多くの余震と、次々と地震が発生している。

 以上の日本国中至る場所で、いわば場所を選ばずに地震が発生することを教えているこの地震年表は「特別なケースという位置づけ」を行った“東海地震30年以内87%確率”が実際の姿を取る間にも日本国中至る場所で場所を選ばずに地震が発生することをも教えているはずである。

 今後発生するこのような地震のすべてがそれぞれに想定内の地震規模、津波が発生した場合は想定内の津波規模に収まるとは限らないことを今回の東日本大震災は教えているはずである。

 この教えは、菅仮免は浜岡の全原発停止を東海地震が「特別に切迫してるものということで要請をした」と言っているが、今後発生する地震・津波が常に想定内に収まる保証がない以上、東海地震だけが「特別に切迫してるもの」とは言えないことも伝えているはずである。

 繰返しになるが、実際にも今回の東日本大震災を「特別に切迫してるもの」としてはいなかったが、実態としては「特別に切迫してるもの」だった。誰も気づかなかったに過ぎない。

 「地震の研究機関が30年以内に大きな地震が起こる可能性が87%」は今に始まったことではないから、「特別に切迫してるもの」としていたことも今に始まったことではないはずだが、そのために毎年のように東海地震を想定した政府総合防災訓練を行っていたはずで、にも関わらず、実際には東海地震以上に東日本大震災が「特別に切迫」したものであった。

 正確に言うと、誰も知らないところで、あるいは誰も気づいていないところで「特別に切迫」していた。

 「特別に切迫」は東海地震限定とすることはできないということである。

 だが菅仮免も仙谷「自衛隊暴力装置」も、その他内閣の面々も、“東海地震30年以内87%確率”を錦の御旗とし、「特別なケースという位置づけ」のもと、東海地震のみを「特別に切迫してるもの」として浜岡原発だけの全停止の要請を行うという矛盾を平気で犯している。

 この矛盾を解き、と同時に“東海地震30年以内87%確率”が実際の姿を取る間にも日本国中至る場所で場所を選ばずに地震が発生し、それらの地震がマグニチュードのみならず発生した場合の津波の規模も想定内に収まる保証がないことと「特別に切迫」は東海地震限定とするはできないこととの整合性を得るためには国内に立地しているすべての原発の停止要請を行わなければならないはずだ。

 もし行わないとしたら、東海地震発生確率以前の東海地震以外の予期しない地震発生確率から言っても、それが想定内の規模に収まる保証がないことと併せて浜岡原発のみの全停止要請はマヤカシと言わざるを得ない。


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