菅仮免政府の原発賠償条約加盟の検討から見えてくる日本民族優越意識

2011-05-29 10:24:38 | Weblog



 いつまでも仮免状態が続く菅仮免政権が原発事故被害を国境を越えて波及させた場合、被害の損害賠償訴訟を事故発生国で行うことを定めた国際条約に加盟していないことから、加盟の本格検討に着手したという。

 《原発賠償条約、加盟を検討 海外から巨額請求の恐れ》asahi.com/2011年5月29日3時5分)

 条約に加盟しないまま、福島第一原発事故によって海洋に流れた汚染水が他国の漁業に被害を与えたり、津波で流された大量のがれきに放射性物質が付着した状態で他国に流れついたりする放射能被害が外国にまで及んで外国の被害者から提訴された場合、事故発生国である日本国内で裁判ができず、提訴国で行われる規定となっていて、賠償金の算定基準もその国の基準が採用され、賠償額が膨らむ危険性が生じることになるという。

 原発事故の損害賠償訴訟を発生国で行うことを定める条約は国際原子力機関(IAEA)が採択した「原子力損害の補完的補償に関する条約」(CSC)など三つあるが、いずれも加盟していなかったばかりか、米国からCSC加盟を要請されて検討してきたが、やはり加盟を見送ってきたと書いてある。

 見送った理由を記事は次のように解説している。

 〈日本では事故が起きない「安全神話」を前提とする一方、近隣国の事故で日本に被害が及ぶ場合を想定し、国内の被害者が他国で裁判を行わなければならなくなる制約を恐れて加盟を見送ってきた。 〉・・・・

 この一文から見えてくる日本人の精神性は、日本では原発事故の発生は絶対あり得ない、外国では絶対あり得るという彼我の優劣を絶対確信とする日本民族優越意識である。

 いわば日本では原発事故の発生はあり得ないする「安全神話」の日本民族優越意識から条約に加盟する必要なしとしてきた。米国からCSC加盟を要請されて検討したものの、最終的には日本民族優越意識に基づいて加盟の必要なしとした。

 日本では原子力事故はあり得ないとする「安全神話」を以って日本民族優越意識の発露だと把えるのは大袈裟に過ぎると思われるかもしれないが、自分は決して過ちを犯さないが他人は過ちを犯すと信じている人間がいるとしたら、その人間は自己優越意識に囚われているからこそ、そのように信じることができるのと同じである。

 原子力「安全神話」自体が日本民族優越意識に基づいていることに日本人自身が気づいていないだけの話に過ぎない。

 米国がCSC条約に加盟にしているのは、スリーマイル島事故の発生国ということもあるかもしれないが、事故発生があり得ることを前提とした条約加盟であろう。

 その逆だとしたら、日本と同様に加盟しないはずだ。

 日本はあり得ないとしてきた。本質のところで日本人の精神性に巣食っている日本民族優越意識を介して打ち立てることとなった原子力「安全神話」が必要としなかった
加盟であろう。

 日本人の日本民族優越意識から発した精神性は何も原子力「安全神話」のみではない。人間は善を行う道徳的本性を本質としているとする日本人性善説も同じ日本人優越意識に基づいた精神性からの絶対確信であろう。

 悪の行為はその本性の過った発露だとし、本質そのものは善の道徳性を生れながらに備えているとしている。

 いわば日本人は、あるいは日本民族は善の道徳性を本質としているとしているのである。

 欧米人は人間は利己的欲望を本性としているとする性悪説を人間の本質と見ている。善行為は経験や教育からの後天的学習に基づいて獲得する道徳性だとしている。

 善の道徳性を本質としているとする性善説は日本民族優越意識なくして成り立たない日本人本質論であろう。あるいは日本民族本質論であろう。

 原子力に関わる「安全神話」は「我が国の原子炉施設の安全性は現行の安全姿勢のもとに設計、建設、運転の各段階に於いて多重防護の思想に基づき、厳格な安全確保対策を行うことによってシビアアクシデントは工学的に現実に起こることは考えられないほど発生の可能性は十分小さいものになっている」と規定した原子力安全委員会が1992年作成した「アクシデントマネジメント対策」によって打ち立てられたとしているが、このような規定以前の問題として、やはり日本人は優秀だとする民族優越意識を日本人の精神性に底流としていたからこそ規定づけることができた原子力「安全神話」ということであろう。

 どこかで漏れが生じるかもしれない、どこかで過ちが出てくるかもしれない、機械だって常に安全だとは限らないとする精神性に常に基づいていたなら、いわば人間はどこでどう失敗をするか分からないことを、どこでどう過つか分からないことを、絶対安全とする機械は絶対的に存在しないことを常に心構えすることができていたなら、原子力「安全神話」など打ち立てようがないし、そもそこからして日本人優越意識など自らの精神性に巣食わせることなどできなかったろう。

 日本民族優越意識に時代的に色濃く冒されていた戦前の日本人は、日本民族優越意識ゆえにこそ他民族を劣等視して支配すべく戦争を仕掛けた。昭和天皇は1946(昭和21)年1月1日に いわゆる「人間宣言」と呼称される「新日本建設に関する詔書」を発している。 そこに次のような一文が挿入されている。

 「朕ハ爾等(なんじら)國民ト共ニ在リ、當ニ(まさに=必ず)利害ヲ同ジクシ休戚(きゅうせき=喜びと悲しみ)ヲ分(わか)タント欲ス。朕ト爾等國民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい=物と物、人と人とを結び付ける役割を果たす大事なもの)ハ、終止相互ノ信頼ト敬愛ニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ旦日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ(ひいて=さらには)世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニ非ズ」

 天皇と国民を結びつけている精神は、天皇を現人神とし、日本国民は他の民族より優秀で、世界を征服すべき運命を有するとする架空(=ニセモノ)の観念によるものではなく、相互の信頼と敬愛という精神によって結びつけられているとの宣言である。

 いわば人間の姿をした神である(=現人神)という天皇の存在性も、「日本国民は他の民族より優秀で、世界を征服すべき運命を有する」とする日本民族優越意識も架空の観念、ニセモノの観念だったと言っている。

 だが、日本人は戦後も、敗戦の廃墟から立ち上がって世界第2位の経済大国にのし上がった自信が過剰に働き、唯我独尊の慢心を巣食わせることになったからなのだろう、知らず知らずの内に戦前の日本民族優越意識を再度精神の底にうずくませることとなった。

 政治家を含めて日本人の危機管理意識が欠如していると言われるのは基本的には日本人の精神性の底の底に日本人は過つことはない、日本人は優秀であるという日本民族優越意識を抱えていて、そのことが油断となって危機に対する用心・備えが希薄化しているからであるはずである。

 小泉純一郎元首相が昨5月28日、地元の神奈川県横須賀市内で行った日本食育学会・学術大会の特別講演で、東京電力福島第一原発の事故を取上げて原子力「安全神話」を否定したという。 《「原発の安全性発信は過ちだった」 小泉元首相、講演で》asahi.com/2011年5月28日19時41分)

 小泉元首相「日本が原発の安全性を信じて発信してきたのは過ちだった。原発が絶対に安全かと言われるとそうではない。これ以上、原発を増やしていくのは無理だと思う。原発への依存度を下げ、世界に先駆けて自然エネルギーを推進しないといけない」

 ドイツ政府の諮問委員会が5月28日の会合で、「脱原発は10年以内に可能」とする報告書をまとめたという。《「脱原発は10年以内に可能」ドイツ政府諮問委が報告書》asahi.com/2011年5月29日1時16分)

 委員会報告に拘束力はなく、報告をどう扱うかはメルケル政権と国民の反応にかかっているが、ドイツ国民の反原発意識は高く、ここの所反原発政策を掲げる緑の党の躍進が伝えられている。

 政権側にしても、福島事故を受けて脱原発に舵を切り、その延長として、〈脱原発の行程や方法を定める法案を6月6日に閣議決定する方針で、委員会報告を受けて5月29日に予定されている連立与党協議で脱原発の目標年を決めるとの観測がある。〉と記事は書いている。

 日本政府にしても国民に安心・安全を保証するためにも原発から自然エネルギーへの転換をゆくゆくは図らなければならなくなると思うが、それが原子力「安全神話」の払拭からスタートするのではなく、日本民族優越意識の払拭まで行き着かなければならないはずだ。

 日本民族優越意識の思い上がりが如何なる自然災害や人災に対しても、そのことに備える危機管理に正常な機動性を欠かすことになるということだけではなく、グローバルな国際関係に於いて、そこに含む対等な関係性に反して他民族劣等視を反力学とする日本人優越意識はその対等性、対等関係の阻害要件となるからである。 

 日本人は優れてもいるが、劣る面もあり、それは他民族に於いても同じであるとする相対的対等性こそが日本人を国際人とする基本的条件だと思うが、どうだろうか。


コメント (1)
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