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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

アメリカ軍相模原総合補給廠倉庫火災、備蓄の医療品などが爆発

2015-08-24 23:59:21 | 在日米軍
■相模原総合補給廠の任務と現状
本日未明、神奈川県相模原市の米軍相模施設、通称相模原総合補給廠にて倉庫火災が発生しました。そこで本日は相模原総合補給廠についてみてみましょう。

相模原総合補給廠は我が国首都圏の米軍施設の一つで、火災は倉庫火災ながら爆発は断続的に続き、先日発生しました中国の天津爆発事故を一瞬彷彿させるものでしたが、大きな被害には至りませんでした、相模原総合補給廠は広大であり爆発が発生した倉庫は住宅街まで500mの距離を隔てており、爆発の危険から備蓄物資の確認が完了するまで消防による放水を避けていたためでした、備蓄されていたものは医療用空気ボンベであったため、有毒物漏洩や爆発による二次被害は生じていません。

医療資材と架橋器材に可搬内陸燃料配送装置が相模原総合補給廠の主要備蓄資材でして、医療資材倉庫、相模原総合補給廠に備蓄され今回火災により炎上したものは米軍が西太平洋地域に配置する最大の医療資材倉庫で、連続して爆発した事から医療用空気ボンベが備蓄されていたものと考えられます、事故発生後、在日米陸軍司令部は事故現場写真を公開しており、焼けただれたボンベが多数火災現場に並んでおり、出動した消防関係者の話でも現場近くにはボンベ破片が散乱していたとの証言がありますので間違いないでしょう。

第35補給支援大隊が相模施設を管理しており、特に可搬式病院施設が備蓄され、医薬品冷蔵倉庫が複数配置ているのは環太平洋地域では相模原だけです。可搬式病院施設とは文字通り移動式の総合病院です。移動式の総合病院と云いますが、自衛隊の野外手術システムとは比較にならないほどの設備を有しており、病床2000、24時間で数百件の外科手術が可能となっています。緊急時には4000病床まで拡大できる施設で、全般はカナダ製可搬式折畳シェルター百数十基に収容し機動可能です。

このカナダ製可搬式シェルターは風速25mにまで耐える高硬度のもので、統合空調システムにより熱帯地域や極地の低温下でも医療任務が可能とのこと。加えて、有事の際には装軌車回収整備大隊が展開します。手術設備はもちろん、術後ケアなどの設備が可搬式となっており、多くの医療設備は使用しない状況でも一定期間で新型と置き換えられ、我が国の総合病院設備と比較した場合、相違点と云えば鉄筋コンクリート式の建物に入っているか、可搬式シェルターに収まっているのみ、というところ。

これだけの規模の可搬式病院施設が米軍により維持される背景ですが、これはイラク戦争規模の戦闘が極東地域において発生する場合に想定される軍団規模の部隊が膨大な戦傷者を出した場合の素早い戦力回復を想定している為です。自衛隊であれば、有事の際には基本的に国土での戦闘を念頭としている為、例えば大量の戦傷者が発生した場合では、まず野外手術システムにより致死状態に至るのを防ぎ、広報の病院施設に入院させることが出来ます。

日本では日本のインフラが使えるのですが、米軍の場合は自国インフラが遠距離で使用できず、そして展開先の救急救命インフラを全く利用できない状況を想定しなければなりませんので、総合病院がそのまま移動できるだけの体制を平時から構築しておく必要があります、そして広域の医療支援を同時に対応させることとなっており、例えば米軍はアフガニスタン派遣に際し、一箇所の医療拠点に戦傷者対処を統合化し、UH-60多用途ヘリコプター36機を戦傷者の救急搬送に専従させたほど。

そして首都圏三拠点が有事の際に有機的に機能します。横田基地と横須賀基地に厚木基地が首都圏の米軍基地として一般によく知られていますが、横田基地と横浜ノースドック、そして相模原総合補給廠、この三箇所が米軍の後方支援関連設備として重要な位置づけを担っています。有事の際、それこそ米軍が十万単位で行動するイラク戦争規模の有事が朝鮮半島や台湾海峡に北海道等で発生した場合、嘉手納や三沢や岩国に佐世保と普天間は第一線部隊の拠点となりますが、首都圏の施設は後方支援拠点となる。

横田基地は第5空軍司令部と在日米軍司令部が置かれ米本土と太平洋地域からの物資航空搬入拠点となり数百機の輸送機が展開、横浜ノースドックは施設内の1350m岸壁と500m岸壁に同時に7隻の大型輸送船を接岸させ陸軍第17地域支援群港湾司令部と米会場軍事輸送司令部が運用できる。そして相模原総合補給廠は補完する医療物資をはじめとした備蓄品を横浜ノースドックと横田基地より展開させ、空いた施設へ装軌車回収整備大隊が展開し、第一線において損傷した装甲車両の整備と戦力回復を担うもので、この三施設は国道16号線とJR横浜線でも繋がっており、米軍の重要な後方拠点の一つ。

我が国首都圏の米軍施設は、極東地域を中心とした西太平洋地域最大の兵站拠点を構成しています。例えば、米軍備蓄燃料は横浜市の鶴見と小柴の八戸に佐世保周辺と沖縄を合計し1100万バレルもの燃料が備蓄されており、環太平洋地域では米本土を除けば全体の半分にも上り、ハワイやグアム、在韓米軍施設等とはけた違いの備蓄量を誇ります。これだけの燃料が在日米軍施設に備蓄されている背景ですが、最大のものは我が国の石油精製能力が環太平洋地域で最大規模のものであり、航空燃料や艦艇燃料などを確実に高品質のものを確保するには、我が国に施設を置き、日本企業から調達するのが確実を考えられた為です。

必要なものを必要な場所で友好国が有しているならば提供を願い出ればいい、発想はここでしてしかも日米は同盟国です、そこで逆をみてみましょう、自衛隊が海外での大規模訓練設備を利用する場合や新装備試験を行う場合は米本土やハワイの施設を利用しますが、これは自衛隊が安定して展開し得る海外の訓練先と、更に訓練に必要なインフラが揃う設備が米国しか考えられない為で、双方、必要なものを融通し合えるところで互恵関係を構築している、といえるでしょう。

なお、相模原総合補給廠は、橋本内閣時代と小泉内閣時代に返還交渉が行われていますが実現しませんでした。これは軍団規模の部隊が展開する本格的な有事の際しか活用しない設備であるため、我が国周辺では所謂周辺事態が発生するまで機能しないもの、一見無駄に見えるのですから使わないのであれば返してほしい、という本音があったのでしょう、国道16号線とJR横浜線沿いにある大型の施設ですから、使わないのであれば首都圏経済圏にとり有用な用途がある、という視野に基づきます。しかし、平時には用途がありませんが、有事の際には絶対必要となる施設ですので、アメリカ側は返還できない、としたものでした。

ただ、この設備、我が国にとり無駄になったのかと問われたらば、否定します、新潟中越地震と東日本大震災の際に実際に備蓄品が同盟国の危機へ提供されています、最たるものは避難所冷房設備でした、医療設備用に大量に保有していた可搬式のクーラーが新潟中越地震と東日本大震災の際に多数提供されています、自衛隊にはそれほど多くの可搬式クーラーの備蓄はありません、大規模有事に備えていたからこその同盟国の備蓄が恩恵となったといえるでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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コメント (4)
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