■新田原基地へF-15要撃飛行隊展開!
宮崎県地方紙報道として、新田原基地へF-15要撃飛行隊が展開する計画とのこと。本日は、これから数年間の防空の大変革を見てゆこうと思います。
南九州の新田原基地には第5航空団が展開しており、現在はF-4EJ改を運用する第301飛行隊を以て防空任務へあたっています。航空団が1個飛行隊基幹というのは特色ですが2000年まで新田原基地には第202飛行隊が要撃任務へあたっていました、第202飛行隊がF-15のマザースコードロンとして要員養成等を担った航空自衛隊最初のF-15飛行隊でした。
2000年の航空自衛隊部隊改編に伴い、第202飛行隊はそのまま新田原基地に留まり航空教育集団飛行教育航空隊第23飛行隊へと転換し、戦闘機要員教育部隊となりました、新田原基地には航空自衛隊最強と言われる仮設敵部隊の飛行教導群が展開していますので、相当数のF-15が装備運用されていましたが、全て教育用となっていたわけです。
新田原基地へ移転してきます予定の部隊は百里基地第7航空団の第305飛行隊で、F-15を運用しています。第7航空団は、第302飛行隊と第305飛行隊を基幹部隊としており第302飛行隊がF-4EJ改を運用し第305飛行隊がF-15を運用し首都圏の防空任務に当たっています。今回の改編で第305飛行隊が新田原へ移転すると共に交代として第301飛行隊が百里基地へ移転するもよう。
第301飛行隊は新田原基地移駐以前に元々百里基地に展開していた部隊でして1985年に新田原へ移駐した飛行隊です。即ち、今回の部隊交代は第301飛行隊の里帰り的な移駐となるのですが、これにより百里基地第7航空団は隷下の飛行隊2個が双方ともF-4EJ改を運用する事となり、首都防空はF-4EJ改が今後担う事となりました。
首都防空ですが、元々第7航空団はF-15二個飛行隊を基幹としていました、第204飛行隊と第305飛行隊のF-15戦闘機40機が首都防空に当たっていた訳です、首都圏は特にロシア空軍機が太平洋を東京に向かい爆撃機を南下させる東京急行経路等に要撃を行っており、一定の防空任務はあった訳です、しかし、現在の編成となった背景は、やはり南西防衛強化だったのです。
第204飛行隊は2009年、南西諸島防空強化のため、F-15戦闘機を以て那覇基地へ移駐する事となり、那覇基地で永らくF-4EJ改を運用していた第302飛行隊と交代する形で百里基地へF-4EJ改が戻ってきたわけです。戻ってきた、とは、元々F-4EJ戦闘機の最初の飛行隊であり要員養成を行っていたのは百里基地時代の第301飛行隊でした。
なお、那覇基地は現在F-15が一個飛行隊運用されているのみですが、年明けに北九州築城基地の第8航空団よりF-15を運用する第304飛行隊が那覇に移駐し那覇基地の第83航空隊は第9航空団へ改編予定です。第8航空団は第304飛行隊にF-2を運用する第6飛行隊が配置され、現在のままですと、九州は北九州がF-2飛行隊と南九州がF-4EJ改飛行隊のみとなるところで、このあたり百里からの移転となった背景の一つといえるやもしれません。
首都防空は二個のF-15飛行隊が担っていたのですが、一個が2009年に沖縄へ南西諸島防空強化に向け那覇基地へ移転し、そして次の部隊改編で南九州の新田原基地へ移駐する事となりました。東京防空に旧式のF-4を集中するという大きなリスクを抱えてでも、日本国家は南西諸島防空に重点を置こうとしている、こう表現する事も出来るでしょう。
一方、百里基地ですが、日本のファントム発祥の地であるとともに、二個のF-4EJ改要撃飛行隊を配置すると共にRF-4偵察機を運用する偵察航空隊が展開しています。こうして、ファントムは岐阜基地の飛行開発実験団等の少数機を除けば全て百里基地へ集中される事となり、整備能力と補給面で効率化が図れるやもしれません。
偵察航空隊には第501飛行隊が隷下に配備されていますが、2009年の部隊改編により第501飛行隊支援に当たる偵察航空隊整備群が第7航空団に移管されていますので、今後の改編により第7航空団は3個のファントム飛行隊を運用する、現存する世界最大のファントム航空団となる訳です。
更に一部報道では、新田原基地の飛行教導群が拠点を北陸日本海側の小松基地へ移駐するとの情報があります、飛行教導群は飛行教導隊から2014年に改編された部隊ですが、当初築城基地に編成された部隊が新田原基地へ移駐したものです。小松基地沖には、G空域という秋田沖から山陰沖にかけての広大な訓練空域が確保されており、訓練環境向上を視野としたというもの。
首都防空をF-4EJ改飛行隊のみとすることは、非常に大きな決断であったと考えられます、在日米軍も近くの飛行隊は三沢基地のみ、現在では厚木基地に米海軍の第5空母航空団がF/A-18E/FやF/A-18C/Dを展開させていますが、この航空団も近く山口県の岩国航空基地へ移転しますので、防空能力は大きく低下するといわざるを得ません。しかし、他に引き抜ける航空団が無かったという理由もあり、防空体制は大きく転換期を迎えているといえるでしょう。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
宮崎県地方紙報道として、新田原基地へF-15要撃飛行隊が展開する計画とのこと。本日は、これから数年間の防空の大変革を見てゆこうと思います。
南九州の新田原基地には第5航空団が展開しており、現在はF-4EJ改を運用する第301飛行隊を以て防空任務へあたっています。航空団が1個飛行隊基幹というのは特色ですが2000年まで新田原基地には第202飛行隊が要撃任務へあたっていました、第202飛行隊がF-15のマザースコードロンとして要員養成等を担った航空自衛隊最初のF-15飛行隊でした。
2000年の航空自衛隊部隊改編に伴い、第202飛行隊はそのまま新田原基地に留まり航空教育集団飛行教育航空隊第23飛行隊へと転換し、戦闘機要員教育部隊となりました、新田原基地には航空自衛隊最強と言われる仮設敵部隊の飛行教導群が展開していますので、相当数のF-15が装備運用されていましたが、全て教育用となっていたわけです。
新田原基地へ移転してきます予定の部隊は百里基地第7航空団の第305飛行隊で、F-15を運用しています。第7航空団は、第302飛行隊と第305飛行隊を基幹部隊としており第302飛行隊がF-4EJ改を運用し第305飛行隊がF-15を運用し首都圏の防空任務に当たっています。今回の改編で第305飛行隊が新田原へ移転すると共に交代として第301飛行隊が百里基地へ移転するもよう。
第301飛行隊は新田原基地移駐以前に元々百里基地に展開していた部隊でして1985年に新田原へ移駐した飛行隊です。即ち、今回の部隊交代は第301飛行隊の里帰り的な移駐となるのですが、これにより百里基地第7航空団は隷下の飛行隊2個が双方ともF-4EJ改を運用する事となり、首都防空はF-4EJ改が今後担う事となりました。
首都防空ですが、元々第7航空団はF-15二個飛行隊を基幹としていました、第204飛行隊と第305飛行隊のF-15戦闘機40機が首都防空に当たっていた訳です、首都圏は特にロシア空軍機が太平洋を東京に向かい爆撃機を南下させる東京急行経路等に要撃を行っており、一定の防空任務はあった訳です、しかし、現在の編成となった背景は、やはり南西防衛強化だったのです。
第204飛行隊は2009年、南西諸島防空強化のため、F-15戦闘機を以て那覇基地へ移駐する事となり、那覇基地で永らくF-4EJ改を運用していた第302飛行隊と交代する形で百里基地へF-4EJ改が戻ってきたわけです。戻ってきた、とは、元々F-4EJ戦闘機の最初の飛行隊であり要員養成を行っていたのは百里基地時代の第301飛行隊でした。
なお、那覇基地は現在F-15が一個飛行隊運用されているのみですが、年明けに北九州築城基地の第8航空団よりF-15を運用する第304飛行隊が那覇に移駐し那覇基地の第83航空隊は第9航空団へ改編予定です。第8航空団は第304飛行隊にF-2を運用する第6飛行隊が配置され、現在のままですと、九州は北九州がF-2飛行隊と南九州がF-4EJ改飛行隊のみとなるところで、このあたり百里からの移転となった背景の一つといえるやもしれません。
首都防空は二個のF-15飛行隊が担っていたのですが、一個が2009年に沖縄へ南西諸島防空強化に向け那覇基地へ移転し、そして次の部隊改編で南九州の新田原基地へ移駐する事となりました。東京防空に旧式のF-4を集中するという大きなリスクを抱えてでも、日本国家は南西諸島防空に重点を置こうとしている、こう表現する事も出来るでしょう。
一方、百里基地ですが、日本のファントム発祥の地であるとともに、二個のF-4EJ改要撃飛行隊を配置すると共にRF-4偵察機を運用する偵察航空隊が展開しています。こうして、ファントムは岐阜基地の飛行開発実験団等の少数機を除けば全て百里基地へ集中される事となり、整備能力と補給面で効率化が図れるやもしれません。
偵察航空隊には第501飛行隊が隷下に配備されていますが、2009年の部隊改編により第501飛行隊支援に当たる偵察航空隊整備群が第7航空団に移管されていますので、今後の改編により第7航空団は3個のファントム飛行隊を運用する、現存する世界最大のファントム航空団となる訳です。
更に一部報道では、新田原基地の飛行教導群が拠点を北陸日本海側の小松基地へ移駐するとの情報があります、飛行教導群は飛行教導隊から2014年に改編された部隊ですが、当初築城基地に編成された部隊が新田原基地へ移駐したものです。小松基地沖には、G空域という秋田沖から山陰沖にかけての広大な訓練空域が確保されており、訓練環境向上を視野としたというもの。
首都防空をF-4EJ改飛行隊のみとすることは、非常に大きな決断であったと考えられます、在日米軍も近くの飛行隊は三沢基地のみ、現在では厚木基地に米海軍の第5空母航空団がF/A-18E/FやF/A-18C/Dを展開させていますが、この航空団も近く山口県の岩国航空基地へ移転しますので、防空能力は大きく低下するといわざるを得ません。しかし、他に引き抜ける航空団が無かったという理由もあり、防空体制は大きく転換期を迎えているといえるでしょう。
北大路機関:はるな くらま
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